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永遠じゃないからこそ、今から届けにゆこう。

ねえ。
あの人も
おばさんになっちゃったよね。


カフェの隣の席の会話に耳を澄ます。
かつて時代を賑わせていた
シンガーの話をしているようだ。
そういえば先日、
懐かしのなんとか、みたいな番組で、
その女性が久しぶりに歌を披露していた。
かつてはどこへ行っても彼女の歌が流れていて、
誰もが口ずさんでいた。
あれから何年も経って
彼女を見かけなくなっていたことにさえ、
皆、気づいていないのかもしれない。


そうだよ。
と、私は隣の席の女の子たちに心の中で答える。
あなたたちも私も含めてみんな、
おばさんどころかお婆さんにもなるし、
あの世へも行くんだよ。
ドリンクのストローをもてあそぶ
女の子たちのキラキラしたネイルは、
時間の流れさえ跳ね返しそうなほど
輝いているけれど、
それだって永遠じゃない。



それまで勤めていた職場を辞めた後、
アクセサリーを作っては売る、
ということで日銭を稼いでいた時期があった。
毎日思うままに作り、
ある程度たまるとお店に持っていき
並べてもらう。
そんなことを繰り返していた。
こう書くと
やけに行き当たりばったりな感じがするけれど、
実際行き当たりばったりだったことは否めない。
ご褒美というよりは
キツく締まっていたネジを緩める感覚。


アクセサリーを作っている間は無心だ。
銀色と藍色のシンプルなネックレスがいいかな。
ブレスレットは
古びた加工をしたくすんだ金に、
はっとするほど深い紅色を組み合わせようか。
指先と
完成を待ち望む脳が
ひたすらに進みたがる。
食事も忘れて没頭していて、
気がつくと窓の外に
群青色の夜が広がっていたことに驚く。
次に作りたいものが浮かぶと
すぐにでも形にしたかった。
そう、私はせっかちなのだ。
よし、明日。
明日はあれを作ろう。
にやにやしながら布団に入る。
明日が来るのが楽しみで仕方がなかった。
やりきった気持ちで満たされていたこのころは、
よく眠れていた。
自分の名前以外何も持たずに、
意味も理由も失ったまま働いていた日々とは
大違いだった。


そこに至るまではひとことで言うと、
私はかなり病んでいた。
辞める前の職場でのことだ。
私は体の向こう側が透けて見えるほどの
忖度オバケだった。
人の思惑が見え過ぎて怖かった。
それでも私は忖度の権化となっていた。
その場がうまくまわるなら、
傷つこうが睡眠時間が削られようが、
一番マシな選択なのだと信じようとしていた。
私という人格はなく、
自分がその場所にいる理由にしようと
していたのだと思う。
あの頃の私は
明日が来るのが怖かった。

しかし結局は自分を裏切り続けていたわけで、
もう限界、と心が悲鳴をあげた。
ある日私は全部を棄てた。
どうにもならなかったら
自分さえ棄ててしまってもいい、
というくらいの気持ちで全力で棄て去った。
もうどこへも行かなくていい。
私はここにいればいい。
やり直そうと焦らなくていい。
何かを取り戻そうとしなくていい。
失われたものに執着なんてしなくていい。
死んだ気になりゃなんだってできる、とは
昔からからよく聞く台詞だけれど、
まさにその通りで。
その先の未来が閉ざされてしまって
行き場を失くしたら、
私はもうここから消えてもいい。
そうして辞めようと決心したのだった。
暗いね。
だが暗いことは悪いことだとは思っていない。
暗さを知っているからこそわかる気持ちがある。
ただ、今思えば悲壮すぎて笑えるほど、
悲しみが深い。

再び少しずつ自分を拾い集めていく中で、
無性に何かを作りたくなった。
今までとは違う脳と身体と心の使い方を
したかったのだと思う。
もう誰に忖度することもなく、
好きなように時間を使って作って生きて
いいのだ。
頭の中で描いたものが、
だんだん形になってゆく。
ちゃんと終わりがあって、
しかも美しい色で、喜びを得られるもの。
今までなかったものを
この世に存在させられること。
ひとつ作り上げるたびに心が緩んで、
私は自分が生み出すアクセサリーたちに
支えられていたのだった。


ある日、街中で
私は驚くべきものを見てしまった。
自分が作ったアクセサリーを
身につけている人を発見したのだ。
銀行のATM待ちの行列の少し先に
その人はいた。
心の中で、ぎゃっ!と叫んだ。
見間違いだろうか。
でもあのかたちには覚えがある。
確かめるためにもっとよく見てみたい。
折り返す列が動いた時、
私は何食わぬ顔を装って、
でも目玉をぎろぎろさせて観察した。
ああ、たしかに作ったよこれを。
ビーズや座金のチョイスに
作った時の気持ちが乗っている。
何よりの証拠は、
私のオリジナルパーツだ。
極小のビーズを
四つ葉のクローバーの形に繋いで、
留め具の脇に下がるようにしておいたのだ。
ショートカットのその人が私に背中を向けると、
むき出しの首の後ろで
証拠パーツがきらりと光った。
やっぱりそうだ!
滅多に行かない街の
予想もしていなかった場所で、
好きな人にばったり出くわしたような気持ち。
驚きで私の脚は震え、胸の内側が熱くなった。
私の作った物が
見知らぬ人の肌にじかに触れている。
なんということだろう。
これ欲しいな、と思ってくれてありがとう。
連れて帰ってくれてありがとう。
好きになってくれてありがとう。
私はその人へ強烈な感謝の念を
勝手に送りつけた。
その人の幸せを心から祈った。
私の念を無意識に感じ取ったのか、
その人は首の後ろをぼりぼりと掻いた。


ネックレスは
私の作品という肩書きを外れ、
ちゃんとあの人の物になっていた。
今夜、
私の知らない部屋の抽斗の中で、
子猫のように体を丸めて眠るのだろう。
そして
私はあることに気づいた。
ネックレスは、
私の手元にあった頃とは
ちょっと違う顔をしていたのだ。
身につけた人の明るい顔立ちや
ナチュラルな服装や佇まいと、
私の手作業が混ざり合って
別の空気が創り出されていた。
何かが違う。
でもそれがすごくよかった。
オトナシック+快活さ=上品ポップ
私の世界は、
他の人の世界と出会うことで
こういう風に新しいものになれるんだ。
それは啓示だった。

それまでは
自分が作ったものが誰かに買われていっても
『うちの子がその後どうしているのか』
ということにまで思いが及ばなかった。
毎月の振り込み明細を受け取った時に、
用紙に向かって手を合わせ
買ってくれた人達の幻にお礼を言う。
その時点で私の中では完了していたのだった。
実際に誰かが愛用してくれているところに
遭遇する確率は、
どれほどのものなのだろうか。
そんな機会はもう
ただ待っていても簡単には訪れないだろう。
せめて実際に手に取って
気に入ってくれて
私の作品を連れ帰ってくれるところに
居合わせたい。
そう思うようになった。
そこで私は
地元で行われるハンドメイドマルシェに
参加することにしたのだった。
人に会いたくなくて始めた
ひとり作業だったのに。
人見知りの引っ込み思案だったくせに。
よくやるよね!
と心の中のもうひとりの私が苦笑いした。
一体どうしたというのだろう。
私が作ったネックレスをしたあの人のせいだ。
あの人が私の心を明るい方へ推し進めたのだ。

ハンドメイドマルシェは、
自分が人見知りであることを忘れさせるくらいに
忙しい場所だった。
1日限りということもあってか、
近隣のたくさんの人が訪れて
私はアワアワしっぱなしだった。
私が作ったものを見に来てくれた人たちが、
慎重な手つきで
それらをそっとつまみ上げる様を見て、
私はちょっと泣きそうになった。
私の子たちを優しく扱ってくれていることが
とても嬉しかった。
私の心さえも大切にされているように感じた。
年配の落ち着いた雰囲気の女性が、
花モチーフのロマンチックなネックレスを
試着していた。
そうすると顔まわりが明るく華やいだし、
何よりもネックレスがその人に懐いていた。
この人がこれを身につけるとこうなるんだ!
と知った。
鏡の前でしばらく自身を眺めた後、その人が
「これください」
と言うのを目の当たりにした時、
私は胸がいっぱいになって
涙ぐんでいたかもしれない。
ヘンな人と思われないように誤魔化しながら、
このネックレスがあなたのお守りになりますようにと私は本気で願った。
作った私の方が
実はたくさんの喜びをいただいていた。




大人になると、
人前で涙ぐむことは
恥ずかしいことなのだと思うようになる。
自分の感情をコントロールしてこそ大人、
という決まりごとがあるからだろうか。
つまり私は
恥ずかしい大人ということになるのかな。
今なら精神的に成熟した大人なのか、
と聞かれたら、
首をひねるしかない。
それでも私は
大人になってよかったと思っている。
両親のもとでヌクヌクと暮らしていた
子ども時代は、
失敗しても守ってもらえていた。
安心安全に過ごせていたのは
たしかなことだった。
ただ、
人見知りで引っ込み思案で、
生きづらさを抱えた子どもだった私は、
しなくてもいい心配をしたし、
子供らしく振る舞うことも
うまくできなかった。
早く大人になりたいと思っていた。
1日は永遠みたいに長かった。
長くて窮屈で、息苦しかった。


実際大人になると、
そう簡単にはいかないことも多い。
現実の苦しみの種類も変わってゆくし、
仕事をするのも辞めるのも自分次第だ。
どうにかこうにか
自分の手で生きていかなければならない。
食卓につけば
勝手に食事が出てくるということもない。
お膳立てされたことなどなにもないのだ。
アクセサリーの製作販売でも
試行錯誤は付きものだった。
それでも
苦しかったことを数に入れても、
大人は自由だった。
子どもの頃よりも今の方が自由だと感じるから、
私は今の私を否定しない。
無尽蔵なエネルギーや
疑うことを知らない純真さを失い、
代わりにずるさを身につけたとしても、
やっぱり私は大人がいい。
大人になることに
絶望を感じる人もいるだろうけれど、
(私もそう思っていた時があった)
なってみると案外と
悪くないと思うこともある。
生きている理由なんて簡単にはわからない。
少なくとも大人になれば、
補導されることなく
ひとりで広い世界へ旅することもできるのだ。

人生は有限だ。
私たちはいつかはあの世へ行く。
遅いか早いかの違いはあるけれど、
この道は迷いようがなく
誰もが必ずそこへ行き着くようにできている。
それを実感する出来事が幾つもあった。
親族が死に、
好きだったミュージシャンが何人も死んだ。
生きている今を
嫌でも意識するようになった。
永遠なんてないと、私はもう知っている。
期限付きの命のことを考えるなかで
辿り着いた思いがあった。


私は自分の中のものを差し出して
あなたに手渡したい。
私もあなたのなかの何かを受け取りたい。
そうだ。
私は魂のやり取りをしたいのだ。


誰かと私で
色とりどりの風船のような小さな世界を
いくつも作っては浮かべ、
この世をカラフルにしてみたい。
つまりは人と真正面から向き合うことだ。
その風船は誰かと一緒に息を吹き込まなければ
膨らまないらしい。
私が最も苦手だと思ってきたことだったけれど、
その日暮らしの季節を過ごした後で
ようやく気づいたのだ。
ぱちん、と割れる風船もあるだろう。
するすると空気が抜けて
萎んでゆくものもあるはず。
その時は
また違う風船を浮かべればいい。
自分以外に誰もいない世界だったら、
やりとりは生まれなかった。
何かを伝え合う必要などないのだから。
回り道や後戻りをして
不器用な時の流れを辿ったとしても、
見つけられたともしびがあればいい。


今ではもうアクセサリーを作って売ることは
しなくなったけれど、
(新しい仕事に就いたのだ)
人と言葉や思いをやり取りすることに
前向きになった。
今の職場では裏方であると同時に、
あんなに避けていた接客の仕事も兼ねている。
(人の希望を聞いて提案したりもするのだ)
それには私自身が一番驚いている。
知らない人とは
なかなか目も合わせられないくらいに
人見知りだった昔の自分が見たら、
冗談でしょう!と、
腰を抜かすに違いない。
やり取りする毎日を重ね、
年齢を重ねるうちに、
知らない人と接する垣根は
だんだん低くなっていったのだった。
高校生の頃は服屋のお店の人に
「このシャツの他の色はありますか?」
のひとことさえ言えなかったのに。
単に図太くなっただけなのかもしれない。
図太くなることも大人になることの一部で、
生きやすくなるのだとしたら、
決して悪くないではないか。


永遠などないこの世だ。
冒頭のカフェでの会話に出てきたシンガーも、
まだまだ届けたいものがあるのだ
きっと。
だからなんと言われようと
今日も誰かに向けて歌っているのだろう。


文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。