すずかんゼミ生のリアルな対話を覗き見!<トリオリジン>第二弾!✨
こんにちは😁
暑すぎる今日このごろ、みなさん暑さ対策どうしてますか!?
イギリス留学まで1ヶ月をきって最近焦り出した
すずかんゼミ生のかれんです🩰
今回わたしが覗きにいったセルは、24春学期セル大賞を獲得した
しょうえい・かれん・のあ!!!!
なんとなんと4ヶ月で14時間以上のセル会を実施した超仲良しメンバーです
💛💖
8月には3人で江ノ島に花火しに行くほどの中の良さです笑
今回は、3人で下北沢で飲みながら熱い議論を交わしたときの様子をちょっぴりお届けしちゃいます🍻
今回のトリオはこの3人!
Q1.あなたの偏愛とは!?〜オタクすぎる人vsオタクになりたい人〜
のあ:かれんはバレエっていうのが偏愛じゃない?
かれん:そう。まじでバレエオタクなの。
バレエ以上に好きになれるものがない笑
のあ:マジですごいよね。何がそんなに好きなの?
かれん:自分の人生=バレエみたいなところあるから、踊ると自分と向き合えるの。私は社会学とか含め新しいことを学んでいく中で、「これってバレエの社会とこういう風に繋がるな」みたいな感じで物事を見てるから、そういう意味でもバレエは相棒かな。
のあ:それってさ、もはや僕とかが今からバレエ始めてもそれを追体験できるものじゃないんだ?
しょうえい:たしかに
かれん:もはや私のアイデンティティだな〜
のあ:その偏愛の先とさ、自分のそのマイプロ(My Project-ゼミ用語の1つで、ゼミ生個人がやっている活動のこと-)が完全に一致してる人ってさかなり少ないじゃん。
かれん:たしかに、マジでそれは少ないかもしれない。
のあ:だから別にみんなさ、多分一定好きなことやってると思うんだけど、いわゆる偏愛は全然別の領域であったりするじゃん。
しょうえい:(大根食べてもぐもぐしながら)そうね〜。大根うめえ。
かれん:しょうえい、それもちゃんと記事に載るからね(笑)(しっかり載せました←筆者より)
のあ:いや、普通にそこまで好きになれるものを見つけてる人って少ないだろうな。僕は阪神タイガースだけマジで好きで。
しょうえい:出たよ!!!合宿休んで行ってたよ!ちゃんと他のゼミ生から聞いたからね!
のあ:あのね、野球のチケットとるのめちゃくちゃ難しいんですよ。阪神戦。2週間、3週間先の甲子園のチケット全部調べたんだけど、全席売り切れてるの。
かれん:どういうところに愛を感じるの?
のあ:まず143試合とかあるんだけど、全球ハイライトとかも見てる。
ほんとに偏愛で、 ロジックとかはそこにない。
野球は別に選手が勝とうと、僕には嬉しい以外のメリットはないわけですよ。それでもなお好きなのはほんとに偏愛としてふさわしいのかなって。
しょうえい:それでいうと俺はマジでない。これは結構悩みなのよ。
だからアイドル好きな人すっごい羨ましくて。
かれん:オタクみたいな?
しょうえい:こう、心のよりどころにできるというか、自分が落ち込んだ時に偏愛の対象となってる人を見て元気を出すみたいなのはまじで羨ましい。
のあ:横浜BayStars応援した方がいいよ。湘南近いし。
しょうえい:あんまり興味ない笑
のあ:僕そもそも野球がめちゃくちゃ好きで、遺伝子レベルで阪神ファンなんだけど。牧秀悟ってわかる?
しょうえい:しらねえよ〜笑
のあ:え!!WBC出てたのに!?
この前牧選手の9900円のユニフォーム買っちゃったから、野球好きすぎて!
寝巻きにしてるからね、好きすぎて。
かれん:へえ〜!いつから好きなの?
のあ:野球はもう物心ついた時から野球観戦がすきだったのよ。
祖父母がめちゃくちゃ阪神ファンで。
しょうえい:それでいうとサッカーはね、好きなのよ俺。幼稚園から中2までサッカーやってるから、歴でいったら結構長いのよ。
だから ワールドカップも毎回ちゃんと起きて全部応援してるし、ちゃんと日本人選手がいる海外のリーグとかも見てるけど、そこまで別に愛はないんだよね。
のあ:でも、それこそ僕も偏愛でいられることのありがたさをすごい感じてるかも。
しょうえい:マジでないなあ〜〜
かれん:じゃあ偏愛がないとさ、しょうえいはフリータイムは何してるの?
しょうえい:youtubeとかゲームとか。ただ忙しくなったらすぐやらなくなるんだよね。
のあ:いや、それはマジでわかんないな。どんなに忙しくても?
かれん:うん。(バレエは)絶対するよ。
しょうえい:欲しい~マジで!だからいいアイドルとかあったらぜひ!
かれん:(笑)偏愛とかそういうのってさ、持てる人と持てない人いるよね。探してる人はいっぱいいる気がしてさ、何が違うのかな?
のあ:え、バレエ以外は逆にあるの?
かれん:ないない!
のあ:え、じゃあそれどっちかっていうと(偏愛を)持てない側な説ない?
かれん:私、全ての「好き」っていう感情がバレエに一極集中してるの。
好きなものはあるけど、バレエと比べたらそうでもないみたいな
しょうえい:変態やん笑
かれん:Youtubeとかも好きだけど、それだったらバレエみたいなとか思っちゃう。
しょうえい:バレエ見た方が楽しいってどういうこと?
のあ:え、仮にじゃあ無理やり僕に置き換えたらさ、野球中継見てる時に飽きて24時間やってるBloombergの中継見始めるみたいな話?あり得ないんだけど笑笑
(*経済専門の衛生テレビジョン放送局が提供する24時間の番組のこと。)
しょうえい:いや、それはほんとにすごいよマジ。
もうほんとに欲しい。
Q2.あなたのパッションはどこから?〜恵まれた環境でどう生きる?〜
(1)自分の生まれた環境-エリート意識と利他精神-
のあ:バックグラウンドから来る「エリートでなければならない」みたいな意識が強いかな。
しょうえい:その“エリートでなければならない”っていうのは?久留米大(久留米大学附設高等学校)に入ったからなの?
のあ:だからだと思う。しかもその中で、ずっとそういうエリート側として育てられた感があった。
一般的に自分が幸せになれたら、仕事なんて最低限お金稼げて、早く帰れればいいですみたいな、そういうこと言ってる人の方が多いじゃないですか。
ああいう自分が楽にいい暮らしをしたいみたいな気持ちがあんまりわからない。
しょうえい:最近『ゴジラ-1.0』を見たんですよ。
戦争でさ、死なずに帰ってきちゃったっていう人の心情を表してて。
ゴジラと戦う上で死にに行くみたいな。
俺はそういう自己犠牲的なマインドのない側の人だから、圧倒されるんですよね。かれんもそっち(マインドある)側じゃないの?
かれん:そうだね。それで言うと、私はある程度自分が恵まれてるというか、、自分で好きなことがあって、バレエにこれだけ好きな向き合い方ができてきたからこそ、自分自身のためだけに何かやることで満足しちゃいけないと思う自分がいて。
それこそ、ノブレスオブリージュだよね。
ある程度、自己実現とかそのための能力を磨ける環境にいたからこそできることってあるよね。
のあ:かれんが言ってた怖さみたいなのは僕自身もすごい感じるんだけど、 僕たちみたいな人間が過度に謙遜することが逆におごりになるから気を付けた方がいいっていうことを言われたことがあって。
自分が享受したものは冷静に捉えて、 それをどう自分の人生に生かしていくかってのを考えるべきフェーズなんだみたいなこと言われた記憶があって、そこから結構そこは割り切れるようになった。
しょうえい:そこで割り切れてるのいいよね。悩む人も多そうじゃない。
かれん:私も、いわゆる学校ブランドみたいなのが強い兼、バレエやってますみたいなことで、多分ほとんどの人からは「裕福なところのお嬢さんがなんかやってるよ」みたいな 見方をされかねないなとすごく思ってる。そこは1番自分の中で気がかりというか、乗り越えられてないところではあって、でもそこの葛藤し続けるところっていうのが1番誠実の向き合い方なのかな。
しょうえい:わかるわかる。
のあ:このバックグラウンドが消えることはないからね。
しょうえい:うん、めっちゃわかるわ。 別に家が貧乏なわけでもないし、めっちゃ裕福ってわけでもないけど。
幼稚園から中2までサッカーやって、小5の頃にちょっとピアノやってたし、セントラルで水泳もやってました。中高の頃に留学してるっていうのもあるし、小6、中1の頃もちょっと転勤でアメリカいたっていうのもある。俺は小6っていう1番離れたくないタイミングで離されたし、すごい勝手に苦しい思いをしたと思ってるんだけど、多分こういう経験は他の人から見たらプラスな事じゃないですか。
その上でかれんとのあの考え方はすごい共感できて、「裕福だった」とか、「お前は恵まれてた」みたいな批判されるかもしんないけど、 そういう奴らがなんかしなかったら、じゃあどうすんのって話でもあるとはすごい思うんだよね。
かれん:めっちゃそれはそう。
現代生きてる若い人たちって別に生きている環境に大きな問題がなくてある程度の暮らしをしていても、なんか不幸とか不安感を感じてるみたいな人がたくさんいると思っていて。
そういう人たちが何かパワーを持って何かに取り組むっていうことってすごく大事だと思う し、多分それがアイデンティティの構築にもなっていくんだろうな。
のあ:今までの話はめちゃくちゃ共感できた上でなんだけど、持たざるものにエンパワーしていくっていう構図って、結構多くの人たちがエンパワーされたいと思ってるように見えないっていうのが結構自分の中である。
拡張されてない世界で生きていくことことこそが、その人の望んでることってあって。
そこのギャップ感はすごく苦しいような気が。
かれん:それはさ、エンパワメントされることをを望まない風に見える人って、ある程度 もう現状維持のために自己納得感を作っているんじゃない?
それに対して何かアプローチしていくには、まずはその人が感じている言葉になっていないモヤモヤを言語化してあげるというか、まずその問題提起を突きつけるところから始めなきゃいけないのかなと思う。問題を自覚するとそれに対して何か行動を起こしている人にエンバワメントをされるっていう風になっていく気がする。
だから、問題を顕在化させていく作業が重要なのかなと思う。
しょうえい:それについて思ったのは、自己効力感とか、知的好奇心って、幼少期にどれくらいの教育受けたかがすごい大切って言われていて。非認知のいくつかの研究でも示されてるんだけど、やっぱり幼少期の方が変わりやすくて、青年(基本的に25ぐらい)から年齢が上がってくと、基本的にもう変わんないって言われてるんだよね。
だから、 やっぱり小さい頃に好奇心をもって何かに取り組むことを受け入れられなかったっていうことが、「誰かのために自分で何かしたい」と思えないっていうことに繋がるのではと思ったな。
かれん:最近ようやくさ、「非認知能力」っていう言葉が出てきたから、それって重要だよねっていう風に思われてるけど、つい数年前とかはあんまりフォーカスされてなかったわけじゃん。そうなると、 結局深い探究ができるのってその人の能力だよねみたいな風に 言われることあるじゃん。こういうのって社会学では「象徴暴力」って言われるんだけど、見えない暴力というか、言語化されてないけど社会の中で生まれている抑圧だったりとか、暴力的なまなざしみたいなものがあったりするんだろうなと思う。
しょうえい:小学6年生の頃にマジックにハマってたなって思うけど、あれはよくよく考えたらロサンゼルスでマジックを見たことに起因しているなとか思った。
かれん:経験したことに基づくよね、人が好奇心を持つ動機も。
(2)パッションって持つべきものなの?
かれん:ちなみにしょうえいのパッションは何から来てるの?
しょうえい:俺のパッションは 聞かれて困るんだけど、めっちゃあるかって言われたら、ないっていうのが俺の答え。
のあ:確かに。いや、ちょっと待って。
これさ、ゼミ生にすごい強大なパッション期待してるかのような質問だよね。
かれん:ね。そうね。
しょうえい:もちろんパッションあるんだけど、人一倍強いかみたいな言われると、そこまで自信はない。
かれん:じゃあ、しょうえいが いわゆる一般的な大学生の生活をするんじゃなくて、自分でこういうプロジェクトやってみるみたいな選択をしてるはなんでなの?
しょうえい:そこは運なの。強い意思があったわけでは全くない。会社始めたのも本当に運。
SFCのAOの外部者推薦を書いてくれた人とたまたま話して、たまたま盛り上がって、たまたま総合型の話をして。その延長線で学校のカリキュラムが良くないって話してたら、面白がってもらって他校の探究を見てくれないかって依頼されたんだよね、。会社を登記したのも、振り込むときに個人宛てじゃ厳しいから法人格を持ってくれって言われたから起業したのであって、 自分で強い志があったわけではない。
もちろん好きなんだけどね。大前提めっちゃ好きなんだけどな。
かれん:確かにすずかんゼミ生が別に全員がそういうパッションで何かやってる人たちかって言われたら、別に違うかもね。
しょうえい:かれんとかははあるけどね
かれん:しょうえいの話でいうとやり始めたきっかけは運だとしてさ、それでも続けてるのは何の理由があるの?だって別にさ、それこそ会社運営してるとかって大変なわけじゃん。そこに全部時間取られるわけじゃん。
遊ぶことよりも、そっちを優先させたいっていう風に思う理由はなに?
しょうえい:楽しいとか学びがあるっていうことは大前提にありつつ、他にめっちゃそれを上回るパッションが生まれることはないっていう感じ。
かれん:それは飲んだりとか遊んだりとかっていうことよりも?
しょうえい:ないね。でも1つ思うのは、自分でサービス作ってるから、そのサービスを実際に利用している利用者の顔が見えるっていうのはかなりでかい。
かれん:自分で選択できることの楽しさみたいなところなのかな。
(3)自分に合う環境を作る
かれん:私のパッションね。
それこそいろんな人からパッションあるよねって言われがち。
しょうえい:そうね。俺もあると思ってる。
かれん:逆にさ、どんなところを見てそういう風に言ってるの?
しょうえい:バレエが好きすぎる。
かれん:あ、そういうこと。それは偏愛じゃん。
しょうえい:なんだろうね、受容してるだけじゃなくて、結構能動的に動いてるってのもあんのかな。
かれん:それで言うと、私は基本的に 週7日バレエで、幼少期から学校の勉強に割く時間もなくて、勉強ができるわけではなかったから、昔から自分で試行錯誤するしかなかったんだよね。
やっぱり勉強ができない自分っていうところがすごくコンプレックスだったし、実際にそれで学校の先生からも再三呼び出されて。「バレエなんかやってるから勉強ができない」って言われて、自分もそれに悩んでたから、それを乗り越えるために、自分で学べる場所を自分で環境設定しようっていうのをすごい決意した時があったの。
12年間同じ学校だとさ、基本的に生徒会とか、クラスリーダーになるのって、いわゆる定評がある人なんだよね。頭がよくて優しくいイメージがついた人がいつも選ばれてた。
その時に、リーダーをやる経験とかって人の能力を磨くいい機会になるのに、それが結局決まったヒエラルキーの上にいる人しか体験できないのは悲しいなと思って。
のあ:僕は逆に中高6年間、その早いうちにヒエラルキーの上に登り詰めて、めちゃくちゃ権力を守り抜きました。
かれん:自分で頑張ってそこを守り抜いてるから、それはその人の生き方でいいと思うんだけど、 私は既に自分のスタートラインとしてその地点に到達することが無理だったの。すでに12年間かけて作られたイメージの中で、あまりにもバレエしかやってなくてむしろ落ちこぼれの人が中心にいくのは無理じゃん、絶対。
であれば、自分で場所を設定するしかもうなかった。
それで自分でサークル作ってアメリカのビジコンで賞とって。自分でやってみたら、それをすごい評価してくれる人がいたから、その方向性で頑張ればいいんだっていう感じ。
しょうえい:なるほどね。ちょっと議論変わるんだけどさ、ふと思ったんだけど、自分の出せる最大を10だとしたら、今のパッション度合いは0から10だとしたらなんだと思う?
かれん:8とか。
のあ:今この瞬間は1くらい。1ヶ月前は10だった。3時間くらいしか寝てなかった。
しょうえい:なんでこの質問したかっていうと、多分俺パッションに対する評価が 自分の中で厳しいんだろうなって。だって、飲み会とか含め、別に遊んでる時間あるやんって。
のあ:気持ち分かる。やっぱりもう自分の精神すべてをそれに注ぐっていうのが 一応理想状態だと思うの。理論上のね。
しょうえい:うんうん
のあ:自己実現に向き合う熱量が違うんだよね。
それはこの間ゼミに高島さん(兵庫県芦屋市市長)が来た時にめちゃくちゃ思った。やっぱり自己実現っていうか、自分が思ったことをやり遂げる覚悟みたいなものが僕はこの人より足りてないなって強く思った。
かれん:でもさ、私はそれこそ大学1年生の時ってマジでそういう生活してて、なんなら10超えてるぐらいのパッションでやってた。 もう自分の体とかどうでもいいって思ってて、正直 それを超えていくことにチャレンジしたいっていうのがあったからやってたんだけど、じゃあそれがいいことかって言われたら、それは疑問だなと私は思っていて。
パッションある=正義っていうのもまた違うと思う。
自己犠牲してまで何かやるっていうのって、 一見すごくいい感動ストーリーに見えつつも、それって持続的ではないし、絶対に自分に関わってる誰かの、他者にやっぱり影響を与えてしまっている。 たとえば、自分がそういう風に、自分自分ってなってると、家族は絶対にそれを気遣うじゃん。
やっぱさ、自分の頑張り度合いを調整できる人こそ本当にパッションある人だと思う。
のあ:それは分かるな。多分(パッション度合い)10ちょうどでコントロールするのが大事だよね。
かれん:ちょうど良さっていうのを出し続けることほど難しいことないからね。
しょうえい:自分では気づきにくいからね。
8月に江ノ島に行った時の様子をお届け✨
この記事を書いたすずかんゼミ生はこんな人🩰
ここまで読んでくださりありがとうございました!
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