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誕生日の記憶。



「忘れられない、誕生日の記憶。」って
何かありますか?


子どもの頃の誕生日って特に特別で、
「たんじょうび」って
言葉だけでわくわくする。
なんだか魔法の日
みたいではありませんでしたか?

欲しいものが、買ってもらえる日。
好きなメニューが出てくる日。
私にとってはそんなイメージがあった。

だけど段々、
あーそうか誕生日か。程度になってきた。
自分の歳を何歳だっけ?って言ってる大人を
小さい頃は、不思議に思っていたけど
段々、気持ちが分かるようになってきた。笑
年々、何でもない日も特別だな。
なーんて思うようになった日が増えたり、
誕生日よりも印象的な日が
増えたこともあるのかな。
もちろん嬉しい日だけども。

それと同時に、年々誕生日プレゼントを
渡す側になることも増えた。
何を渡したら、何をしたら
喜んでもらえるかな。
って考える時間、楽しいよね。


そんな事を考えていた時、ふと思った事。
自分の中で1番思い出に残っている、
「誕生日の記憶」ってなんだろう。

サプライズしてもらった事?
欲しいものをもらえた事?
美味しいご飯や、ケーキを食べた事?
んーーーどれも記憶に残っているし
どれもとっても嬉しかったけど、
私の中では、1番と1つ選ぶとなると
なんだか違う気もする...。


私にとっての
「忘れられない、誕生日の記憶。」
それは、10年間のプレゼント。でした。



父は、10歳から20歳の誕生日までの10年間。
毎年、歳の数と同じ本数の
薔薇の花をくれました。

10歳の頃の私は、
特に欲しい。といったわけでも無ければ、
花が特別好きなわけでも無かった。
なので、他の物が良かったな。
なんて思ってた。
11歳の頃、12歳の頃も。
他の物が欲しい...。内心ではそう思ってた。

なので16歳ぐらいの頃、一言。
いつまで続けるの?と、言ってしまった。
それは、他の物が欲しいなという気持ちと同時に、
薔薇の花が高価だと知り、
そこにお金かけなくても...と思ったから。
そして言われた、
「10年。20歳で終わりね。それ以降は、渡すつもりないから。」


そして迎えた20歳。

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20本の薔薇の花。
最後の歳は、赤とピンクでした。

そして、最後の歳となったこの時に
私は気が付きました。
10年間、父が続けてくれたプレゼントが、
私にとっての
「忘れられない、誕生日の記憶。」
になっていたということに。


毎年欲しかったものや、
高価なもの。ブランドもの。
そういったものを貰うのも特別な感じがして、
もちろん嬉しいだろう。
私の中でも、
嬉しかった誕生日の記憶はたくさんある。

だけど、10年間のプレゼントは、
どんな記憶にも勝てない。
継続するということが、
どれだけ記憶に残るのか。
時間をかけて教えてくれたプレゼント。
何故始めたのか、動機は分からないけど。
反抗期の中、続けてくれた父に、
少しくらいは感謝しようと思う。
ありがとう。


あなたにとっての、
「忘れられない、誕生日の記憶。」は
なんですか?

もし、私みたいな
反抗期の子どもがいる方が、
これを見ていたならば、
薔薇の花じゃなくてもいい。
何かを5年以上送り続けてみてください。
きっと一生、記憶に残ると思います。
「継続は、きっと瞬間以上の価値を生む。」

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苗字が同じ鈴木の、
イチローと誕生日が同じ。
それだけが自慢の私は、
今日10月22日で、22歳になりました。

22歳になったからと言って、
特別何かが変わったわけでも無い。
それどころか、
ここ数年は想像していたような
大人になれていなくてがっかりする。
だけど、ここ数年
本当に様々な方面の方と出会った。
そのことを誕生日が、実感させてくれる。

「おめでとう」という言葉と、
あたたかいメッセージ。
こんな人間に対して、
応援してくれる人がいるんだ。
そう思える。気づけることが、
私にとって、とても大切で特別です。

祝ってくださった皆様、
いつもあたたかく見守り、
手を差し伸べて下さる皆様
本当にいつもありがとうございます。
22歳の鈴木遥も、宜しくお願いいたします。

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2020.10.22

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