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信じる言葉は、自分で選ぶ。

昔は、社会の中で「発言できる人」は、ごく一部に限られていました。

テレビや雑誌、ラジオ、新聞などの「発言する側」にいなければ、自分の主義主張を社会に向けて発信する機会は与えられていませんでした。
ところが、インターネットの発達によって、個人サイトやブログに始まり、特に近年のSNSの普及によって、誰もが「発言する側」に立ち、誰もが「発言できる人」になれる時代になりました。

数年前ならスポットの当たるはずのなかった分野がピックアップされたり、これまで影を潜めていた重大な社会問題が浮き彫りになったりと、良い傾向ではあるのだけど、本来なら聞かなくてもよいはずの言葉が聞こえてくるようになってしまったというデメリットも生じています。


たとえば、とあるSNSの匿名アカウントが、
「女性は子どもを産んでこそ価値がある」
といった発言をしていたとします。

この男女同権の世の中で時代遅れも甚だしく、到底認められる主張ではないわけだけど、そもそもどこの誰かもわからない匿名アカウントの発言には注意が必要。
あえて反社会的な発言で注目を集め、人々の反応を楽しんでいるだけだったり、ただの暇つぶしだったりすることは大いにあり得るからです。
そんな発言に正義感で食って掛かっても、時間や労力のムダ。
SNSには、反社会的な発言を通報する機能が必ず付いているので、無理に反論したりせず、速やかに通報やブロックするのが、精神衛生を守る良い方法です。

けれど、真面目な人ほど、他人の言葉を真摯に受け止めてしまう。
「女性は子どもを産んでこそ価値がある。じゃあ、子どもを産めない私には、人としての価値が無いんだ」
本来なら聞く耳を持たなくて良いのに、真面目だからゆえに、そんなふうに自分の価値を必要以上に下げるような考えに至ってしまう人が多く見受けられます。


オープンリー・ゲイの僕の元には、セクシュアリティに思い悩む人たちからの相談がたくさん寄せられます。
「同性愛は自然の摂理に反する、という説を目にしました。では、私たちのような同性愛者は生まれてきてはいけなかったのでしょうか?」

同性愛者は、どのコミュニティにも一定の割合で存在していることが様々な研究によって明らかになっており、むしろ「同性愛者が存在することこそが、人間社会の自然の摂理」であるという考えが、今や世界共通の定説になりつつあります。

たしかに、かつて「同性愛は自然の摂理に反する」と信じられていた時代があったし、今後どれだけ社会の中で同性愛者の権利が認められようとも「同性愛は自然の摂理に反する」と信じて疑わない人はいつづけるでしょう。

つまり、どんな言葉を信じるかは、自分次第なのです。


この情報化社会の中で、ただ聞く耳を持っているだけでは、あらゆる言葉の波に流されて、溺れてしまう。
だから、信じられる言葉、信じられる人を、自ら選んで掴んで行かなくちゃ。

ときには、これまで信頼を置いていた人から、共感できない言葉が発せられることだってあるかもしれない。
そもそも、自分と100%同じ価値観を持っている人なんて、この世に存在しない。
信頼を置いている人の言葉だからって、100%鵜呑みにしなくたっていい。
「あの人は信頼している。だけど、あの言葉に関しては共感できない」
それで良いのです。

信じる言葉は、自分で選ぶ。
そうすれば、明日の自分は、きっと今日の自分よりも強くなれるはず。

もちろん、この記事の言葉だって、鵜呑みにしなくていい。
どんな言葉を信じるかは、あなた次第だから。

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