会社員を辞めて、女優になりました。(その経緯、葛藤)

こんにちは、涼川美海です。

今回は、
題の通り

私が女優という夢に蓋をしてきた15年間を経て、
なぜ私が今年芸能活動を始めることになったのか。
その想いや経緯、葛藤を綴ります。


とても長文です。
もし全部読んでくださる気があるのなら、
途中まで読みどこまで読んだか覚えておいて後日続きを読むのも良いでしょう。できれば一気に読んで欲しいですが笑
もし全部読んでくれた方がいたら涼川大変喜びます。ぜひ読み終えたことをお知らせください。

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私の小学生の頃からの夢は、
女優になることでした。

小5の頃からテレビドラマをたくさん観るようになり、すぐに女優という仕事に憧れを持ちました。

憧れというか…絶対になりたいと思っていました。
といっても女優というお仕事は
自分からは程遠く、芸能界なんて雲の上の存在だと思っていたし、
どれほど身近な人であろうと
大きい夢過ぎて恥ずかしくて
誰にも言い出せないことでした。

よほど顔の整った綺麗な人でないとなれないと思っていたし、
オーディションなんて行こうものならそれこそ顔の整った綺麗な子ばかり来ていて
才能もない私を見て
「お前みたいなのがなんで来た‼️」と審査員にぶちのめされるような恐ろしい世界なのだろうと勝手に想像していました。
そもそも審査員の前に立つ度胸がその頃はなかったかも。

加えて

・「北海道に住んでいながら芸能界に入るなんて絶対に無理だ。」
→となると上京が必要になるが…

・「私の両親は芸能界に入るなんてこと絶対に認めてくれない。(特に父。)」などとそもそも言い出せもしないくせに思っていた為、芸能界に入る為に10代の私が何か行動を起こすことはありませんでした。


行動したことといえば、

「女優になる為に、中学に入ったら絶対に演劇部に入る‼️」

と決め、3年間演劇部で活動したことのみ。
確か、まだ入学してもいない中学に演劇部あるかどうかもわからなかったのにね。笑

ちなみに中学入学前に両親が家を買う為
遠方へ引っ越した。
奇跡的にも、

中学入学と同時に演劇部が発足した

のでそこで劇団団長経験のある校長先生(監督と呼べと言われそう呼んでいた)の指導の元、市民文化ホールでの単独公演などなかなかさせてもらえない経験をすることができた。
※先輩には声優志望が多く、部が発足した理由については、私が小6の時に演劇をやりたい先輩が2人で校長先生に交渉していたようで!

演劇をやることに対して親も応援してくれていたのか、演劇をやる上で参考になればと、遠く遠くの地で行われる劇団四季のチケットを取って観に行かせてくれたりした。『赤毛のアン』とか。

高校でも絶対に演劇部に入ると決めていた。
私が住んでいた地域自体に演劇部のある高校が多かったし、元々中学の頃高校の演劇大会も観に行ったので、私の志望校の演劇部がどんな劇をしていてどんな人たちがいるかは知っていた。

実際高校に入学し、演劇部に入るつもりだったのに、結局同じクラスの子に誘われて違う部活の部室へ行ったことをきっかけに、先輩から連日散々勧誘された部活へ入った。
今考えると他人から誘われたことを始めるっていうのはかなり自分らしくない行動。人生を振り返ると、自分で決めて始めたことばかりだから。ちなみにその部活は強豪だった。周囲の部員と比べてそんなに熱を注ぐことができなくて、3年間続けられなかった。演劇部だったら続けられたかも。
(高校で演劇部に入らなかった理由は、私が「入ります」と先輩に宣言したものの入部届を出す前の間に入部した他の部員にある…。色々申し訳なかった。)

そして中学卒業以降演劇や芝居に携わることはなかった。

そんなこんなで、堅実で勤勉な両親の元で育ち小心者だった私は、やはり芸能界に入るだなんて言い出せるはずもなく、
高校、大学へと普通に進学した。
世の中色んな事情の家庭があるけれども、
うちは小学生の頃から「大学まで出るのは当たり前だ」という教育方針の元育てられたので、
特別やりたいことや学びたい学問もなく、高校で勉強がしんどく感じても、大学へ進学した。
(この学問なら唯一興味あるというのが心理学だったから心理学を学べるところにした。)

これ、
今思うと大学に行きたいのにお金の関係で行けないという人に対してすごく失礼な行為かもしれない。大学へ当たり前のように行かせてくれた両親に感謝です。

大学進学時ともなると女優になりたいという想いへは完全に蓋をしているようなものだったが、
東京への強い憧れや小学生まで住んでいた関東へまた絶対に住みたいという気持ちは消えていなかった為、「東京の大学へ進学したい‼️」と言ったものの「有名大学でないと東京へは行かせない!」と言われ、結局北海道内の大学へ進学することになった。
(中学では、良い高校へ行く為、あと自分を下に見てくる人がたくさんいた為見返す為に学校生活が辛い中「勉強で見返す」の一心で必死こいて勉強して成果を出したものの、合格した先の高校生活で勉強を完全に諦めてしまい、有名大学を受けるスタートラインにも立てなかった。)

そんなこんなで
芝居や芸能とは関係の無い大学へ進んだものの、

やっぱり時々女優になりたいという夢を、思い出すことがあった。


まあ思い出すというか、
大学時代、22歳くらいの時に
親しい友人に昔の将来の夢を聞かれた際、
「女優。今でもなれるもんならなりたい。もうこの歳じゃ無理だけど…。」と答えた。
その時、やっと人に女優になりたかったことを言えた。諦めたからこそ、言えた。
友人からの返答が真剣なトーンでの「今からでもできるかもしれないじゃん…!」であっても、
「それはもう無理だよ…。」と答えていた。
(時系列は前後するが、25になりたての時も、
「将来お店経営できるって聞かれたらどんなお店が良い?」と知り合ったばかりの人に聞かれた時、
変な質問だな。と思いつつ、自分がお店を経営したいと思ったことが一切なかったので、「お店じゃなくてできることなら女優になりたい、なりたかっ…た。」と諦めモードで答えていた。)

そんな大学4年の終わり(これも22歳)の冬、
この時は東京で就職する会社も決まっていた。
そんな時にネットでふと、

とある事務所の俳優オーディションの情報が目に入る。


募集要項には【22歳までの男女】の文字。

「受けたい。最後のチャンスかも。」


と強く思った。と同時に、「22で初めてのオーディション?今更なんで来た。」と審査員に言われると思った。その頃の私の性格はやはり小心者だった。行ってみないとそんなのわからないのにね。

受けたいけど、就職が決まっている。
とにかく葛藤し悩んだが、
もう、引き返すことはできない。芸能界に行くことはできない。

と思った。

1人で、ひたすら声を殺して泣いた。

あれは一人暮らししていた大学の近くの地から実家へ帰る高速バスの中だった。
公共の場だから、声を出さぬよう…。
その時は実家へ帰っても少しの間1人でしんみりとしていた。

それから2ヶ月が経った。

大学の卒業式を終え、
東京への引越しも終えた3月のある日だった。

何もすることがなく、暇を持て余していた。
まだコロナ前だったのにどこへも出かけず、家で昼夜逆転生活をしていた。その頃の私はかなり出不精だった。
私は以前録画して観ていなかった朝ドラに夢中になって何十時間も連続で観ていた。

その中で

「人を感動させられるって素晴らしいことだよ」

というセリフをヒロインが言い、
ヒロインの女性と同じ職業且つ職場の女性が号泣して抱き合うシーンがあった。(その2人は漫画家をしていたという設定。1人が花が咲かないor売れなくなってきたから辞めると決断した時でもう1人が売れてる時…だったかな?違ったら申し訳ない)

それを観て、
本当に涙が止まらなかったの。

女優になりたい理由はたくさんあったけど、その中の一つがやっぱり「たくさんの人を感動させたい」ってことだったから、それとリンクして泣けた。

泣き始めてから

やっぱり女優になりたいんだ

と再認識して、

翌月入社が決まっている会社の内定を蹴って会社員にはならず
オーディションを受けて女優になるか(受かる前提かよ!)、
会社員として普通に人生を送っていくかについて、
丸一日ひたすら葛藤した。


約24時間の間にわたって、
泣いては引っ込んで泣いては引っ込んでを繰り返した。
本当に24時間眠れなかったの。


私葛藤した時ずっと文字を綴る人間だから、女優になるのと会社員になるのとで、
どちらの場合どんなメリットデメリットがあるかとかをスマホのメモに書ききれないほど書いたりしながら、ひたすら悩んだ。入社予定の会社の契約書類(その時は送られてきたばかりだったのか、未記入)を机上に置いて悩んだ。

丸一日して
やっぱり芸能界に行く訳にはいかん。普通に生きていくんだよ。と決め、スパッと諦めた。

そこから芸能界に行く、女優になるということは一切考えなくなった。

葛藤した後数日は自分は情緒不安定かよ、一時的な感情だったのかよ、とすごく思ったけど。
夢を押し潰して生きていこうとしたらそうなったんだ。

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そんなこんなで会社に新卒入社して会社員としての生活を送り、
3年目のある日、

ドラマや映画好きの友人が
某連続ドラマで10〜20回ほどセリフを喋っているところを観た。


偶然観たかのような書き方だが、
正式には共通の友人が

連ドラの〇〇に知ってる人が出てる!!!!!

とTVerのURLを送ってくれて、
観てみたらまさかの、

友人がキャストばりにめちゃくちゃ出てるではありませんか。


彼女は会社員で、決して女優志望ではない。
本人に話を聞いてみたところ、
エキストラでまったく初めての芝居であるにも関わらず
そこまでセリフを貰ったのだという。

そして謝礼金のあるエキストラ事務所に登録しているのだという。
ちなみにエキストラは「コロナで暇だから」という理由で始めたと言っていた。

ふつうは、芝居経験なしでエキストラでいきなりそんなに連ドラでセリフを貰えることはない。

彼女はハーフで、国内を歩いていると外国人と思われるような容姿をしている。
彼女のような容姿で日本語を話せる人に需要があった為、本来は全く日本語の通じない外国人に任せるはずだった役どころを、「日本語の通じる人を呼んで!」ということになり、急遽彼女が呼ばれたのだそうだ。(セリフは日本語だったよ。)

彼女に需要があったといえど、
エキストラなのにも関わらずそんなにセリフを貰える場合があるのか…!!自分も出たい!
などと思い、私は咄嗟に行動した。

その時から

完全に諦めていたと思っていた、

過去の夢だと思っていた女優という夢へのスイッチが入った。

そこから有名になるということまで脳内で道筋を描き始めていたりまでしていた。

彼女から詳細を聞いたその夜、
謝礼金のあるエキストラ事務所を探し、登録会の予約をした。

登録会の時、

「役者に興味あってオーディションも興味あるなら
この後やる所属オーディション受けない?」と言われ、
いきなり当日受けることにした。


オーディションは結局ダメだったが(芸歴ないのに受かったら奇跡)

そこから芝居のレッスンにも行くことになり、
エキストラの仕事に多数行くようになる。

(エキストラといえども謝礼金が発生するからか、全ての案件に書類選考があって、出演歴のない人は最初はなかなか受かりにくいと言われている。
私の場合最初の現場は意外にもすぐ決まって駅のホームで声を出すほど驚いたし事務所の人にもこんなにすぐ受かる人は珍しいと言っていたが、
2回目の現場が決まるまで、結構期間が空いた。)

エキストラといっても、倍率は非常に高いものが多い上、
実際受かったら有名バラエティ番組の再現等にかなりアップで映ることも珍しくなかった。
自分は違うと思うがオーラや華のある人しか選ばれないエキストラ現場も多々ある。

1日でも多く撮影に行きたいから、

会社員の仕事がない日は
全て応募した。


芝居のレッスンは、
初めて見学・体験をした時に
本当に楽しいし、これはためになる。と思い、
体験後すぐにそこに入ることを決めた。
最初は「わぁ…!目の前の人が芝居している😳😳本気で違う人になってる😳少しこわい…」みたいなわけのわからない驚きがあったものだが、2〜3回目で目の前の人が芝居をしていることに良い意味ですぐに慣れた。

毎週ある芝居のレッスンの時間が、
1週間の中で1番楽しくて仕方のない有意義な時間だった。

あんなにやりたかった芝居がついにまたできる時間が来るとは。そしてこんなに芝居をしている時間も、芝居の為に使っている時間も楽しいとは。


エキストラや芝居のレッスンを始めてから
1〜2ヶ月経った時点で、

本気で女優を目指したいと思うようになる。

ずっと蓋をしていた夢への扉が開いたのだ。

そして

本気で女優を目指すなら、会社員は辞めるべき

だ、と考えた。

なによりまず平日の撮影に応募できないことが悔しくて仕方がなかった。固定の仕事をしていない人は撮影に応募できる。
1日でも多く撮影現場に行く日数を増やしたかった。

そうして、会社にも迷惑掛けないであろうタイミング(決算期等)を考慮して退職の申し出をし、
会社のみなさん、関わってくれたみなさん(取引先、お客様)に「有名な女優になります!」と宣言して新卒から3年以上働いた会社を退職した。

最初に直属の上長に申し出た時、なんと言われるか少し怖かったけど、
「いやー残念だな、、、でもそういうこと(やりたいことがある)なら応援するよ!!何に出てるの!?がんばってね。」と言ってくれたことが嬉しかったし、

社長も、社員のみなさんも、
(私は営業職だったので)お客様のみなさまも、心から応援してくれた。
本当に温かかった。


会社を辞めてから、毎日撮影に行けるよう毎日たくさんの案件に応募するようになった。
そして応募するだけじゃなく、
女優として飛躍できるよう努力している最中。

会社を辞めて2ヶ月が経った。
まだたった2ヶ月なんだな。笑

最初はエキストラばかりだったけど、
最近今までとは全然違う大きな仕事に受かったりするようになってきた!
スタンドイン(主にCM撮影等で有名な女優さんの代わりに照明アングルチェックの為にカメラの前に立って同じ芝居をする人)に何度も行ったり、

最近ついにCMでキャストの仕事も初めておこなった。


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私は今25歳です。今年26。

この歳で一見若い人しか挑戦出来ないと思われるようなこんなでっかい夢に挑戦することになるとは思わなかったし、
意外と活躍できる場があることに驚いた。
非常に狭き門と思っていた自分のやりたいことにも、居場所があった。

人生って何が起こるかわからない。

1つ言いたいことがある。

私はずっと昔から住みたいと思っていた東京へ大卒後上京してきて、
「なんか自分って元々昔からこの東京に住んでいた気がする。慣れなくて困ることも全然ないし、
違和感がなく、居心地が良い。」と感じたんだ。

それと一緒で、

別に私が芸能活動を始めたのも特別思い切ったわけでも一念発起したつもりもそこまでなくて、
きっかけがあったことで
いざ入ってみたら

「私ってここにいるべきだったんだな」
「全てが真新しいってよりも、元々いる感じで、違和感がない」

と感じている。

偉そうな発言と思われるかもしれないが
そういうつもりで言ってるわけじゃない。

感覚のお話。


芝居をやっている上で、レッスン受けている中でもそういう感じ方をしたの。これが私の本当に来るべき道だったんだと。

なんだか不思議だよね。
環境を変えること自体に慣れているっちゃ慣れているからなのかな?
父の転勤の都合で、転校何度かしたし。(1,000km以上先への転校は2回した)
でも転校した時は、毎回周りに適応できなかった。
どんだけ不器用なんだよってくらい。まず周りとコミュニケーションが取れなかったし取りたくてもその方法がわからなかった。(今は昔とは性格が全然違って超人見知りから初対面の人見知りの子をご飯に誘うくらい社交的になった。)
だから、この説は違う。

環境の変化に慣れているんじゃなくて、

ずっとやりたかった
「東京に住む」「芝居をする」「芸能活動をする」ということが本来の自分に合っていると感じているんだと思う。


不思議だね。
本当に自分のやりたいことだったからかな。

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ここまで読んでくださった方いらっしゃいますか!?もしいらっしゃるなら心から嬉しいです。本当にありがとうございます。書いて良かったです。

今回は女優になりたいと思ってから会社員を辞め、2ヶ月経った今までの経緯を綴りました。
何年か後、

『涼川美海がここまで活躍する女優になるまでの経緯と葛藤』

を書けますように。
=活躍する女優になっていたい。

いや、書けますように。なっていたい。😀🙌🏻
じゃなくて、書く。なる。

夢は叶えるものだ。
やってみなければわからないことは、たくさんあるものですよ。

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今回は私の経験について綴りましたが、
こういった経験に基づいて、
次回以降、みなさんを奮起させるようなことを書くこともあると思います。

お楽しみに。

また、涼川美海のnoteでお会いしましょう。

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