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Re: 【小説】Meet the Meat①

 カードキーをかざすと、ピッという電子音とシューという気圧の抜ける音がしてドアが開いた。
 部屋では妻が配給ダクトを通して届いた晩餐を取り出しているところだった。
「おかえりなさいませ。あら、そんな笑顔で機嫌が良さそうですね」
 ぼくは鞄を置いてジャケット脱ぐと、ポケットを衣類ダクトに投げ込んで食卓の椅子を引いた。


「うん、今日はなかなか良い日だったよ」
「あら、それはぜひ聞きたいですね」
 妻がサーバーの水を紙コップに注ぎながら微笑んだ。
 机の上には届いたばかりの配給食が湯気を立てて並んでいる。
「うん。この調子だと年内には君の希望を叶えられそうだよ」
 ぼくは水をひとくち飲んで、プレートの中のものをプレート付属のナイフとフォークで細かく切り分けた。

 妻は自分の希望と言うのが何か思い当たらないらしく不思議そうな顔をしている。
「ほら、言ってたじゃないか。コンビーフ缶詰が食べてみたいって」
「ほんとうに」
 妻は目を見開いて驚いた。
 フォークにバイオミートが刺さったままなのが微笑ましい。
「ほんとうさ。まぁそうは言っても海外ツアーになってしまうけれどね」
「でもいまコンビーフ缶詰が食べられる国なんて」
 フォークに刺さったままのバイオミートをようやく口に運んだ妻をみて、仕事を頑張ってよかったと思えた。

「うん。まぁ行く先は絞られてしまうけれど、貴重な体験になると思う」
 ぼくもバイオミートやらファクトリープラントやらを次々と口に運ぶ。
「でもどうして急に。この前まで会社も危ないような事をおっしゃってたじゃないですか」
「うん。実は何件か立て続けに個人旅行客でアフリカに行く人をぼくが担当してね。どうやら運よくボーナスを貰えそうなんだ」
 景気が上向いている、と聞いたけれどそれがようやくぼくたちの所にも波及してきたみたいなんだと補足する。
 それを聞いた妻が満面の笑みでプレートの上の白い塊にナイフを突きながら
 「そんな事を聞いたら急に食べたくなくなっちゃっいましたわ」
 といたずらっぽく笑った。
 ぼくもどうにか繊維っぽいバイオミートを噛み砕むと、水で喉の奥に流し込んだ。


「同じタンパク質でもやっぱり違うのかしら」
 細かく刻んだ白っぽいバイオミートをもてあそびながら妻がつぶやく。
「どうだろうな、ぼくもわくわくするよ」
 肉というものがどんなものか、このプレートとどう違うのか。
 どんな色でどんな匂いでどんな味なんだろうか。
「あら、そんなこと言って。プレートが空じゃありませんの」
「うん、食べ残してサプリを飲むのは好きじゃないからね」
 ゆるめのお粥を流し込んでプレートを廃棄ダクトに入れた。
 妻もどうにかプレートを空にして、同じように廃棄ダクトにそれらを押し込んだ。
 特に何も残していないので、サプリダクトは光らない。

 妻が真剣な表情になった。不安げな感じも見てとれた。
「訊いてもいいですか」
「ん、どうした」
 わざと砕けた感じに答える。
「その、いまアフリカに旅行する方たちって、どういう」
 悪い職業のひと達ですか、と暗に訊いている。
 ぼくはその不安を払拭するように笑ったが、あながち間違いでもない。
「あぁ。あまり大きな声じゃ言えないけれど、コンビーフ缶詰を食べるツアーより高額で危険なツアーだよ」
 だからその可能性もある。
 しかし妻はぼくの目論見通り、危険なツアーの内容に興味をもった。


「そんなものが……」
「うん。最近になってソマリランドと言う国あたりで始まったみたいで、ちょっとした人気なんだそうだ」
 妻の目が不安そうな色と興味の色でくるくると様変わりしているのが愛くるしい。
「それはどんなツアーなんですか?コンビーフ缶詰を食べるより凄い危険って」
「うん。ぼくも内容はパンフレットで読んだきりだけど、実際の肉や魚を食べられるらしい」
「まぁ」
 妻は再び目を丸く見開いて驚いた顔を作った。


「ぼくもにわかには信じられないけれど、現地ではまだ違法になってないから、そこに行けば食べられるのは確かだよ。
 でも治安が良くなくて安全性は保障されないから、現地で何があっても責任が取れないんだ」
 ぼくはここで視線を外す。
 万が一にも妻がそんなツアーに行きたいと言わないように、わざとため息をついた。


「わたし、むかしに教科書で読んだことがあります。なんでもオランダのアムステルダムでは大麻が合法だったから、わざわざそこまで行く人がいたって」
「うん。似たようなものかも知れない。治安の面で言うと、まだ当時のアムステルダムの方が良いかも知れないけれど。それに大麻も肉食ほどの危険もないしね。それに」
「それに」
「いまのソマリランドではアルコールやカフェインもあるらしい。かつての生活文化がまだ残っている、生の歴史を味わえる国と言う訳だ」
 ここまで言ってから、しまったと思った。
 少し話し過ぎたかも知れない。妻の興味に火をつけてしまって行きたいなんて言い出したらどうしようか。

 しかし妻は飲み込んだ息を吐き出すと、緊張した表情をようやく崩した。
「想像できないですね。教科書で読んだことしかないので」
 よかった、行ってみたいとまではまだ考えていないみたいだ。
「うん。だから、どうしてもと言う人たちが少なからずいてね」
 コンビーフでは物足りなくなったひと達。
 爛々と輝く目は力強かった。もしかしたら良くない職業のひと達かも知れないけれど、それはそれだ。
「でも、そのおかげで私たちもツアーに行けるのだから感謝しなきゃね」
「うん、まったくその通りだ」
 ピ、と言う短い電子音が鳴るとダクトから配給の睡眠導入剤が届いた。

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