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”広島”でアメリカと日本を繋いだ男~岸田文雄

2024年4月11日(現地時間)の岸田首相の米国両院合同会議の演説は歴史に残る感動的なものでした。



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 最初はNYクイーンズで過ごした小学生時代の話をして、アメリカの子アピールで可愛げ演出。…と見せかけて、自分のような移民の立場の人間ををあたたかく迎えてくれたアメリカの懐の深さを、個人の体験として称賛しています。米国でも移民排除感情が非常に高まっていますが、昔のアニメーションシリーズ『フリントストーン』の台詞まで入れ込んで、個人の思い出であることを強調しています。

 その後は、現在の様々な地球規模の問題を列記しつつ、国際社会で自由と民主主義を犠牲を払いながら擁護し続けてきたアメリカのリーダーシップを称賛。秀逸だったのはこの後。

「一部の米国国民の心の内で、世界における自国のあるべき役割について、自己疑念を持たれていることを感じています。
 この自己疑念は、世界が歴史の転換点を迎えるのと時を同じくして生じているようです。」

…要は、関係ない国の援助する意味なんかないよね、と思うトランプ支持の人の気持ちも分かります!と表明しました。ゼレンスキーが米議会で演説した時は、”ウクライナ支援はウクライナ・欧州だけじゃなくてアメリカのためでもあるんだぞ”みたいなトーンでしたが、岸田首相はアメリカの懐の深さを褒めた上で、懐に飛び込んで見せた。

で、そこまでおもねった直後にぶっこんだのがこの発言。

「広島出身の私は、自身の政治キャリアを『核兵器のない世界』の実現という目標にささげてきました。」

これに対し、米国議会で満場とは言わないまでもスタンディングオベーションが起こるなんて歴史的瞬間ですよ。(下記27分20秒~)
 わざわざ生配信みながらずーーーっと文句と揚げ足取りで暇つぶししていたニコ動の弾幕も、さすがにここだけは雰囲気が変わっています。

 そこから、北朝鮮の核開発とロシアによる核使用の脅威を語り、日米間の協力の重要性を強調しました。アメリカ議会で日本の首相が”広島”に言及した。それも、悲嘆にくれるわけでも糾弾する訳でもなく、日本とアメリカの同盟の重要性を語るキーワードとして広島を位置づけたのです。

 そして続く以下の発言。世が世なら、アメリカ全土が激怒するような生意気な発言ですが、今となっては米国内でもこの発言は支持されたようです。

 「ほぼ独力で国際秩序を維持してきた米国。そこで孤独感や疲弊を感じている米国の国民の皆様に、私は語りかけたいのです。そのような希望を一人双肩に背負うことがいかなる重荷であるのか、私は理解しています。
 世界は米国のリーダーシップを当てにしていますが、米国は、助けもなく、たった一人で、国際秩序を守ることを強いられる理由はありません。」

 「皆様、日本は既に、米国と肩を組んで共に立ち上がっています。米国は独りではありません。日本は米国と共にあります。
 日本は長い年月をかけて変わってきました。第二次世界大戦の荒廃から立ち直った控え目な同盟国から、外の世界に目を向け、強く、コミットした同盟国へと自らを変革してきました。」

 あとは経済・諸問題・宇宙開発などの話題を網羅的に並べて、感謝を述べ、日米関係を「未来のためのグローバル・パートナー」とまとめて演説は終わり。
 経済については、”日本は世界最大の対米投資国です”というアピールはあったものの、自由貿易に関しては演説中はおろか今回の訪米を通じて一言も発言せず。トランプ氏が2024大統領選挙で【関税10%】を公約に掲げており、武士の情けで自由貿易については黙っていたのでしょう。

 演説の言葉遣いについては以上ですが、映像をずっとみていると、ゆっくり話している割に結構頻繁に噛むので聞きづらかったと思います。1.25倍速とかで再生した方が、言い間違いをした単語の確認もしやすくて含めて聴きとりやすい感じでした。ただこれも恐らく結構練習していて、頻繁に発音直されたりして、それで言い直しが多くなったのかな?という背景まで透けて見えるような印象をもちました。

 それにしても、日本人のプライドをくすぐるような歴史的な瞬間だったのに日本国内では「素敵な拍手」ジョークへの揚げ足取りが報道の中心になっているのは興味深い現象です。
 恐らくなんですが、日本のひとはデフォルトで自己疑念が強過ぎなのでしょう。結果、自国の代表である首相ですら揚げ足取るか足を引っ張るかするのが手癖になっている。そのせいで、今回のようなおそらく全ての日本人にとって一生に一度のはずの折角の歴史的瞬間に感動することができていない人が多いという現象が起きた。

 この演説で「素敵な拍手」云々の揚げ足取りしか思いつかなかったなら、この言いまわし貧乏くさくて卑屈な感じで大嫌いなんですが、”人生損してますね”と言われても仕方ないと思いますけれども。