【生きづらいと感じている全ての人へ。連載⑦】ポジティブ心理学

2回目以降のカウンセリングや勉強はリモートで行われた。
自分の思考癖や得意な事を統計学によって導き出された分類項目に分け、客観的に把握し、それを心理学と合わせて対処方法を学ぶというものだった。

1ヶ月の学びが終わる頃には、オンラインで何人かが集まり毎月の課題に対してどう感じたか、どのように実践したかなどを発表し合った。
そして、白黒思考で自分のダメなところばかりに目がいってしまう私にとっては、やや難しい課題だった。

どうしても、できたできなかったで評価してしまったり、発表している他の人に対して、〇〇だからダメなんだ。私だったらこうすのに。などと批判する声が自分の中に起きてしまい、学んだ事でそれに気づき、また落ち込むというような悪循環となってしまった。
さらに最悪だったのが、あんなに尊敬していた夫と仲のいい友達に対して、この二人はあれができてない、これができてない、と心理学で学んだ事を照らし合わせて自分勝手に評価し始めてしまった事だ。
それによって、尊敬する二人が、いつのまにか『〇〇できない、〇〇を知らない未熟な二人』としてこき下ろすようになってしまった。
これはとても悲しい事だった。

しかし、様々な事を知り、自分で深めてアウトプットするという一連の流れを毎月こなすうちに、少しずつ自分に対する考えが変わっていた。
本当に少しずつ、これでも良い。と思えるようになっていった。
全てを許せるようになった訳ではないが、こんな自分もOKかも。というくらいに、許容範囲が広がる感覚があった。

そして、かつては一生の敵、許すまじとしていた母へも広がり、母のこれまでの行為を、仕方なかったのかもしれないと思うようにまでなっていった。

そう、私は母が苦手で、父も苦手で、いわゆる機能不全家族で育った。
暴力、暴言、金銭的支配。

でも、常にではないから、私が悪いからいけないと思っていた。
そのうち、うちは変だと気づき、二十歳を過ぎた頃に家を出て、働く。
これで、私も普通の人達の仲間入りだと希望を持てた。

しかしそんなに甘くなかった。
どんなに努力して、勇気を出して、本を読んでも、普通にはなれなかった。
そして、何年ももがいて、苦しくて、ツラくて、悲しくて、どうしようもなくたどり着いた今回のカウンセリング。
ここで、あんなに憎んでいた母を、理解してみようという考えに変わっている。

それが、とても自然な流れで、無理なく、ふと思いついたように、「仕方なかったんだ。」と頭の中で言葉にし、と同時に涙が溢れた。
また、無意識に仕方なかったとつぶやけた事にとても驚いた。
そんな事、自分にも言えなかったし、母親には非難と罵倒ばかりだったから。

少しずつ、自分の中の黒いものが、じわじわとやんわりと違うものに変わっていくような心地良い感覚があった。

そんな自分の変化に希望を感じている時に、
それと同じくらいの時期に、

父が自殺した。

(つづく)


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