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星の船と彼女と私。

あと5分。
はやる気持ちのまま階段を駆け上がる。
夜の窓を開け放ち、
勢いよくカーテンを蹴散らす。
ベランダは、紺青の空へ心を飛翔させる
ロイター板。

国際宇宙ステーションを見るのが好きだ。

それは《きぼう》という名の
宙飛ぶ船。
私の住む街の上空を通過する時を
教えてくれるアプリがあるので、
それを頼りに楽しみを胸に抱える。
《きぼう》を見たい。
雲がかからず晴れていてほしい。
だから梅雨の名残のてるてる坊主は、
夜の間も吊るしたままだ。

そろそろだな。
時計を見ながら、待つ。
ベランダの手すりにもたれながら
夜空を見上げていると、
北西の方角から
《きぼう》がやって来た。

なめらかな軌跡で
明るく輝きながら《きぼう》は近づいてくる。
夜空をすべるように
乱れることなく潔く進む。
私の頭の真上あたりに来たら、
思いっきり手を振る!

「おーい!元気かい?
私はここにいるよー」

大丈夫だ、まわりには誰もいない。
ひとりきりで夜の中にいて、
宙飛ぶ船に私は手を振っている。

ひとりきり。
だと思っていた。

東の空に消えて見えなくなるまで
《きぼう》を見送った後、
ほっとした気持ちで部屋に入ろうとした私は、
向かいのマンションのベランダにいる人と
目が合った。

眼鏡をかけた、長くまっすぐな髪の女性が
灯りのないベランダにいた。
彼女も《きぼう》を見ていたらしい。
心の中で

「あ、、」

と、おそらくお互いに思った。
私が《きぼう》に向かって手を振っていたのを
彼女は見ていたのかもしれない。
ずいぶんと大胆に
派手なアクションで
手を振ったから。
はずかしい。。

そのまま部屋に入ることも出来たはずなのに、
今夜の私はなぜか違った。

「見ました?」
彼女に、そう声をかけていた。
コソコソ声のわりには、
大きなボリュームで。

「見ました!
明るく光っていて、よく見えましたね。」
彼女も大きめのコソコソ声で
応えてくれた。

「梅雨が長かったから。
久しぶりに見られてよかったです。」
と、彼女。

「ええ、ほんとに。晴れてよかったですね。」

宵闇の中で
彼女の笑顔が、ぴかっと光った。

それから会釈をして、
私たちはそれぞれ部屋に戻った。

心の中がいつまでもあたたかくて、
私は寝るまでの時間を
とてもほくほくした気持ちで過ごした。
本当にささやかで
わずかなひとときだったけれど。
この時たしかに私と彼女は、
ぴかぴか光る明るいものを
同じ時に近くで見上げていた。
さっきまで全く知らない人だった彼女と
あの時間を共有した不思議さを想う。
もしかしたら彼女も
私と同じように
《きぼう》に向かって
手を振っていたのでははないか。
などと想像する。
心がじんわりした。

国際宇宙ステーション《きぼう》は、
まるで星。
遠い空の上の光の中に
人間がいる。
思えば凄いことだ。
人間が乗る船も
夜空に輝く星のような存在になれるのだ。

もしも《きぼう》から
私と彼女のささやかなやりとりが
ほのかに光って見えたなら。
星の船を介して
私が感じたこの前向きな温かさを
空の上の船で働く人たちが知ったなら。
それが彼らにとっての《希望》にも
なるかもしれない。
なんて、
大それたことを想う夜だった。



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