【真実】動き出してから変わればいい。
テレビで米津玄師が慣れないインタビューに応えていました。
彼はコロナ禍で外出禁止のさなか、ここぞとばかりに友人からの連絡を絶って楽曲づくりに没頭していたらしい。
インタビューはぎこちなかったが、彼はとても楽しそうに語っていました。
■好きということは、正義
ずっと続けていられること。これが本来「好き」の定義かもしれません。
誰しも、幼いころから、あるいは何かをきっかけに、ずっと続けてられるものがあるはずです。
ある人はずっと映画を見続けているし、ある人は毎日カレーを食べている。とにかく、普通の人には共感できないかもしれないが、なぜかずっと続けていられる。
米津玄師は本当に楽曲作りが好きなんだな。というのが伝わってきました。
では私は何か。やはり書くことだと思いました。コロナ禍の中、私は書くことにしました。
そしたら思い出したように、楽しかった。
書いた後に自分で読み返すのが楽しかった。
へたくそな文章だが何となく満足感があって、もっと書きたくなりました。
完全なる自己満足。なんだこれは?いいのか?こんなんでいいのか?
色々考えて、いいと思うことにしました。
■法律を取り扱わない法律番組
法律のことを全く取り扱わない、法律相談所というテレビ番組があります。
その昔はしっかりと法律を取り扱っていたが、おそらく手ごたえと、視聴者のリアクションと、その両方を感じ取って(当然、定量的な分析もあると思うが)、番組名という縛りをあっさりと振り切って、どんどん改変していきました。
いわゆるアジャイルといえるやり方ですが、変に縛りを設けなかったためか、今でも人気番組です。
トーク番組の新境地を開いたアメトーークも同じだと思います。最初は普通のトーク番組だったし、ひな壇もありませんでした。けど、いつからか芸人括りとひな壇がシンボルになり、冒頭で「僕たちは〇〇芸人です!」といってオープニングするようになりました。
かと思えば、その括りが浸透してきたら、鮮やかにそのオープニングを止めました。
こんな風に、手ごたえと、ちょっとした満足感になびかれて、ポリシーなんてものに拘らずにどんどん変えていけばいいんだと思いました。
■とにかく走りながら探す
こう考えると、僕の稚拙な文章も、書き続ければもう少し何とかなるのではないかと思えてきます。
やりながら、自分だけでもいいから満足して、没頭し続けていけばきっと何かを発見して、発見したら拘らずに変化していけば、もう少しだけ文章がうまくなる気がしてきました。
とにかく立ち止まってあれこれ考えるのはやめにして、走りながら考えて探していこうと思います。
「下手の横好き」と「好きこそものの上手なれ」は矛盾していると思っていましたが、「好きこそものの上手なれ」の途中段階が「下手の横好き」なのではないかと考えます。
とにかく、没頭して続けることなんだと思います。
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