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手話通訳者全国統一試験「聴覚障害児の言語発達とろう教育」2020過去問④解説〜ろう教育の歴史〜

2020年度手話通訳者全国統一試験の過去問について、参考文献をもとに独自に解説をまとめたものです。

問4.聴覚障害児の言語発達とろう教育


ろう教育の歴史について述べています。下記の(1)〜(4)の中から正しいものを1つ選びなさい。

(1)1878(明治11)年の京都盲唖院の開校が日本の特殊教育の始まりと言われている。
(2)1925(大正14)年、日本聾口話普及会が発足し口話法の普及に力を入れる動きに対し、「手話はろう者の母語である」とその重要性を主張する動きが起こり、手話・口話論争となったが、厚生省のバックアップで口話法が中心となり、手話は排除されていった。
(3)1960年代から小・中学校に難聴学級が開設され、地域の小学校、中学校で学ぶ聴覚障害児が増えていったことをインクルージョンと言う。
(4)手話と書記言語を使った教育をバイリンガル教育と言い、第一言語として、母国語の読み書きを、第二言語として、手話による教育を行い、さらに読み書きの力をつけようとする教育方法である。

2020年度手話通訳者全国統一試験 筆記試験 問4

問題解説

(1)が正しい。
ろう教育の歴史についての知識が求められる。手話の学びにあたり、手話通訳者養成のための講義テキスト「聴覚障害児の言語発達とろう教育」や歴史の流れについて理解しておくことが必要。ろう教育は130余年の歴史をもつが、多くのろう学校ではほんの20年前まで手話の使用が禁止されていた。現在は、ろう者のアイデンティティとして手話が言語として確立されるが、歴史をたどると「手話と口話」両者の数奇な歴史ともとらえられる。

手話言語とろう教育

日本で最初のろう学校は、1878(明治11)年、古河太四郎によって京都に京都盲唖院(現京都府立聾学校)として設立された。1880(明治13)年、東京に楽善会訓盲院(現東京盲唖学校)が設立された。この頃、ろう教育は手勢(しゅぜい、てぜい、しかた)と呼ばれる手話によって教育されていた。手勢でやり取りができるようになったら、日本語を表現するための示喩手勢を学習し、日本語の読み書きを学んでいく指導をしていた。日本の聾教育の始まりは手話でスタートしたものの、大正時代になるとドイツやアメリカの口話法の成果が国内にも入ってくるようになり、読話と発音で日本語を学習する口話法を採用するろう学校が増加した(手話通訳者養成のための講義テキストp85,86)。

1920年代、口話法への転換

1923(大正12)年の「盲学校及聾唖学校令」制定を境に,わが国の聾唖教育はそれまでの慈善事業から学校教育として制度的に位置づけられ,教授方法の面では手話法から口話法へと大きく転換が図られた*。1925(大正14)年、日本聾口話普及会の発足を契機に口話法の啓蒙・普及に向けた活動がなされた。後に「口話教育の父」と呼ばれた西川吉之助(よしのすけ)は、実娘がろう児であることがわかり、当時欧米で研究が進んでいた「LIP READING」を口話と名付け、口話教育に尽力した。普及会の顧問に現職の文部大臣が就任しており、口話法の普及活動には文部省の意向が浮かび上がってくる
https://core.ac.uk/download/pdf/235245009.pdf

*1920年4月,A.K.ライシャワー夫妻によって東京牛込に日本で最初の口話法による私立日本聾話学校が創立した。余談ではあるが、1964年3月24日、米国駐日大使ライシャワー氏が大使館前で19歳の統合失調症者に右大腿部をナイフで刺され重傷を負った。我が国の精神医療の歴史のなかで避けて通れないこのライシャワー事件であるが、この駐日大使こそがA.K.ライシャワー夫妻の次男のライシャワー(Edwin Oldfather Reischauer)である。

昭和の初めには、日本の多くのろう学校が口話法で指導を行うようになり、手話が禁止された。その後口話法による指導は、昭和40年代まで続く。昭和40年代になり、栃木県立聾学校において同時法による指導が始まった。同時法とは、スピーチと手話を同時に表出することで、口話の曖昧性を補い、より正確に日本語の習得をねらう指導法である。

手話はことばであり言語

1998(平成10)年をすぎると、幼稚部や小学部でも指導に手話が使われるようになった。2009年、文部科学省は学習指導要領を改訂し、「手話」という言葉をはじめて明記し、ろう学校でのコミュニケーション手段の一つとして認めた
また、手話言語を第一言語として獲得し、獲得した手話言語を基盤に日本語の読み書きを学ぶバイリンガル教育を表明した私立の明晴学園も設立された。明晴学園のバイリンガル・バイカルチュラルろう教育では、①第一言語(母語)として日本手話、第二言語として書記日本語を身につけ、日本手話と書記日本語を使用するバイリンガルとして育成する。②ろう者としてのアイデンティティ(自己肯定感)を育成するとともに、聴文化の理解と尊重する態度を身につけることを目的としている。
https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/rounan/430/
https://www.meiseigakuen.ed.jp/summary/summary

このようにろう学校の中で手話が使われるような状況でありながら、以前に比べてろう学校が手話の伝承の場になりにくくなっている現状がある。理由として、第一に人工内耳の普及などにより、以前に比べて聴覚を活用できるきこえない子どもが増えたこと、第二にろう学校に在籍する児童生徒数の減少があげられる。ろう学校で自分以外のきこえない仲間と出会い、手話でやり取りをする中で自然に手話を獲得、習得していくことを考えると、由々しき事態といえる(手話通訳者養成のための講義テキストp86)。

インクルージョンとは

インクルージョンという言葉は,本来「包含,包み込む」ことを意味する。インクルージョンは,教育及び福祉の領域においては,「障害があっても地域で地域の資源を利用し,市民が包み込んだ共生社会を目指す」という理念としてとらえられている。わが国のこれまでの障害児教育の体系は,障害児は障害児学級,養護学校,盲学校,聾学校で学び,いわゆる障害を持たない子どもたちとは異なる教育の場が用意されてきた。このことから障害を持つ子どもと持たない子どもが分離されてしまうことにより,差別や偏見が助長され,障害の理解が進まないという考えに基づき,障害のある子どもと障害のない子どもとの統合教育(インテグレーション)の必要性が唱えられてきた。インクルージョンは,地域社会はさまざまな人によって構成されていることが自然であり,そこで,それぞれがその人らしい暮らしを築いてくことを実現していく社会の在り方を示している。

✔ユースアドバイザー養成プログラム(改訂版)第4章さまざまな社会資源─関係分野の制度,機関等の概要,関係機関の連携等─4 障害者福祉の仕組み(1)障害者福祉の理念
https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/h19-2/html/ua_mkj_pdf.html

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