【考察】戦争とは誰のものか
8月6日 父親に連れられて広島の平和祈念式典と原爆資料館に行きました。
僕が小学4年生のときでした。
■投下候補地を知った時の衝撃
原爆は広島に投下されました。呉をはじめ主要な軍事拠点があったことが原因とのことでした。
続いて長崎に投下されました。当初、小倉の予定でしたが天候が悪く、急遽変更された。と言うのは有名な話です。
僕は、4年生の時に原爆資料館を訪れて、やはりその夏の自由研究は原爆に関する内容をまとめることになり、図書館に行って原爆に関する資料をいろいろ調べたりしました。
ネットで調べる、という時代ではなかったのでそれなりに苦労したのですが、いくつか割と心に残っている資料を目にしました。
その中のひとつが
という事実です。
■原爆を落とす人たちが、どうして文化財に気を使うのか
子供心によくわかりませんでした。
どうしてあんなに酷いことする人たちが、お寺とか神社の文化財としての価値を気にしているのか。
もっと言うと「宣戦布告」もよくわかりませんでした。戦争するのに届け出が必要とは、どういう感覚によるものなのか。
僕も小さいころ多分に漏れずケンカをしました。カッとなって殴りかかるのです。
けど、「今イラっとしたからこれから殴り掛かるね」と言ってからけんかしたことはありません。
■戦争は個人のものではない
大人になってから、この疑問は少しずつ理解できるようになりました。
つまり戦争とは個人間でするものではなく、国と国がするものだからです。
人を殺すという恐ろしい行為を含みながらも感情に左右されるというよりは、それはどこか業務的で、予定調和的なのです。
アメリカは原爆を日本に落とすにあたって、歴史的建造物の多く残る美しい光景を残してあげたいという、大人の対応をしました。
今私たちが京都を訪れ、古(いにしえ)の情緒に触れることができるのはこの大人の判断に依るものですが・・・これって本当に恐ろしい事だと改めて思います。
戦争は国と国がするもので、それはとても業務的であるが故、これらのお寺は残っているからです。
■人を恨んではいけない
僕は仕事の関係でよく中国に行きました。現地では中国人の方々がとてもよくしてくれました。
日中関係が怪しい時期でも、彼らは日本人と仕事をすることをとても嬉しく思っていたし、私に対する扱いはいつも変わりませんでした。
ある時、家庭の事情のためどうしても会社を辞めなくては行けなくなった黄さん(仮名)が、「残念だ。残念だ」と言って泣きながら僕と握手をして別れを惜しんでくれました。
彼はとてもガタイの良い営業で、前職は人民解放軍でした。
人民解放軍がどんな教育を受けているのかは知りませんが、仮想敵国であろう日本と、日本人の僕を心から受け入れてくれ、別れの際に涙まで流してくれました。
僕はこの時 確信しました。
戦争とは人ではなく、国と国がするものだ、と。
戦争とは仕組みである。
それを意識して、人を恨んではいけないし、仕組みの一部にならないように注意しなくてはなりません。
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