5/24の日記 飲みの場が好きな人

おコロナ様のおかげで、1ヶ月ほど仕事がなかった。

私の仕事は、端的に言えば「飲み屋のねえちゃん」である。バーテンダーとも、スナックのママともちょっと違う。

お酒を扱うスペシャリストとしてお客様の舌をうならせたり、疲れ切った企業マンを慰めたり、というよりも、同席したお客さん同士の雰囲気をトークとちょっとしたお料理で取り持つ、というのが仕事だと思っている。

意識しているのは、宅飲みのホスト。気兼ねなく呼べる人たちを集めて、少し自慢できるようなツマミを振る舞って、喜んでもらえたらこっちも嬉しいな、みたいな、そういう環境。おかげさまで、常連さんがたくさんできた。

コロナ禍中、店を閉めていた。小さな飲み屋が多いエリアは、ハシゴ客で成り立っている。徐々に客足が遠のき、休業する店が増えていく中、最後までいたのはやはり常連客。

「あそこの店が閉めてるから、行くとこ無くなったわ」とぼやく常連のおじさんたちを見ていると、結局この人たちは酒そのものより酒がある席が好きなんだなと感じる。

酒場にいる人間は必ずしも酒好きではない。

酒があって、会話があって、さらに酒がないと生まれない会話がある、その場を愛している。

酒を飲まないと生まれない会話なんて、素面では聞くに耐えないクソみたいな話題ばっかりだ。今日は、「今から電車に乗るというタイミングでうんこを漏らした場合、そのパンツは持って帰るか、駅のトイレにそっと置いておくべきか」という論争が繰り広げられていた。実体験に基づいた、熱い論争だ。かたや「うんこのついたパンツを車内に持って入るのはコンプライアンス上問題」と説き、一方は「うんこのついたパンツをトイレに置き去りにするとは言語道断、処理をする人の気持ちを考えているのか」と熱く語る。そもそも漏らさないでくれ。そんなことになるなら酒なんてやめてしまえ。と思うが、こんな会話は酒が入ってないと中々盛り上がらないと思う。

話はそれたが、酒場はこういうクソみたいな会話を、誰しもが「まあ飲み屋だしな」と許容することで成り立っている。

そうやってリラックスできる場が無かった1ヶ月間、飲み屋街の住人たちは本当に息が詰まる思いをしていたのだろうな、と思う営業再開一週間であった。

「久しぶりやな、どうしてたん?」と声をかければ、30も歳上のおっちゃんでさえ「聞いてぇや、こないだな〜〜」と、実家に帰ってきた息子のようにリラックスして話し始める。

正直、小さな酒場の灯りはこの一年で相当消えていくだろう。うちも然りだ。どうなるか本当に分からない。

そういう人たちのために頑張って営業するぞ!というモチベーションはさして無い(ニート気質だから)が、誘蛾灯を失った彼らがどこへ収束していくのかは気になるな、と思った。オチてないが、今日はこれで終わる。明日は休みだ。酒を飲もう。

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