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日記を書いていましたか?

あなたは過去において日記を書いていましたか?

先日、実家の押し入れを捜索していたら、
出るわ出るわ、恥ずかしい時代の山また山!
日記やら詩やら小説やらを書き連ねたノートが
何十冊も発掘されたのだった。
(主に10代の頃のもの)
恐ろしい。
このままじゃ死ねない。
と、本気で思いました。

死人に口なし。
死んでしまえば後のことは本人には分からない。
のだとしても、だ。
遺された人達に、
こんなこっ恥ずかしいこと書いてたよとか、
あの人に片想いしてたんだ、へぇー、とか、
暴露されるところを想像してみるといい。
情け容赦なく過去の全てが
お天道様のもとに晒されるのだ。
生き返りそうな勢いで身をよじって、
お願いだから読まないで!と
懇願したくなるに違いない。
ああ、死んでなんかいられないよ!
命が尽きるのは明日かもしれないし、
何十年後かもしれない。
それはアカシックレコードにしか
書かれていないことだから、
誰にも知りようがない。

そんなわけで、
昔の日記その他を処分しようと
密かに持ち帰ってきたのだった。
恐る恐るページをめくると、
意外なことに
面白くてどんどん読んでしまった。
面白さの正体は、
正直すぎる感情の揺れだ。

悩んだり喜んだり
恋をしたり嫉妬したり
揺れたり約束したり
心がたくさんの感情に割かれていて、
それがいにも人間ぽい。

思春期は青くさい。
青くて硬くて酸っぱい果実だ。
それは別の見方をすれば、
ばかばかしいほど純粋で
眩しいほどに熱い時代とも言えた。
原稿用紙300枚分の小説が出てきた時には、
自分の熱意に唖然としてしまった。
私にはこんなにも書きたいことがあったのだ。
けれども日記の中で時々
小説を書きたいのに時間がない、
などという愚痴が出てきて、
あの頃も今もそこは変わってないなと
苦笑いしてしまった。
時間がないと言ったわりには
300枚。
どういうことだ。

日記は残したくない。
誰にも読まれたくはない。
でもその時には
書かずにはいられなかった思いがあったのだ。
心の置き場所として日記を選んだということは、
書くことが気持ちの整理に
繋がっていたからだろう。
いちばん自然で正直な文体は日記だ。
日記ならスラスラ書けるという時がある。
自分の感情には嘘をつかず
飾らずに。
日記を書くことは
必要な時間だったのだと思う。


あなたは今、日記を書いていますか。
抽斗の奥にしまっては取り出しているものは、
あなたの本当の心情ですか。
何年か経って、読み返すと思いますか。
今の自分を懐かしく思い出す時、
あなたは何をしているのでしょう。
未来で
どう生きているのでしょう。

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