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【真実】"夢"”目標”とかいうバズワード

「I have a dream・・・」有名なセリフです。

キング牧師ほどの想いと、決意と、深い深い歴史的背景があれば、その夢はものすごい重みをもち、我々の心を打ちます。


ただ、

「夢を持て!」 「夢に向かって走れ!」

僕らは少し、”夢”と言う言葉に麻痺してしまっている気がするのです。


■将来の夢は何ですか?

「大きくなったら、おいしゃさんになって、こまっている人をたすけたいです」

「わぁー立派だねー。すごいねー」


夢っていうのは、大人に褒められなくてはいけないのだろうか?

僕らは幼いころから、何かにつけて夢や目標を掲げるように求められ、そしてそれをなぜか評価されてきました。

今、まぁまぁな大人になって想うのです。あれは何の儀式だったんだろう、と。


中には、好きなことにどっぷり嵌まり没頭している子もいれば、あるいは幼いころの体験が大きなトリガーとなって、強い意志を持って取り組んでいる子もいます。

だが多くの人は、夢や目標をそれっぽく掲げ、あっという間に忘れてしまいます。


「夢」や「目標」という言葉は、他人から求められすぎて、バズワードのごとく、重みをもたなくなってしまうのです。


■本当に強い思いを持たない人は、夢とか言わない方がいい

これはあくまでも僕の主観。

世の中の多くの人は、「夢」と言いながら、それを自分から少しだけ離れたところに置いている気がします。

「夢」というと、それはどちらかと言うと叶わないものにカテゴライズされて、本当に叶えたいと思ってる?と聞かれると、そりゃそうなったらいいに決まっている!と答えながら、心のどこかで、「まぁ、夢だしな~」と思っていたりします。


つまり何が言いたいかと言うと、「夢」と言ってしまうと、どこか、叶えたいけど叶わないもの。と言った印象に成り下がってしまう気がするのです。


■僕は、「夢」と言わない

僕にも将来的にこうなったらいいな。というイメージはあります。死ぬ前にこれをしなきゃ。みたいなのもあります。

ただそれをあえて、僕は夢とは言いいません。

夢と言った瞬間に、どこかリアリティが無くなってしまうからです。


僕は、何歳までにどうするとか、今やっているものをこうしたいとか、そういう願望は、夢や目標と言った言葉で濁さずに、決めることにしています。


例えば、40歳で年収1,000万円を目指したいとするなら、その時

「目標:40までに年収1,000万!」

などと言わず、もう

「40で年収1,000万円になる。」と、決めてしまいます


夢でも目標でもない。自分の中で、”決めてしまう”のです。


そしたらあとは簡単。決めたことを守るために、考えて行動するだけ。

考えて行動すれば、自然と結果は近づいてきます。それは、リアルだからです。


■決めたことをこなすだけ

僕は別に、目標を掲げません。

僕は別に、夢を語りません。


ただ、決めたことはやる。絶対にやる。と強く思っています。


そんな感じが良いのではないかと思うのです。


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