Re: 【短編小説】婆アtheトーナメント
そのババアは中央線に乗っていた。
あろう事か俺の隣に座り、効きすぎた柔軟剤と使いすぎた香水の加害をしただけでなく、最新型のiPhoneを取り出してウェブ版のしんぶん赤旗を読み出しやがったのだ。
しかもスムージーを勢いよく吸引して派手な音を立てながら!
安倍晋三レベルの優しさがあると言う心の広い俺でも我慢は出来なかった。
電池が膨らみかけた俺の旧いiPhoneでババアの額を殴打して座席から引き剥がすと、そのままゴッチ式のパイルドライバーで気絶させてからジムに運び込んだ。
だがババアはすぐに目を覚ました。
そして打たれ強かった。
ものは試しとリングに立たせてみたところ、厭そうな表情とは裏腹に人を殴り慣れるにつれてKO率も上がり、いまこうして目の前で決勝の舞台で闘おうとしている。
俺はババアの背中を叩いて送り出した。
ババアは急に立ち止まると、振り向いて俺にグローブの拳を見せて鼻を鳴らした。
そしてババアは光と拍手の渦に飲み込まれていった。
リングアナが絶叫する。
「赤コーナァー145cm45kgォーン、レッドフラッグゥゥゥともォーこォー」
ロープを潜ってリングに入ったババアは陰鬱な表情だった。
そして陰鬱な表情で右手を挙げて観客の声援に応えた、
ムエタイパンツの裾に下がったフリンジまでもが陰鬱な影を揺らしている様に見える。
「青コーナァー140cm49kgォーァン、ガンジィイーまさァーよォー」
ババアの対角線に立ったババアもやはり陰鬱な表情で力なく片手を挙げた。
相手のガンジーまさよも難敵である事は間違い無い。
打たれ強さ、特に精神的な強さが類を見ないババアだという話だ。
全ての試合が判定勝ちなのだが斃されなさで言えば今大会で断トツだろう。
噂で聞いた話だが、駅前で「戦争反対」だか「軍拡より生活」だかのプラカードを持って立っていて、右翼思想の若者に詰め寄られても全て無視して立っていたところをスカウトされたらしい。
もっともその時の強引なスカウト傷が原因で左耳があまり良く聴こえていないと言うが、本当だろうか。
「レフェリー、キャピタル原山」
打って変わって地味に紹介されたレフェリーが四方に軽く頭を下げる。
リングアナは本部席に戻り、木槌を硬く握り締めるとゴングを睨みつけた。
レフェリーがババア達を呼びつける。
ババア達はリングの中央に立ってグローブを合わせた。
レフェリーが何事かを言うが、もうババア達には聞こえてはいまい。
それにババアたちはルールを分かっている。
改めて言われるまでもない。
派手な照明と音楽が鳴り響いている。
ババア達の顔は相変わらず下を向いていたが、次第に目が異様な光を帯びていくのが見てとれた。
生き残りをかけた闘いであり、それは紛れもない現実だった。
リングアナが振るった木槌がゴングを叩き、乾いた美しい音が響く。
両サイドから飛び出したババアたちは互いを牽制する事なく全力の右ねこパンチを繰り出した。
レッドフラッグともこの強烈なワンツーねこパンチがガンジーまさよにヒットした。
しかしガンジーまさよは崩れない。
効いていないはずがない。
だが、あまりにも反応が無いと不安になる。
そうやって不安が不安を呼び、やがて焦りに変わり、自滅する。
それがガンジーまさよの戦略だ。
レッドフラッグともこが手数を増やし始めた。
焦り出したのだ。
「落ち着け、打ち返してこないんだから効いてる、大丈夫だ。ペースを変えるな」
俺はマットを叩きながら大声で言った。
しかし聴こえてはいないだう。
アドレナリンで沸騰した脳みそ、充血した眼球は視野狭窄に陥り、クレバーさとほほど遠い状態になる。
プレッシャーからくる疲労の限界。
俺は首にかけたタオルを掴みかけて、そっと床に落とした。
あいつが勝とうが負けようが俺には関係が無いし、死んだって構わない。
腫れ上がったまぶたで見る光はどんな風で、薄れゆく意識の中でババアたちは何を考えたのだろうか。
手に巻いたバンテージを解きながらレッドフラッグともこは呼吸を整えていた。
ウィッグが斜めになり、差し歯はどこかに飛んでいた。
目はいまだ引かぬアドレナリンで爛々と輝いていた。
「これで話を聞いて貰えるんですよね」
乱れた熱い息を吐きながら言う。
俺たちは黙っていた。
「勝ったら、勝ち残ったら話を聴いてくれる、そう言ってましたよね」
俺たちは顔を見合わせて頷く。
レッドフラッグともこは嬉しそうに何かを話しだした。
喋るのは自由だ。
好きに、気が済むまで喋ったらいい。
その権利を勝ち取ったんだ。
ババアは自由だ。最初からな。
俺は念仏の様なババアの話を聞きながらあくびをした。
次は防衛戦か。
面倒くさいな、と思った。
ババアは、負けたら単なるババアだ。
早く単なるババアに戻ればいいのにな。
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