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ウクライナ。こんなにも狂った世界で、恐怖に震えながらも、かれらは掃除をし、祈り、ボルシチを作って仲間と分け合って食べ、音楽を奏で、聴く。

ウクライナのいろんな音楽を紹介するつもりでこの文章を書きはじめたのだけれど、しかしウクライナ戦争に触れないわけにはゆかず、戦争についての記述がえらく長くなってしまった。もっぱらウクライナ音楽にのみ興味のある人は、どうぞ後半までスクロールしてください。


2022年2月後半から二か月を越えるロシアとの激戦で廃墟と化したDonetsʹka州の工業と港湾の都市Mariupolの日常生活。少年は語る、「あのボロボロにされた建物はぼくのおばあちゃんちだった。」他方、女性は語る、「いまやウクライナの通貨は見向きもされず、どんどんルシアン・ルーブルにとってかわられています。」2022年の7月末の映像。


この世界は狂っている。〈ロシア 対 ウクライナ〉の構図の向こうに、ロシアの石油利権を狙うネオコンの姿が見えます。かれらのシナリオはNATOがロシアを威嚇・牽制し、さらにはウクライナの民族主義者(=反ロシア勢力)がロシア系ウクライナ人を迫害虐殺することによってロシアを挑発し、まずロシアに戦争をおこさせ、次にウクライナへの支援を募り西側諸国の同盟を強め、ウクライナにロシアをぼこぼこにさせ、プーチンを失脚させ、石油利権を手に入れるというもの。ネオコンはそのための行動を起こすチャンスをうかがっていた。


その「時」はいつ訪れたか? それはCrimeaでおこなわれたロシア系住民の排撃を契機に、2014年3月ロシアがクリミアを併合した時である。(クリミアの住民の6割がロシア人である。)このときから情勢は一気に不穏になる。なぜなら、ネオコンにとって、〈プーチン大統領による他国への許しがたい主権侵害、暴力的領土拡大政策〉としてロシアを非難し攻撃できる恰好の口実だからである。しかも、続いて2014年から2022年まで、東部のドネツク、ルガンスク両州(ドンバス地方)で激しい紛争の後、ロシア連邦ドネツク人民共和国となった。この時期この地の市民たちの多くは自分の家を離れ、引っ越しを余儀なくなれた。


この紛争をなんとかしなければならない。そこでロシアとウクライナ、ドイツ、フランスの首脳が15年2月に、ロシアを後ろ盾とする親ロ派武装勢力 対 ウクライナ軍の停止間の和平に向けて、ロシアとウクライナ、ドイツ、フランスの首脳によって、ベラルーシの首都ミンスクで、ミンスク合意 Minsk Protocol (停戦合意)が結ばれた。これによって平和が訪れるはずだった。ところが大規模な戦闘こそ止まったものの、しかし合意後も断続的に戦闘が続く。ミンスク合意はなぜ反故にされてしまったのか? それはネオコンがなにがなんでもウクライナとロシアを戦争させたいからである。


ネオコンの目的はロシアを叩き潰し、石油利権を奪うこと。2019年大統領にえらばれたZelenskyyはこのシナリオに沿って「かれらネオコンに」選ばれた人物である。あとはウクライナの民族主義者(=反ロシア勢力)がロシア系ウクライナ人を迫害虐殺することによってロシアを挑発し、プーチンからの先制攻撃を待つばかりである。これが2022年2月までのシナリオである。



そもそもウクライナ人はソヴィエト連邦の版図に組み込まれてからさんざんひどいめにあっていて、かれらはそもそもロシアに恨み骨髄である。
ウクライナは2015年の4月、ソヴィエト連邦時代の共産主義記念碑の撤去を宣言。これにてオデッサの街に建っていたロシア革命の指導者レーニンの記念碑は撤去され、あろうことかいまでは『スターウォーズ』のDarth Vader像が建っています。ウクライナはロシアにはこりごりで、はやくNATOに入って、欧米の側につきたい。しかし、ロシアにとってそれは許しがたい裏切りである。この状況でウクライナ民族主義が燃え上がるのも当然のこと。ウクライナ軍は、陸軍、海軍、空軍、空中機動軍、特殊作戦軍の5軍から成っているものの、民間軍事請負会社も入っているし、兵隊たちはさまざまな出自を持っている。たとえばMariupolを拠点とするAzov Brigade(アゾフ大隊)はウクライナ民族主義者の過激派で、ネオナチを自称する半グレ集団のテロ組織である。かれらは2014年5月に志願民兵として結成され、のちにウクライナ国家警備隊の契約兵に組み込まれたものの、とっくにかれらはZelenskyy大統領でさえも手を焼く勢力になっている。


他方、プーチン大統領は、2022年ドネツク人民共和国で住民投票をおこない、ほとんどの市民がロシアによる統治を支持した。しかし、国連はこれを不正な数字と見なし、ロシア連邦ドネツク人民共和国を支持しないように各国に呼び掛けた。さらには2022年10月にウクライナがドネツク人民共和国にロケット砲を打ち込む。これを受けてプーチン大統領は「ウクライナの非軍事化と非ナチス化を目的とした特別軍事作戦」を開始した。戦争のはじまりである。


しかしロシアを舐めてはいけない。ロシアを怒らせたらなにをしでかすかわからない。2022年2月後半、いよいよロシア軍は攻撃に転じた。初戦ではウクライナの首都Kyiv近郊Buchaで乱暴狼藉と大虐殺を行い街を廃墟にしながらもしかし敗退、その後ロシア軍は攻撃目標を東部工業地帯Donbasに変更した。(ロシア系市民が多い地域である。) なぜロシアはウクライナ東部を攻撃するのか? 


もちろん前述の直近の因縁がある。しかもそれだけではない。そもそも歴史的にロシアは、モスクワからウクライナ東部、そして黒海を通り、地中海へ通じる版図が欲しいのだ。すでにロシアはクリミア半島を実行支配している。なお、黒海の北にazov海という内海があって、黒海とazov 海は川幅19キロのKerch海峡で繋がっている。(Kerch海峡はおおよそ荒川ていどの川幅です。)このKerch海峡の左岸がクリミア半島であり、右岸がTaman半島でロシアの領土である。いまKerch海峡の両岸を繋ぐクリミア橋が建設されつつある。おもえば17世紀以来19世紀末まで、ロシアはトルコと何度となく戦争をしていて、なんとしてでも冬でも凍らない港が欲しい。はやいはなしがロシアは地政学的な目的で、黒海を経て地中海へ出るまで自国の領土にしたいのだ。かつてロシアのその野望は大英帝国に阻止され挫折した。しかしロシアのその悲願は21世紀のいまなお変わらない。


それにしてもロシアのウクライナ侵攻のなんという残虐さだろう。もちろん現代の戦争は民間軍事請負会社各社が絡み、ともすれば統制がとれなくなりやすいこともあるにしても、それにしても惨い。ぼくはこのDonetsʹka州Mariupolの悲惨な現実をリトアニアのフィルムメイカーであり人類学者、考古学者でもあるMantas Kvedaravicius監督の映画『マリウポリ 7日間の記録 Mariupolis 2』で知った。開戦後2カ月ほどのMariupolでは、数分ごとに爆音が響き、地面が揺れ、窓ガラスが割れ、ミサイルが飛び、家々が燃え、黒煙が立ち昇る。発電機工場が爆破され、製油工場も焼け落ちた。たくさんの教会、修道院、図書館、人々が避難していた劇場も爆破され、ウクライナ兵士たちの記念碑も破壊された。剥き出しの土の道には戦車の轍。しかもどこに地雷が仕掛けられているかわからない。いたるところに死体が転がっている。盛り土の上に捧げられた数本の薔薇も枯れている。開戦数日でこのありさまだ。かつての緑のたくさんある整然とした工業と港湾の都市の面影はもはやどこにもない。わずかに爆撃をまぬがれた教会へ身を寄せて暮らす老若男女たち。誰もがみんな一文なしだ。すべてを失いいま辛うじて生きている。いつ殺されるかわからないなかそれでも朝になれば教会の前庭を掃き清める。煉瓦を組んで炉を作り大鍋でボルシチを作る。香りづけに大鍋にディルを入れる。鳩たちが訪れ、犬が鳩を威嚇し、鳩たちは飛び立ってゆく。遠くで消炎が立ち昇る空へ。神父は述べる、神への祈りと感謝の言葉を。


この映画には演出もなく、人々のちいさな物語を拾い集め群像劇を作る気もなく、ただ定点観測的に撮影されたフィルムを遺して監督も殺されてしまったゆえ、編集さえもろくになされず、ショットの長さの調整もなく、音楽もなく、盛りあがりもない、きわめて即物的な映画でただひたすら生々しい。


すでにウクライナの領土の20%にあたる東部地域からクリミア半島にかけてはロシアによって削り取られるように占領されています。北から南に、(Kharkivはまだ占領されていないものの砲撃にさらされ)、Donetskは前述のとおり、Mykolaiv、Zaporizhzhia、LuhanskそしてCrimea、Khersonもロシアに実行支配されています。しかもややこしいことに、ロシアにはウクライナのロシア系ウクライナ市民をネオナチによる弾圧から解放し、ロシア系市民を護るという名目がある。これが泥仕合を長引かせている根本的な理由です。しかしこのような国家間のパワーゲームでなにもかも根こそぎ奪われるのはウクライナ市民だ。しかも西側諸国からの支援がウクライナ軍を助け、そして皮肉なことに同時に戦争を長引かせてもいる。



いまになってぼくらはかつてウクライナが美しい国だったことを知る。ミネルヴァのふくろうは夕暮れに飛び立つ? いいえ、そもそもふくろうはネズミやモグラをむさぼり喰う悪食でしかもたいして役にも立たないぶさいくな鳥だ。


音楽はウクライナがどんなところなのか、どんな文化を形成してきたのか、言葉よりもよほど雄弁に伝えてくれる。そしてまたそこにひとりひとりの個人が生きたこと、そしていま生きていることをも。


Kvitka Cisyk (Квітка Цісик クビツカ・ツィシック 1953-1998 ウクライナ系アメリカ人。ニューヨーク生まれ、ニューヨーク没。


以下は、現在のウクライナの音楽家たち。

olga pulatova(b1975 本名 Ольга Валентиновна  Пулатова ) 人気のビーチのある港湾都市Odessa生まれ。ウクライナの歌手、演奏家、作曲家、詩人。


Flëur ウクライナのオデッサ出身の Olena Voinarovska  と  Olga Pulatova のふたりのヴォーカリストを中心とした音楽グループ。Olga Pulatova は作曲、編曲を担当。



Cepasa (b.1986 本名  Павло Володимирович Ленченко; パベルウラジミロビッチレンチェンコ。キエフ生まれ。ウクライナの電子音楽家、プロデューサー、パフォーマー。)


Jamala - ”1944”

Jamala (b.1983-)はウクライナの歌手。この曲は1940年代、クリミアのタタール人が、ロシアへの強制的併合を受け入れなかったため、ナチスドイツへの協力という名目で、中央アジアへ強制追放されたことについての歌です。この歌は、ちょうどクリミア半島がロシアに併合された時期にリリースされました。この歌は2016年のEurovison Song Contest で優勝した。


Kalush(rap group) ~ Kalush Orchestra

カルーシュ。2019年にラップグループとして結成され、民族音楽色を濃くするようになって、カルーシュオーケストラと名乗るようになって、Def Jam レーベルから作品をリリース、UKを中心に活動中。この曲『ステファニア』はカルーシュオーケストラのフロントマン、オレ・プシュークの母親であるステファニアに捧げられたもの。この曲はウクライナとリトアニアでチャートインし、フィンランドやスウェーデンなど他の多くの国でトップ10に入った。


ウクライナのヴァイオリニストで作曲家の、Illya Bondarenkoさんの2nd string quartet。ハンガリーの作曲家、Bartók を連想する楽想と展開をぼくは好きにならずにはいられない。

なお、Illya Bondarenkoさんはクラシックにとどまらず、ジャズ、エレクトロニカ、クレズマー、バロックなどさまざまな音楽を演奏しています。かれは世界94カ国の29人のヴァイオリニストに連絡を取って、このウクライナ民謡の合奏を実現した。

これを坂本龍一さんがネットで聴き、2022年の3月、Illya Bondarenkoさんのためになにか曲を書きたいと提案し、ふたりのファイルのやりとりを通じて作曲されたのがこの曲”Piece for Illia”。坂本さんにとってはアルバム『12』の全曲を録り終えた後の、おそらく遺作にあたる曲でしょう。

#私のプレイリスト


https://note.com/suzzy_jullias

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