見出し画像

ドッペルゲンガーサービス

世の中には
自分によく似た人間が三人いると
言われている。
それが単なる迷信だとしても、
違う遺伝子を持ちながら似ている人というのは
たしかに存在している。
目や鼻のかたち、髪型、背格好。
立ち姿。雰囲気。
すべてが完璧に同じではなくても、
だいたいの配置やかたちが似ていると感じると、
私たちはその相手を
知っている誰かだと思い込むものらしい。
人にはいくつかの大まかなパターンがあって、
皆、それらのどれかには当てはまるように
できているのかもしれない。

自分と似た人が今もこの世界のどこかで、
サラダを食べたり珈琲を飲んだり、
友達と映画を観に出かけたり、
来月に迫った母親の誕生日のプレゼントを
選んだりしているのかもしれないと思うと、
なんともふわふわした気持ちになる。
それが時には心にさざなみを立て、
またある時には慰めにもなるのだなんて、
思ってもみなかったことだ。






高校生の頃の話だ。
私は一日に三度も
人違いされたことがあったのだ。

・放課後の廊下
・日が落ちた近所の道ばた
・姉宛にかかってきた電話


あの夏、私は変幻自在な誰かの知り合いだった。
そんな奇妙な日の話をする。

(人が特定されるようなことと
名前は仮のものだけれど
内容のコアは事実そのものだ)


①【放課後の廊下】編


帰りのホームルームが終わり、
隣のクラスの前で
私は友人シズカが出てくるのを待っていた。
シズカは家の方向が同じなので、
いつも一緒に帰宅していたのだ。
私は廊下の窓辺に寄り添い、
ぼんやりと外を眺めていた。
しばらくして、
私にスッと近寄る女の子がいた。
わざわざ見たりはしなかったけれど、
雰囲気からしてシズカではないと
私にはわかった。
この人もきっと誰かと待ち合わせをしていて、
手近な窓に寄りかかりたかったのだろう。
そう思っただけだった。
知らない者同士の私たちは、
眼下に広がる校庭を
並んで見下ろすかたちになった。
サッカー部や陸上部の子たちが、
少しずつ集まり始める様をただぼんやりと。
すると突然、彼女は
持っていたブラシで私の髪を梳いたのである。
おもむろに、シュッとひと櫛、入れたのである。
なんだ。知り合いだったのか。
誰だよ、と思い、
そこで初めて隣りを見たのだけれど、
全く知らない人だった。
彼女は怯えた目をして慌てふためき
「ごめんなさい間違えました。
ゆいちゃんかと思ったので!」
と早口で弁解した。
「あ、大丈夫です」
私は動揺を隠しつつ、
へらへら笑いながら答えた。
『ゆいちゃん』の顔と名前は私も知っていた。
ああ、あの子と間違えたのか、
と私はすぐに思った。
彼女があまりにもまじまじと私を見たので、
居心地が悪くなって体の向きを変えた。
まもなくゆいちゃんが教室から出てきた。
すかさず彼女は
「ねえちょっと聞いてよ、
この人とアンタのこと間違えちゃったの!」
と大きな声で話し出した。
後ろ姿を見てよ、ほら似てるでしょう。
と、私とゆいちゃんの肩をつかんで後ろ向きにさせ、窓辺に立たせたのだった。
誰に対して似てるでしょうと言っているのかは
不明だった。
立会人は彼女自身しかいなかったのだから。
彼女はおそらく、
これほどまでに似ていたら
間違えても仕方がないのだと、
自分に証明したかったのだろう。
そこに私の友人シズカも現れ、
ちょっとこの二人を見てよ!
という流れに巻き込まれることになった。
シズカは私とゆいちゃんの後ろ姿を見比べると
「全然違う」
と冷静に述べた。
うそうそ、似てるよ、と彼女は反論し、
生き別れた双子さながらにそっくりだと
力説した。
ゆいちゃんと私は
そうかなあそんなに似てるかなあと、
お互いの後頭部のあたりを見せあい、
なんとなくアハハと笑った。
そして、まあ、似てなくもない。
という結論に達したのだった。
しかし決定的に似ているわけでもなかった。
背の高さが違うし、
髪の色もゆいちゃんの方が少し茶色かった。
それなのに私は髪まで梳かれたのである。
知らない人に唐突に
髪をブラシでとかれる確率は
どのくらいなのだろう。
(その後も何度か彼女と廊下ですれ違うことがあったけれど、その度にあの時の気まずさがお互いの脳裏をよぎり、薄く笑いながら会釈をし合う仲となった)

②【日が落ちた近所の道ばた】編


奇妙な体験をした日ではあったけれど、
私とシズカはいつも通りに連れ立って帰った。
他愛もない笑い話に心もほぐれ、
また明日ね!と手を振って別れた。
黄昏時を過ぎて辺りが薄暗くなってくると、
見慣れた景色も少し様子が変わる。
道の向こうからやってくる人の顔は
はっきりとせず、
知り合いなのかどうかは
近づいてから判定を下すことになる。
前方を見やると、
中年女性がこちらに向かって
歩いてくるのが見えた。
等間隔に並ぶ街灯の下、
明るくなったり暗くなったりするその人の顔は
朧げだったけれど、
おそらく佐藤さんだなと私は予想した。
佐藤さんは夕方に犬の散歩をしているのだと
聞いたことがあったから。
時々電柱の前で立ち止まっている佐藤さん
(らしき人)は、
クリスマスの電飾のように
点滅する首輪をした犬を連れていた。
ピカピカと緑色に光る犬はポメラニアンだ。
佐藤さんがポメラニアンを飼っていることを
私は知っている。
だがお互いの距離が近づくにつれて、
どうやら佐藤さんではなさそうだと
気がついたのだった。
佐藤さんはもう少し痩せ型だったはずだ。
今日の人違い事件の余韻が残っていた私は、
自分も同じミスをしないように
細心の注意を払うべきなのだ。
徐々に間合いを詰めたその人は、
やはり佐藤さんではないとはっきりとわかった。
私はそのニセ佐藤さん(失礼)を
少し迂回して歩いた。
すると
「いま帰り?」
と、その人がニコニコと声をかけてきた。
反射的に
「はい」
と返事はしたものの、
この人は佐藤さんですらない
見知らぬ人だったので、
そのまま立ち去るつもりだった。
だがその人はさらに畳み掛けてきた。
「お母さんは、お元気?」
「はい、まあ元気です」
「そうそう、前にもらった八朔、
美味しかったって伝えておいてね」
私の母は八朔が大好きなのだ。
ひょっとしたらこの人と母は知り合いで、
そんなやり取りがあったのかもしれないと思い立ち、私は愛想笑いをした。
どこかで私のことを見かけていたのだろう。
家の門を出る瞬間とか、
母と買い物をしているところとか。
きっとそれで私を知っているのだ。
それから私たちは道端に立ったまま
少し話をした。
話をしたというよりは、
ニセ佐藤さんが一方的に
ご近所の近況報告をしたといった方が正しい。
町会長さんが倒れた話だの、
頼りにしていたスーパーが閉店するだの
(あなたのうちは今後どこで買い物するの?
と聞かれたが、わからないと答えておいた)
散歩から帰ってから犬の足を洗うのに
いつもひと悶着あることだの。
そろそろ帰りますという時になって、
ニセ佐藤さんはこういった。
「三芳さんちのお嬢さんが、
こんなに大きくなったなんてねえ」
三芳さん。誰だそれは。
ここまで話をしておきながら、
その人は私が三芳家の娘だと
信じて疑わなかったのだ。
さすがに後ろめたくなって
「あの、すみません、
私、三芳さんちの子じゃありません」
と正直に告げた。
するとニセ佐藤さんはひどく驚いた顔をして
「あらやだ、ごめんなさい。
薄暗いとよくわからなくて。
見間違えるなんて私も歳だわね」
と恐縮していた。
犬を挟んで気まずい沈黙が流れた後、
じゃあこれで、と帰ろうとすると、
ニセ佐藤さんは訝しげな口調で聞いた。
「あなた、ほんとに三芳さんじゃないの?」
私はきっぱりと
「違います」
と言い放った。
その人の言外に、
こんなに長々と立ち話をしておいて、
三芳さんじゃありません、はないでしょう、
といった不満が感じられた。
顔を見てもなお人違いされるほど、
私はその『三芳さんのお嬢さん』
とやらに似ているのだろうか。
知らない者同士が
知り合いのように話し込む日暮れ。
まさしく逢魔時だ。
私は何度も後ろを振り返りながら家路を急いだ。
だが、人違いはまだ続いていたのだ。
私はさらに混乱することになった。

③【姉宛にかかってきた電話】編


その夜の私は、
もやもやした気持ちをかなり引きずっていた。
なんという一日だったのだ。
だがそれも、
夕食の後にゆっくり湯船に浸かり、
髪を乾かし、
お風呂上がりのアイスを食べ終えた頃には
ひと心地ついたのだった。
と、そこでリビングに置いてある電話が鳴った。
(まだ携帯電話が普及していなかった頃のことだ)
出てみると、姉の友達からの電話だった。
「由里子さんはいますか?」
「すみません、姉はまだ帰ってきてないです」
私がそういうと、
姉の友達(姉友)は少しの沈黙の後
「そうですか。ではまた電話します」
と言った。
だが切る気配がない。
向こう側の雑音もかすかな呼吸音も、
電話口の闇に
吸い込まれてしまったかのようだった。
しばらくして、姉友は低い声でこう言った。
「ねえ、由里子でしょ?」
「は?」
「ほんとは由里子なんでしょう」
電話に出たのは実は姉本人で、
いないふりをして
姉友をからかっているのだと思ったらしかった。
たしかに以前から
姉と私の声はよく似ていると言われてはいた。
電話を通すとなおさら似ているという。
だがしかし。
確実に姉は不在で、いるのは私だけだった。
私は由里子ではないのだ。
「いいえ。妹です」
「またまた。由里子なんでしょ」
「違います。本当に私は妹です」
姉友はスススと鼻で笑い
「わかりました。失礼しました。ではまた後で」
と言いながらもまだ電話を切らない。
結局そのやりとりは四回ほど繰り返された。
そして念を押すようにもう一度、
最後通告的な口ぶりで尋ねた。
「ねえ。由里子だよねえ?」
「違いますってば」
疑り深い姉友は明らかに納得していない。
「そうですか、じゃあこれで。
由里子さんが帰ってきたら電話をもらえますか」
「伝えます」
本当はわかっているんだからね、
何でいつまでもふざけてるのよ、
と言いたげな含みのある声色だった。
謎の無言の時間の後、ようやく電話は切れた。
禅問答は終わった。
騙されているのか真実なのか。
その狭間で揺れる姉友の猜疑心が
私の心を引っ掻き回していった。
本当に、なんて一日なのだ。
(その翌日、姉友と姉は
この話題で大盛り上がりだったのだそうだ。
『妹さんに、疑ってごめんねって謝っといて』
との伝言を受け取った)


こんな日が存在したのである。
一日のうちで三度も間違えられる私という人間は
一体何者なのだろう。
みんなの知り合いの『あの人』に似ているのだ。
私としての個性が
あまりにもなさすぎるのではないか。
私はこういう人間です。
というたしかな人と成りがあれば、
連続人違いなど起こらないはずだ。

私はきっとどこにでもいるタイプの人間なのだ。
髪をピンク色に染めることもないし、
個性的なファッションに身を包むわけでもない。
遠目に見れば、クラスに五人はいるタイプ。
特別な煌めくオーラを振りまいてもいない。
繁華街の風景の一部として埋もれる
百人の波のなかに私はいる。
私は誰にでもなりかわれる存在なのだ。
私ではなくてもいいのではないかと考えだすと、
胸がちりっと痛んだ。
私って何。

けれども、
人違いが時には心を温めることになるとは
誰が思うだろう。
他者に成り代わった自分が
人の心を穏やかに安心させることができるとは、
私は知りもしなかった。
嘆かわしいことばかりではない特性なのだと、
その出来事が教えようとしていた。
人違いが成し遂げた
たったひとつの良い思い出を書く。

そして【あなたの子どもになった日】編


子供時代、
母の妹である叔母が
よく我が家に遊びにきていた。
私が目覚めるとすでに叔母がいて、
食卓でコーヒーを飲んでいたりするから
驚くのだ。
まだ朝の七時だ。
一体この人は何時に自宅を出てきたのだろうか。
親戚の中でも私は特にこの叔母に
可愛がられていたのではないかと思う。
他のいとこやきょうだいたちを差し置いて、
私だけ遊びに連れて行ってもらった記憶が
たくさんあるのだ。
私は手のかからない子供ではあったので、
(疲れた・あれ食べたい・座りたい等は言わない)
叔母としても扱いやすかったのかもしれない。
学校のない土曜日の朝、
まだ寝ぼけていた私にむかって
「ほら、海行くよ!」
などと突然言うのだった。
何何?と思いながらも、
海というワードに敏感に反応した私の目は
一気に冴えて、
行く気満々のテンションになった。
叔母はご丁寧にも
私の分のビーチサンダルまで
買っておいてくれた。
家族とでさえ
なかなか海には行かれなかったのに。
高齢の祖母と暮らしていた私たち家族にとって、
遠出すること自体が難しかったのだ。
思い立ったが吉日を地でいく叔母は、
私を開放し、望みを叶えてくれる人だった。

私が大人になり、
実家を出て暮らすようになってからは、
叔母と会う機会もあまりなくなっていった。
そして
社会人生活で慌ただしい生活を送っている間に、
叔母は病気になった。
入院生活は長引き、
再び元気に出かけることは
おそらくできないのだと、
叔母以外の私たちは知った。
時間をやりくりして
何度かお見舞いに行ったけれど、
会うたびに叔母はやせ細っていった。
少し気が強くて溌剌としていた、
あの頃の叔母とのギャップが
心を掻き乱したけれど、
良くなったらまた遊びに行こうよと誘い
励まし続けた。
新しくできたカフェで一緒にお茶しよう、とか
あの植物園にまだ行ってないじゃないか、とか。

もういよいよ旅立つ日が近いと宣告された頃、
家族や親戚やいとこたちが交代で
叔母のそばに寄り添った。
あまり話しもできなくなって、
開いている瞳に私たちが映っているのかどうかも
わからなかった。
私にできることは、
叔母の手を握り、
話しかけることくらいだった。
ある日の叔母は少し気分がよかったらしく、
病室に入った私をみるなり
ほんの少し笑顔を見せた。
私は嬉しくなって、
叔母のおでこを撫でながらたくさん話をした。
それまで黙って私の話を聞いていた叔母が急に
「君絵はよくしゃべるね」
と呂律の回らない口で言った。
君絵とは叔母の娘で、私の従姉妹にあたる人だ。
だが小学六年生の時に亡くなっている。
私は言葉を失った。
私は君絵と間違われている?
たくさん可愛がってくれたのは、
私に君絵の面影をみていたから
だったのだろうか。
叔母は私のことを私として
みていなかったのだろうか。
私は心の震えをおさえながらも、
君絵になることにした。
「そうだよ」
叔母は頬の皮膚を持ち上げてうっすら笑った。
私は君絵として叔母に話しかけた。

昔、二人で出かけてさ、
デパートで食事をした時、
私のグラタンがなかなか運ばれてこなくて。
お母さん、店に文句を言ったよね。

叔母はその時のことを思い出したのか、
鼻の頭に皺を寄せてかすかに苦笑いした。
私を君絵と思い違いしている叔母のなかでは、
私との思い出は母娘の出来事に
置き換わっているようだった。
二人で過ごした記憶が母娘の思い出として
蘇る。
それが叔母にとっての懐かしい真実となって
穏やかな気持ちで旅立てるのならば、
私はいつまでも人違いされていたいと願った。
君絵と話せてよかったと思ってくれたら、
私がここで生きていることも、
悪くはなかったことになる。
最後まで君絵として話し、頬に触れ、
ありがとうと伝えた。
本当は泣きたいほど寂しかったけれど、
私自身の想いは
ほんの少しだけ強く握った手のなかに込めた。
今はもういない叔母が、
昔から私のなかに君絵を見ていたのかどうかは
聞くことはできない。
死を前にしたあの時だけ、
君絵が私のかたちを借りて
叔母と(母親と)話をしにきたのだと考えると、
私も救われた気持ちになった。


誰にでも似ている没個性な私にも、
もしかしたら使い途があるのかもしれない。
人違いされがちな特性を活かすのだ。
こんな夢想をしてみる。



私はあらゆる場所に同時に出没できる。
誰かが『あの人』に会いたいという
シグナルを出したら、
それをキャッチした街なかに散らばる私は、
『あの人』を自分に投影させる。
誰かが求める人物になり代わって、
話をすることができたらどうだろう。
誰かの友だち。
誰かの子ども。
誰かの恋人。
誰かの大切なだれか。
もう会うことが叶わない人でもいいのだ。
会いたかった人に
伝えたかった言葉を預かれたらいい。
その言葉を手紙にしたためて投函しよう。
宛先が遠い未来なのか、
あの世なのか、
何年後かの自分へ、なのか。
それは人それぞれだ。
ドッペルゲンガーみたいに
あちこちに出現する私が、
誰かの役に立っているところを想像する。
擬態する私も、
案外悪くないのではないか。
ドッペルゲンガーサービス。
そんな職業があれば、
私はもっとも向いている人材だと思う。
私自身、こんな自分を否定しないで
生きていけるだろう。


ある日突然、
私はあなたの隣にいるかもしれない。
その時は私に思い出話や伝えたいことを
話してみてほしい。
あなたの知っている誰かになって、
想いを届けてあげられたらいい。
それ以上の何もできないけれど、
あなたがそれで満ち足りるなら、
何もない私にも役目は果たせると思う。
ありきたりでどこにでもいる私は、
あなたの隣にもいるのです。




#創作大賞2024   #エッセイ部門

文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。