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【子育てルポ】すぐやる親が結局強い

色んな人の教育法を見聞きして、あるいは自分が子供のころのかすかな記憶を思い出したりして、
メキメキと子供が育つ環境についてとある結論に至った。



■そもそも

子供とはとても素直な生き物である。

それは大人と違って(いい意味で)経験値が少なくネガティブな情報が少ないからかに違いない。大人になればよくわかるけど、これって本当に理想的な状態ではなかろうか。

しかしながらそんな子供にも天敵がある。それは他でもない、よくわからないという何ともむず痒い状態だ。

ゆえに子供は「どうして?どうして?」と永遠に聞いてくるし、自分が幼かったころの記憶を思い返しても、よくわからないというのは興味を削ぐのに十分なインパクトを持っていた。

つまりこう言える。

子供にとって超理想的である好奇心に対してまっすぐな状態
これは、いかにしてわからないという状況を作らないかに懸かっている。

ここが親の腕の見せ所という訳だ。



■裕福な家庭

裕福な家庭ほど子供は恵まれていて、その子もまた恵まれた将来を送るという正のループがまことしやかに語られている。
ゆえに親ガチャなる言葉まで生まれた。

これは個人的に、半分本当で半分嘘だと思う。

まず、
裕福な家庭ほど恵まれた環境で勉強が出来るから頭がよくなる、といった論調は嘘だ。
そもそも勉強の有無によって子供たちの頭はよくならない。大事なのはそこに強烈な興味があるかどうかではなかろうか。

優秀な先生というのは単に東大や京大を出た先生ではなく、いかに子供の興味を削がず掻き立てられることができるかで諮られすべきで、単価の高い塾の先生=良い先生ではないと思う。

そしてこの、いかに子供の興味を削がず掻き立てられることができるかというのは実は、プロの手を借りず我々親でも十分に可能であるということが言える。


子供が興味を持ったものに対して、すぐに関連するモノを準備してあげる。関連する場所に連れて行ってあげる。体験できる環境を与えてあげる。

これを可能にするためには多少なりとも金銭が必要になる。
これが僕の思う半分本当の部分。金持ち=良い環境などでは決してなく、すぐに対応してあげられるだけの余裕があるか、だと思う。

言い換えれば、どんなに裕福でも子供の「どうして?」に対して無頓着であればその子は幸せになれない。


そして、絶対にNGなのが「そんなの!もったいないから必要ない!」と頭ごなしに言って切り捨ててしまう行為ではなかろうか。

もしかしたら心当たりのある人もいるかもしれない。
でも自分が子供のころの感情を掘り起こして思い出してほしい。大人のそんな意見は自分にとってただただマイナスで、才能をそぎ落とした行為ではなかっただろうか。



■結局はすぐやる親が強い

正直 金銭的な余裕の有無は親の行動力を引き立てるのに一役買うが、それはあくまでも絶対条件ではない。

つまり、やる親はやるのである。
そしてこれが一番強い。


スタンフォード大学に息子3人を入学させたアグネスチャンの唯一の育成方針は「ちょっと待って」を絶対に言わないことだったという。
晩御飯の料理の最中で野菜炒めをしていても、子供が質問してきたら火を消して対応したという徹底ぶり。

「わからない」という子供にとって最も不都合な瞬間を作らないことに徹したことで、子供たちは勉強という概念抜きにして知ることに対してものすごくポジティブな感情を育んだのだろう。
実はこれが教育に対して一番重要なことではないかと思う。


もともと知識欲求とは人間に備わったごく自然な能力。
それが、テストやら宿題やら授業やらで”義務”になったとたんにつまらないものに変化する。

小さいころから学ぶことに対してポジティブな感情をもった子というのは、いつまで経っても知識欲求が義務にならず、楽しく伸びていくことが出来る。



■結言

繰り返しになるけど、子供の要求に対してすぐやる親が一番強い。

そしてこのすぐやる、は得てしてある程度のお金を有している方が行動としてやりやすい。だから人は親ガチャなる言葉を使いたがる。

しかし、
それは大きな間違いで、決して絶対条件ではない。
つまり、誰だって素晴らしい親になれる。


キーワードは「ちょっと待って」を絶対に言わない。これではなかろうか。






本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!

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