金玉をとった話

今から約5年前、僕は金玉を取った。精巣腫瘍だった。

この病気の啓発のため、僕が経験したことの一部を記そうと思う。決して暗い話ではない。どうか最後まで読んでもらえると嬉しい。なお、摘出したのは片側だけであり、僕ともう一つの金玉は無事なので、安心して読んでほしい。


 最初の違和感はソファに座ったときだった。家に帰り、いつものようにコンビニで買った弁当を机に置き、テレビをつけ、ソファにドスンと腰をおろした瞬間、下腹部に鈍痛が走った。男性ならば一度は経験したことであろう、あの痛みだ。金玉を打ったのだ。体を揺らして痛みの波が過ぎ去るのをやり過ごした後、腰をトントンと叩きながらそれぞれが所定の位置に来るように調整し、今度はゆっくりと腰をおろした。
 少し冷静になり、状況を整理した。痛み自体は慣れ親しんだものだったが、このシチュエーションでの痛みは初めてだったからだ。ソファに硬いものはなかったし、極端に締め付けの強いズボンを履いているわけでもない。なんとなく分かったことは、どうやら僕は金玉を踏んだらしい、ということだった。玉が2つあることを確認し、すっかり冷えた弁当を食べ、眠りについた。

 それ以来、僕はいつも以上に金玉を意識するようになっていた。ラボの椅子に座る時や、用を足す時、シャワーを浴びる時など、踏んづける可能性のある時や股間に手を伸ばす機会のある時に、金玉を触って確認するようになっていた。踏んづけたくなかったし、少し腫れているように感じたからだ。
 踏んづけ事故から一週間ほどが経った頃だろうか、日々の観察を通して「大きかも...」という疑念は、「デカい」という確信に変わっていた。僕の症状を一度おさらいしよう。

・右睾丸の実質性腫大(踏んづけるほど)
・痛み、熱感なし
・陰嚢は大きくない(見た目には大きさの違いがわからない)

   ヒトと動物の違いはあれど、医学を学んだ身である。なんとなくヤバいことは分かっていたが、認めたくなかった。
   がんになるには若いし、何科に行けばいいのか分からないし、病院に行く時間もないという理由から、「自宅にて経過観察」というなんとも都合の良い自己診断をした。


 金玉踏んづけ事故から十数日が経った頃、千載一遇のチャンスが訪れた。研究室に泌尿器科のドクター、Aさんが実験をしにやってきたのだ。
 彼は一年ほど前から不定期的に来ていたが、ここ数カ月は忙しかったらしく、会うのは久しぶりだった。ひとしきり実験を終え、学生部屋で談笑している中、僕は下半身の悩みを打ち明けることにした。

「僕、金玉片方だけデカイんですよー笑。これって何科に行けばいいんですかね?」

 冗談のふりをして質問をぶつけた。一瞬変な空気になった。たしかに話題提供にしてはしょうもないし、ボケにしてはつまらない。その場に居合わせた後輩や指導教官は少し反応に困りながらも、変な病気もらってきたんじゃないか?などと囃し立て、場を明るくしてくれた。そんな中、Aさんの問診が始まった。金玉のお悩みは泌尿器科医の領分とのことだった。

「陰嚢水腫ですかね?玉と袋どっちが大きいんですか?」
「玉です。ちょっと硬い感じです。」

「痛みはどうですか?あと熱とか」
「どっちもないです。ただおっきいだけです。」

「今おいくつですか?」
「26です。若いし、がんとかはないですよねー笑。」

僕が明るく問診に答えていくごとに、Aさんの顔が曇ってゆく。

「今ちょっとみせてもらえますか?ここじゃなくて、誰も居ないところとかで。服の上とかからでもいいんで。」
「えっ!?いやー...。ちょっと怖いし恥ずかしいです...。」

 Aさんの泌尿器科医としてのありがたい申し出に、乙女のような気持ち悪い反応をしてしまった。何回か不毛な押し問答があった後、結局Aさんに診ていただくことになった。本当に申し訳ない。

 別室に移動し、しゃがむAさんの眼前で、僕はするりとズボンを脱いだ。Aさんの手が僕の股間に伸びてくる。他人に股間を弄られるのは久しぶりだったし、ましてや同性に触られるなど小学校の休み時間以来だった。ただただ遠くを見つめ、時間が過ぎるのを待った。

「あー...。これは...。」

何か良くないものでも見つけてしまったかのような声色だった。

「とにかく病院にすぐ来てください。診察に空きがあればこのまますぐにでも。場合によっては即入院、手術になるかもしれないです。」

 ある程度覚悟はしていたつもりだったのだが、改めて医師のお墨付きをもらい、なんだかふわふわした気持ちになっていた。


 Aさんとともに学生部屋に戻ると、さっきまでの明るい雰囲気はどこにもなかった。僕が触診されている間、後輩がネットで色々と検索したらしい。僕はみんなに「なんかヤバいかもしれないらしい」と伝え、Aさんが補足をした。精巣腫瘍の可能性があること、20代後半から30代前半までに多いこと、10万人に1人くらいの頻度であること、手術をしてきちんと化学療法を受ければ基本的には治ること、細胞診などはせずに基本的には摘出後に病理診断をすること、早期発見・早期治療が肝心で今回は超初期の可能性が高いことなど、色々と教えてくれた。その場にいた全員が、僕から片玉が失われることをなんとなく理解し、なんとも言えない空気になっていた。そんな最中、僕は別のことを考えていた。

「金玉から細胞株が樹立できるのでは?」

 当時僕はヒトのiPS細胞を使った遺伝子発現制御に関する研究を行っていた。ヒト試料を使った研究は倫理申請等、色々とハードルが高いこともあり、iPSに限らず、扱えるヒト由来の細胞株はあまり多くなかった。がん由来の多能性幹細胞が樹立できればiPS細胞との比較もできる。自分のサンプルならば同意取得も楽だし、何よりも学会発表や研究紹介の際の強烈なインパクトになる。樹立できた暁には、一生モノの鉄板ネタになるのは確実である。

 意を決して、細胞株樹立について提案してみた。局所麻酔で取ってもらった後、自分で培養すればAさんや医局の手を煩わせることもないし、倫理審査などもスキップできると考えていた。様々な動物の組織から細胞株を樹立した経験もあったので樹立する自信もあった。我ながら良いアイデアだと思っていたが、あっけなく指導教官に却下された。細胞株を樹立する意義自体に異論はないが、増殖性の自己細胞を本人が培養することはバイオセーフティの観点から認められないし、ヒト試料を使う以上倫理審査委員会の承認は避けて通れない、とのことだった。言われてみればそのとおりである。

 その後Aさんが医局に連絡し、診察枠を確認してくれた。結局その日は診察の枠が空いておらず、週明けの診察となった。少し不安な土日を過ごし、病院に行き診察室を開けた。
 そこにいたのはAさんではなく、見知らぬ女医さんだった。僕は勝手にAさんが主治医になるものだと思っていたので、少し戸惑った。見知らぬ女医さんはAさんから状況を聞いていたのだろう、すぐに触診と超音波検査が行われた。画面を見ながら検査結果を少し説明してもらったあと、入院日と手術日が決定した。Aさんの紹介ということもあり、いわゆるガン告知のようなものもなく、バイトのシフトを決めるくらいのテンポで予定が組まれていった。

 入院期間中の話や、術後の話は長くなるので、事の顛末だけを記す。機会があればいつか書こうと思う。

 無事、腫瘍は摘出された。高位精巣摘除術という術式だった。摘出された腫瘍は病理検査に送られ、ステージIのセミノーマと診断された。正常部分に比べて腫瘍体積は3倍くらいだった。超初期ということもあり、放射線の予防照射は行わず、定期的な術後フォローを行うことになった。術後5年が経過した今も、再発はなく、健康に過ごしている。

 最後にAさんの大活躍をもう一つ。学生部屋での会話の後、病院への紹介とともに細胞株樹立の手続きを進めてくれていたのだ。僕の指導教官が言っていた「樹立自体の意義はある」という部分に興味を持ち、医長に掛け合ってくれたらしい。学術的にも価値があるし、患者の同意も取れているということで、医長の許可が降り、Aさんが必要書類の準備や手続き、培養を行ってくださった。Aさんが主治医でなかったことも合点がいく。
 結局、僕の細胞自体の悪性度がそこまで高くなかったこともあり、細胞株は樹立できなかったが、「自分の病気が研究に役立つかもしれない」という希望は、入院中の僕の支えとなった。Aさん本当にありがとうございました。



 日本人の2人に1人が、一生涯のうち一度はがんを経験する。僕がこうして5年前の出来事を笑って振り返ることができているのは、がん経験者の中でも飛び抜けてラッキーな方だと思う。そしてこれは超早期で病院に連れて行ってくれたAさんのおかげにほかならない。もしもこれを読んでいるあなたの周りに20代, 30代の男性がいるならば、この病気のことや20代でもがんになること、金玉のトラブルは早めに泌尿器科に相談することを広めていただけると幸いである。

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