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「顔はあんまりかわいくないな」と言われた日から、私はずっと整形に取り憑かれている。

私は「かわいい」という言葉が大好きで、大好きなのに羨ましくて、羨ましいのに憎くて、憎いのに執着している。今は消してしまったけれど、「私の病気、かわいいコンプレックス」と題した記事を書いたこともある。私の「かわいい」への想いは、ただ「好きだから」とか「嬉しいから」とかで語れるものではなく、女の子特有の複雑性を秘めている。

中学生の頃、クラスの女の子からよく「かわいい、かわいい」とチヤホヤされた。否、おもちゃにされていた。決して褒められていたとは思えない。初めて「かわいい」と言われた日は舞い上がる程嬉しかったけれど、毎日毎日1日に何回も「かわいい〜」しか言われないと楽しくないし嬉しくもない。

私だって分かっていたのだ。女の子の言う「かわいい」は、ただ1人のターゲットをみんなで取り囲んでキャーキャー騒ぎたいだけの手段に過ぎないのだと。「見下されていたのでは?」とさえ思う。きっと私の知らないところでは、「アイツ別に顔かわいくないのに『かわいいかわいい』言われててウザくね?」とか言われてたんじゃないかなと思う。ひねくれすぎだろうか。でも実際、それほどまでにストレスだった。

「私がかわいくなくなったら、この子たちは私のこと好きじゃなくなるんだろうな」と思っていた。だから「私はかわいい女の子でいなければ」と強く思い込んで、いつも表情筋に力を入れて生きてきた。14歳の頃からそうやってずっと、「かわいい」と言われることに必死になって生きてきた。

大学生になってメイクをするようになって、余計にその"かわいいコンプレックス"は強くなった。メイクを施した自分の顔はそれなりに嫌いじゃなかったけれど、メイクを落とした時の落差に毎晩がっかりした。それに、SNSで見る"生まれ持った美人"には、私がどれだけメイクをしても敵わないのだった。

次第にコンプレックスが酷くなり、歩いてたった30秒の距離にあるコンビニに行くのすら、メイクをしないと外に出られなくなった。今になって思い返してみると、病的だったなぁと思う。

そしていつからか、整形のことを調べるようになった。コンビニで最低賃金で働いていた私には簡単には手が出せない金額だったけど、大学卒業後までに絶対に二重の整形をしてかわいくなろうと決めて、少ないお給料をコツコツと30万まで貯めた。

そして大学卒業間際、その貯金を使って初めて二重の整形をした。かわいくなれるのは嬉しかったけれど、目の上にメスを入れるのはもちろんすごく怖かった。ダウンタイムが終わるまで、すごく不安だった。だけど、今まで必死に濃いアイシャドウで二重に見せていた毎朝のメイク工程が楽になって、コンビニくらいならリップを塗るくらいで外に出られるようになった。かわいいお洋服を着るのも、前よりずっと嬉しくなった。

そしてちょっと自信がつくようになって半年くらい経ち、好きなお洋服を着て女の子と2人で楽しく街を歩いている時だった。

後ろから私たちを抜かして歩いてきた1人の男性が急にこちらを振り替って私の顔を覗き込み、ボソッと独り言を言った。

「顔はあんまりかわいくないな」

咄嗟のことでびっくりしたが、私も負けず嫌いなので反射で「ごめんね〜!」と大きな声で返してやった。するとさらにその男は、「脚は良いのにな」と言って逃げる様に去っていった。

一緒にいた女の子もびっくりした顔で言葉が出ずにいるようだったので、私はさらに気丈に明るく振る舞って、わざと大きな声で笑った。笑って誤魔化した。笑って乗り越えようとした。

だけどもちろん、心の底から悲しかった。アルバイトして頑張って貯めた30万を使って整形して、やっと自信が持てるようになったところなのに、こんなんじゃダメなんだ。こんなんじゃ足りないんだ。私ってかわいくないんだ。

家に帰るまでも家に帰ってからも、ずっとずっと頭の中をあの男の声がぐるぐると反響した。消したいのに消えなかった。その日の日記にも書いた。3年前の夏の日記。それをつい最近偶然読み返して、また悲しくなった。何年経ってもあの光景が焼き付いて、永遠に消えない。

そしてまた血眼になって、整形の情報を調べるのだった。

客観的に見れば、きっと私は特段顔の造形が悪いというわけではないのだと思う。だけど今ではもう、鼻の形がもっとこうだったら…目の大きさがもっとこうだったら…と、些細な部分が大嫌いに見える。

あの男はあの瞬間のことも、あの時すれ違った私のことも、永遠に思い出さないまま生きていくんだろうな。私は永遠に引きずって生きていくのに。

かわいい女の子に生まれたかった。前を見て胸を張って外を歩ける女の子になりたかった。今日も何度も何度も鏡を見て、落胆するのだろう。

自分の書いた言葉を本にするのがずっと夢です。