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なぜに?

ホラーは苦手だ。
怖い話はあとを引く。
夜の寝つきが悪くなるし、
入浴中も背後が気になってしかたがない。
だから映画も本も
ホラーはまず目を通さなかった。

それなのにホラー小説を書いた。
ホラーと呼んでいいのかどうかは
正直わからない。
これがホラー?と首を傾げたくもなる。
だが人の心の闇を書いたのだから、
そういう意味ではホラーだと思う。


半年ほど前、ある編集者の方に、
短編小説を読んでいただく機会があった。
それはファンタジーとして公募に出したけれど、
まったく歯が立たなかった作品だった。
(今回の創作大賞のために書いたものとは
別モノです)
自分で書いたものは、
どうしても『自分フィルター』を通して読むことになり、気づけない癖や駄目な箇所を素通りしてしまう。第三者の目を持つ人に、そういう点をきっぱりと指摘してもらいたかったのだ。


その人が作品を読んだ後の第一声。

「これ、ファンタジーですか?
不気味な話で、ファンタジーというよりは
ホラーですね」

「すみません、ファンタジーか恋愛しか
カテゴリーがなかったので。
大まかに分類するとしたら、
ダークファンタジーかなと思いました」

と、私はしどろもどろに説明した。
カテゴリーを知った上で書いたのではなくて、
書いた後に応募することに決めたので。

その人はなるほどというように頷いて、
さらに追い討ちをかけるように言った。

「何しろ気味が悪かったです」

一体どんな話を書いたんだよ?私。


その後だいぶ長いこと
ホラーという言葉が頭の中で渦巻いていた。
そうか、ホラーか。
私が書いたものは
ホラーと捉えられるものだったのか。
ホラーを書いたつもりではなかったので、
突然のホラー判定に少し落ち込んだ。

下を向いて歩いていても、
いいものなんて何も落ちていない。
私は空を見上げて
ふぅっとため息をついた。
眩しい陽射しに思わず目を瞑る。
まぶたの内側が赤い。


それならば、
本当にホラーを書いてみるのはどうかな。

それはひとつのひらめきだった。


だがあまりにも怖い話は
慣れていなくて書けないのだ。
そこでどんなホラー小説があるのか
いくつか見てまわることにした。


noteや他サイトで知られている方で、
美しくも心底ゾッとするホラーを書く人がいた。
ホラーが苦手な私でも引きずり込まれるようにして読んでしまう、素晴らしい作家さんだ。
ホラーの正しいかたちなのだと思った。
あのようなものは私には書けない。
私が書くのはやはり無謀なことなのだろうか。

先ほどの編集者の方が
私に1冊の本を勧めてくださった。
恒川光太郎さんの『夜市』だ。
ホラー大賞を受賞した有名な作品で、
気になってはいたけれど
ホラーと聞いて読まずにいたのだった。

本を手に取り読んでみると、
美しさと不気味さと
決して悪くない読後感に驚いた。
レイ・ブラッドベリの
『何かが道をやってくる』のような。
こういうホラーもあるのか。
目から鱗とはこのことだった。


ならば
少し笑いのあるカジュアルなホラーがあっても
いいのではないかと、
思いついてしまったのである。
私のようにホラーが苦手な人でも
読めるようなものを。
そこからどんどん想像を膨らませていった。
いいかげんにしなよ、私。


創作大賞というお祭りに参加することだけで
精一杯だったけれど、
断念せずに作品をひとつ書き上げられたことが
私には嬉しかった。
何しろ
家族が倒れたり、
各所への初めての手続きや申請があったり、
職場の大先輩が次々と辞めて
こちらの仕事量が格段に増えたり、
大事な集大成の場が控えていたりと、
それはもう
『いろいろある』のてんこ盛りコースの
さなかだったから。
私の立場自体がホラー並みだった。
それでも最後まで辿り着くことができた時には、
思わず八百万の神々に感謝したほどだ。
あの辛口の編集者の方にも感謝しかない。
あの人の言葉がなければ
ひらめきは生まれなかったのだから。

普段接することのないジャンルの本を読んだり
書いたりするのも、
なかなかに刺激的でいいものだ。
学ぶことはどこにでもある。
目的のためというより、
自分と
この世界の誰かひとりでも
楽しませることができたら成功だ。
そのために
これからも訥々と何かを書いていけたらいい。
そして、いつかそれをまとめてみたい。
私の小さな小さな夢なのだ。


文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。