I wanna be with U forever.
今だってそうだけれど、
思春期の頃は特に
写真を撮られるのが嫌いだった。
友だち同士ならばともかく、
家族に写真を撮られるのは居心地が悪く、
写真を撮る撮らないで
父と喧嘩になったことすらあった。
なぜあんなにもデリカシーなく、
娘にカメラを向けるのかと憤っていた。
相変わらず
写真を撮られるのは苦手なくせに、
今や私は
写真を撮りたがる側の人になっている。
まわりの好きな人たちを
空を
花を
撮りたいと私は常に思っている。
写真に撮った愛おしい瞬間は、
四角い枠の中に永遠に閉じ込めることができる。
例えば好きな人の写真を撮る時。
撮ることでその人の一瞬を
「永遠」にすることができる。
あの日あの時のあの瞳の輝きを、
自分の手のひらの上で
ずっと守ることができる。
写真の中の人は歳をとらない。
釘打つように固定して、
いちばん好きだった時のその人を
記憶とともに自分の中にしまうことができる。
被写体の人は
自分が古くなってしまうという事実には
まったくの無頓着でいてほしいと、
カメラを向ける人はきっと願っている。
写真を撮ることは、
過去という時間標本を纏める作業なのだ。
♧
幼い頃に過ごした家の写真が出てきた。
実家で両親と写真の整理をしていた時に、
偶然見つけたのだ。
アルバムに貼られていたのではなくて、
黄ばんだ茶封筒の中にひっそりと入れられていたものだったから、
今まで誰も気づかなかったのだ。
生家はとっくの昔に取り壊されていたので、
どんな家でどんな間取りだったのか
記憶は曖昧だった。
それが、とん、と目の前に現れて、
懐かしい部屋の匂いや、
窓から入ってくる風に揺らいでいた
レースのカーテンの裾などが
頭の中に急速に蘇ってきた。
開いた窓越しに隣の家から聴こえてきた
テレビの音と赤ん坊の声。
風の強い夜に
轟々としなる木々の影が壁に映るのが怖くて、
足早に駆け抜けたトイレ前の廊下。
ぺたぺたと足の裏に張り付く板敷の感覚。
春一番の吹く頃には
いつも部屋の中が砂だらけになって、
忙しなく雑巾をかけていた母の
しゃがんだ背中。
そんな思い出たちが私の心に溢れ返った。
それから後はもう、怒涛の思い出大会だ。
アルバムを手に取ると、
年若い両親と祖母、
鼻水を垂らしたきょうだい達や
くるくるの巻き毛の赤ん坊(私)が
写真の中から立ち現れた。
気をつけ!の姿勢で
きりりとこちらを見つめていたり、
何がおかしいのか
天を仰いで大笑いしていたりするのだった。
アルバムをさらにめくると、
玄関先で水を撒く六歳くらいの姉の姿があった。
暑い夏の午後らしく、
ノースリーブの服を着て
豪快に水を撒き散らしている。
何がおかしいのか
大口を開けて笑っている。
笑い声が聞こえてきそうだ。
子どもの頃の姉は、
何かと手厳しく毒舌な今の姉とは違い、
あっけらかんとして頼れる存在だった、
ことを思い出した。
何が楽しくてこんなに笑っていたのだろう。
特別な何かがなくても笑いたくなるほど、
気分のいい夏だったのかもしれない。
なんのてらいもないその瞬間を、
こうして今も見ることができるなんて。
だがそんな私たちも、
年月を経るにつれて
たしかに古くなっていった。
今はもう無い家は亡霊みたいだし、
無邪気な幼さは、
遥か彼方に置き忘れたままだ。
それでも。
「写真っていいね」
少しセピア色になりかけた写真を眺めながら、
懐かしさに目を細めつつ母がしんみりと言った。
「こうやって残しておくと、写真の中の懐かしい時代にタイムスリップできるよね」
私が応えると母はうんうんと頷いた。
母は家の写真を手に取って、
春一番の砂払いがいかに大変だったかを
何度も私に話して聞かせた。
まるで初めて打ち明ける裏話のように。
「この頃はまわりに何にもなくてね。
見通しはよかったけど、
風の強い日は砂埃がもうもうとしてたわ。
夕方になると家中がジャリジャリして、
掃除が大変だった」
繰り返される同じ話に、私は相槌を打つ。
お茶はとうに冷めている。
「必死だったけれど楽しかったな。
毎日何かしらやることがあってね。
お父さんと二人で少しずつ生垣を作ったりして」
母はそう言うと遠い目をして笑った。
最近のことはすぐに忘れるけれど、
昔のことはありありと覚えているらしい。
迷った時悩んだ時、
屈託のない子どもの頃の写真に
救われることがある。
幼い私がオバケ以外の本当に怖いものなど
知らずにいられたのは、
家族の愛があったからだ。
ファインダー越しに家族を見つめる父に、
私たちは守られていたのだ。
それを教えてくれる写真を
残しておいてよかったと思う。
家族写真は膨大なのに、
父が映る写真は驚くほど少ない。
どんなに古くなっても、
温かい視線は今もきっと
私の心の底の方を守り続けている。
カメラに笑いかけることもできずに
嫌々撮られていた十五の私さえ、
父は愛してくれていたのだと気づく。
だから私も、
好きな人たちの写真を撮り続けていたい。
古くなったっていいじゃない。
あの頃きみは若かったね。
いつかそんな笑い話をしよう。
きみはひとりじゃない。
たしかにきみを好きだった私がいたよ、と
未来のどこかで伝えられたらいい。
写真は愛だ。
身近な好きな人たちが愛を忘れそうになった時に
思い出してもらえるように。
ファインダー越しに
好きだよ、と言う私がいたことで、
きみたちを支えられるといいなと思う。
#創作大賞2024 #エッセイ部門
文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。