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2025年問題のその後【介護・医療が必要な親】にならないために

(本記事は2019年11月25日にブログにアップしたものですが備忘録としてこちらにも記しておきます。)

みなさんは、自分が老いていく姿を想像したことがありますか?

毎日元気に朝起きられて、好きなものを食べて生活できる現実のなかでは、なかなか弱った自分をイメージすることが難しいかもしれませんね。スー(@bacteria_suzu)です。
本記事にお越しいただきありがとうございます。
しかし、自分の親という身近な存在が「要介護」になった場合、その現実を突き詰められてもなお、自分の将来を想像しないということは逆に難しいことです。

「自分だってこうなるかもしれない」
「自分がこうなったとき、周りはどう対処してくれるだろう」

そういう不安がよぎって当然ですよね。
2025年には、団塊の世代が75歳以上になって、超高齢社会がかなり色濃くなります。
4人に1人が後期高齢者、3人で1人の高齢者を支えるという「高齢者ありきの社会体制」となり得るのです。
すでに7年をきっている今のうちから、40代以降の私たちが考えておくべきことはたくさんあるのではないでしょうか。

2025年のその後へ向けて私たちの世代が意識改革すべき

今、バリバリと働いている30〜40代、もちろん50代の方達も含めて、私たちが税金を納めているおかげで、現在の要介護の高齢者が軽い負担で命を繋いでいるのです。
今の75歳以上の人たちというのは、戦争に行って戦ったという体験は少ないかもしれませんが、高度成長期に差し掛かりそうな時代、その分岐点を踏ん張って生きてきた人たちではありますね。
幼い頃に戦後を体験し、ひもじい思いもたくさんしたでしょう。
私たちの世代が介護費用を負担しても、多少納得できるところはあります。
では、私たちが高齢者になったときはどうでしょう。
豊かさの真っ只中に生まれ、バブルがはじけたり、大災害を体験したりはあったかもしれませんが、『ザ・平和』な時代です。
苦労?
そんなもんはないに等しいでしょう。
私たちはまだそれでもちょっとは控除が受けられるかもしれません。スズメの涙程度はね。
しかし、私たちの子供たちはそれさえも絶望的ではないでしょうか・・・。

年金など当てにできない時代に何を当てにできるか

2025年問題である団塊の世代の後期高齢化では、すでに社会保障がどんどん手薄になってくると予想されています。
ただ、まだ預貯金額に希望がもてる世代であるのも確かですよね。
若い世代にその治療費や介護費を直接負担してもらわなくても、なんとかなる人が多いかもしれません。
しかし、2050年、私たちが後期高齢者になったとき、自分で自分の老後生活をきちんと維持できる人は少ないといえませんか?
退職金なし、年金ほぼなし、ローン返済の負担、などの暗い影が今からでも想像できます。
労働賃金が伸びない現実を見れば、それを若い世代が負担できるとは思えません。
では、私たちの介護費は何を当てにすればいいのでしょう・・・。
これは他力本願的な思想かもしれませんが、実際に介護にかかる費用というのは、普通に支払える額ではないのです。
社会保障を受けるためにたくさんの税金を納めているのではないのです。それは今の高齢者を支えているというだけなのです。

孤独死を選ぶ人も珍しくない現実

一人暮らしの65歳以上の男女が、今まで以上に増加するとみられている日本です。おそらく「パラサイト・シングル」と呼ばれる、親に生活を依存している人も少なくないでしょう。
そんな人が自然の流れで家に一人残されたとして、身体的だけでなく、精神的にも悲観的になることが大いにあり得ると思います。
自分を心配してくれる存在がいるのといないのとでは、「生きる意欲」が全然違ってくるでしょう。
「生きる意欲」が削がれた高齢独身者が、医療費や介護費を賄えないとなると、選択する道は限られてくるかもしれないですね。
今は元気に生きている人も、70歳を迎える時に同じ感情でいられるとは限りません。
想像したくない「孤独死」も現実的な選択となり得てしまうかもしれません。

人は死ぬときは一人です。

それは家族に囲まれている人もそうでない人も一緒です。
しかし、最期の時の自分のこころができるだけ軽やかで安らかで、幸せなものでありたいと願うのが人情です。
後期高齢時代を一人で暮らすことになった人も、そんな最期を迎えられるように、今からいろいろと模索してみませんか?

介護も医療もお金も必要ない高齢者になるために

悲観しようと思えばいくらでも悲観できる日本です。
しかし、悲観するから行動も悲観的・保守的になってしまうのではないでしょうか。
私たちは、社会依存するために生まれてきたわけではありません。
もっと自由にもっと軽やかに、この命を全うすればいいと思いませんか?
介護費や医療費が賄えないかもしれない?
ならば、体をもっとしっかりケアして、今から足腰を鍛えておけばいいのです。
年金もなく基本的な生活さえ送れないかもしれない?
ならば、お金をかけずに生活できるような知恵を身につければいいのです。
一人で孤独になって人生が楽しめないかもしれない?
ならば、自分から発信して仲間を集ってみればいいのです。

30代から「老化の源」を意識してケアしていく

私は、今現在特に病気を持っていないと自覚しています。
30代、40代、50代概ねそんな人がほとんどではないでしょうか?
幼い頃からの持病などは別として、まだはっきりとした病名のある病気にかかっていない、と思い込んでいるあなた、本当にそうでしょうか?
私たちの肉体や精神を構成しているものは、細胞であり電子信号であり微生物たちです。
その小さな個体の中には毎日生まれる「ガン細胞」もあるでしょう。
年齢とともに、見た目も体力も衰えてくることも事実です。
では、何がどう作用して老化していったり病気になったりするのでしょう。
それには大きな2つの要因があると私は思います。

全身を流れる血流が濁る
生き生きとした細胞が減少する

この2つの現象が起こっていることの発端は、もちろん様々でたくさんのきっかけがあると思います。
そして、それは30歳を境にどんどん進行していくともいわれているのです。
多忙で働き盛りである今のうちから、そこをピンポイントでケアしていくことが“健康で長生き”に直結すると思うのです。

薬をやめてみる

当然、これには危険を伴う事例もあります。
持病のために医師に定期的に検診をしてもらい、その都度薬を処方されている方などは、今すぐやめていい効果を得られるとは言い切れません。
しかし、薬の成分のほとんどが石油などの化学物質で、病気の体が到底処理しきれるような物質ではないものも多分に含まれています。
それを肝臓の正常機能として、解毒してしまうもんだから、それを見越して必要以上の成分を薬には配合してある場合があるのです。
いかがですか?
無駄に飲んでいる薬があるとしたら、それは速攻でやめるべきではないでしょうか。
そして、その症状の根本を見直し、そこに焦点を当てて改善したほうが、よっぽど「元気なおじいちゃん・おばあちゃん」でいられる確率が上がるかもしれません。

プライドと悪しき習慣を捨てる

お金を使わなくても生きようと思えば生きられるはずです。
しかし、この社会の中でそれはほぼ無理に思えるのも確かです。
では、自分が何にお金を使っているか考えてみましょう。

  1. 食べ物

  2. 着るもの

  3. 車両費

  4. 通信費

  5. 家賃

  6. 光熱費

  7. 教育費

などなどです。
これらを、40代以降から一つずつ捨ててみるというのはいかがでしょう。
食べ物は贅沢をやめて、食べる量を半分に減らしてもおそらく健康を大幅に損なうということはないと思います。
着る服だって、これから成長などしない私たちは今あるもので多すぎるくらいです。
家賃や光熱費は仕方がないとしても、車移動を歩きや電車に変えたり、通信費も見直すことは可能です。
お金がなくてもなんとかなることなんて、たくさんあるのです。
それができないたったひとつの大きな足かせを解き放つことが、人類最大の困難であることも確かなのです。
そう、プライドを捨てることが・・・

心の友はお金では買えない

プライドも捨て、お金も必要なくなった自分を、そのまま変わらず受け入れてくれる存在、これだけで人は人生を自由に楽しく生きられると思うのです。
それが家族かもしれないし、友達かもしれない、まだ見ぬ未来の仲間たちかもしれません。
人は必ず一人で死ぬんだという意識を持って、依存しないで付き合える心の友を得られる人生が理想ですね。
2025年には、10人に1人が認知症といわれています。
認知症高齢者が認知症高齢者を介護する、なんていう本来ならあり得ないことが起こるかもしれない未来が私たちを待っています。
そんな未来でも軽やかに自分らしく生きていきたい人は、今からいろんなことを始められるのではないでしょうか。

まとめ

健康とは、病気をしたときに気付くというとても曖昧なものですが、今こうして普通に生活できているということがいかに奇跡的なことなのか、私たちはもっと感じた方がいいかもしれませんね。
テレビや雑誌、インターネットの情報を全部鵜呑みにしてしまうことは、無駄ではありませんが本質を知ることにはならないと思います。
自分の頭で考え、自分の体のことをよく知ろうとし、できればプライドを捨てるような思考にシフトしていけたら、そこに待っている未来は決して悲観するようなものではないかもしれませんね。
今後、子供が増えていくということは考えにくいです。
2人で1人、1人で1人の高齢者を支える社会が訪れることは避けられません。
できるだけ支えを必要としない75歳になりたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。

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