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私にとっての"避難本"の話

本はいろいろな楽しみ方や味わい方があるけれど、幼少期の頃から、元来私にとっての本というものは、"避難所"みたいなところがあった。

もしくは"休憩所"という表現でもいい。

現実で疲れたとき、しんどいとき、本を開けば、
その本の中には私の現実とは違う別の世界がしっかり存在していて、そのことに私はとても安心した。

本を開いてその世界に入りこんでしまえば、現実のことは少なくとも一時は自分から遠ざかる。

そのとき、その本の世界にいられる時間が永遠ではないこと、いずれ本を読み終わってしまえば、また現実が戻ってくることはわかっている。

だから、自分の中では現実逃避とも少し違う。

逃げているわけではなく、また現実に向き合うために、本に、本の中の世界に、いっとき癒しをもらっているような感覚。

もちろんただただ本の内容が面白くて、単純に先が知りたくてワクワクする読書時間もある。

でもそれすらもやっぱり、私は読書に癒しをもらっているのだと思う。

本を読みながら、再び目の前の日々に向き合う活力をもらっている。

大人になった今でも、読書していてそういう感覚になるときがよくある。

先日、少ししんどい出来事があって、そのときもやっぱり本を手にとりたくなった(状況によっては本すら読む気力がないときもあるけど)。

そういう、癒しが欲しいとき、安心が欲しいときに手にとる本。

今の私にとっては、この2冊は揺るぎない。


江國香織さんの「流しのしたの骨」と吉田篤弘さんの「それからはスープのことばかり考えて暮らした」。

どちらも小説です。

決してわかりやすく癒しや慰めの文章が書いてあるわけではなく、登場人物たちの日常を淡々と描いた小説。

共通点を改めて考えてみると、どちらもものすごく大きなハプニングが起きるわけではなく、淡々と続いていく日々の一部を切り取ったような、穏やかで静かな小説だと思う(もちろん静かな日常の中にだってちょっとしたハプニングはあるのですが)。

それぞれの本を開けば、そのなんでもない日常が変わることなく待っていてくれる。

私の現実で何が起きようと、その本の中にはいつもその本の世界が変わることなく存在していてくれる。

そのことにものすごく安心を覚える。

だから、しんどいときや寂しいとき、あまり余計なことを考えたくないなぁというとき、この本を手にとる。

文章を目で追う気力がなければ、ページをパラパラとめくって、さらっと流し読みするくらいでもいい。

なんなら、ページすらめくらず、ただ本にそっと触れるだけでもいい。

もしくは、それらの本が静かに私の本棚で待機してくれていることを目で確認するだけでも。

それだけでも、あの優しい世界は変わることなくそこにいてくれると、安心することができる。

何度も読んで覚えているその本の世界を、登場人物たちを、頭の中に思い描くだけでも、私は安心するのです。

私の心の避難所。

私の"避難本"。

そんな本が手元にあることは
とても幸せなことだなと思います。

皆さんは、
自分がちょっとしんどいなってなったときの、
定番の"避難本"はありますか?

本の存在って本当にありがたい。


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