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10年経っても思い出す、会社勤めの日々で感じたモヤモヤの正体。

まだ会社に勤めていた頃のこと。同じ部署の先輩(女性)の結婚式の二次会の受付係をお願いされた。

もう十年以上前の話なのだけれど、このときのことは、未だにときどき思い出しては、モヤモヤする、というか、自分の心の奥底が鈍く疼いてざわめく。

私はたしか当時入社3年目くらいで、先輩は私の2年上だった。私が入社当初から近くで仕事を教えてくれて、担当した業務も彼女から引き継いだものが多かった。部内での席も隣同士だったので、業務の合間に軽く言葉を交わしたり、お互い本が好きだったので、オススメの本を貸しあったりもした(本の貸しあいに関しては、そもそも勤めていた会社自体が出版業界で、部署の人みんなが読書家が多かったので、彼女だけでなく、部内の複数人と貸し借りをしあっていたのだけれど)。

プライベートで関わるような間柄ではなかったけれど、そんな感じで好感を持っている先輩ではあったので、まず結婚すると聞いて、単純によかった、おめでとうございます、と思った。

そして結婚式の二次会の受付係。まぁ、同じ部署の後輩として、頼まれるのは妥当なのかもしれない、やるしかないのだろう、というのが、私の最初の心境だった。今どきはどうなのかわからないけれど、約十年前は、まだ当時の風潮として、結婚式はともかく、二次会の受付を会社の後輩にお願いするというのは、まぁよくある話だったのではないかと思う。
私自身は声をかけられたのは初めてだったけれど、実際に部署内の別の先輩が私の入社前に結婚したときも、部内の後輩が二次会の受付を担当した、みたいな話を聞いたことがあった。しきたり、というか、古くからの慣わしというか。

とはいえ、先にも書いた通り、プライベートで関わりがあるほどの仲ではなかったので、当時の私の心境を振り返ると、正直二次会の受付という係をお願いされながら、「…そこまで親しくもないけれど…」という気持ちもあったのを覚えている。

けれど、当時はこれが会社という組織において「後輩」であるということによりときに降りかかってくる避けられないことなのかな、と、ある種の諦めも最初からあった気がする。まぁ仕方ないのかな、目くじら立てるほどのことではないし、実際にこの先輩にはお世話になっているし、先輩はいい人だし…。

そして何より、断ると、気まずい。断ったことでこちらに嫌な態度をとってくるような先輩ではなかったと思うのだけどれど、当時の私は、そもそも人間関係において荒波を立てるのが苦手だった。ましてや、彼女とは職場での関係だ。これを断ったら、その結婚式当日を過ぎるまで、なんだかんだでずっと職場での居心地も悪くなる(少なくとも私は勝手に罪悪感を感じて居心地悪くなりそうだ)。

いっそのこと、結婚式の日は予定がある、と瞬時に嘘がつけたらよかったのに。でも、あまりに咄嗟の誘い過ぎたことと、当時変に生真面目だった私は、順次に嘘をつけるほどに器用ではなかった。ある意味、まんまと罠にハマってしまった(いや、あの先輩に私を罠に嵌めようなどという気はなかったと思うけれど)。

先輩から声をかけられてから、返事をするまでの数秒間、素早く自分を納得させて、「あ、はい、大丈夫です」と返事をした。先輩は喜んで「よかったー!ありがとうね!」と笑顔で言った。

そうして私は人生初の結婚式の二次会受付を受け持つことになったのだけれど、その役割を了承した後、いくつかのモヤモヤが連続的に発生し、私の心にはますます暗雲が立ち込めていった。

まずそもそも、私は先輩の結婚式には呼ばれていない。

そう、二次会の受付を頼まれたということは、二次会には呼ばれたわけだけれど、本番の結婚式には呼ばれていないのだ。一方、同じ部署のほとんどの先輩は結婚式と二次会と両方出席予定らしいと、部内の会話の端々から知る。とはいえ、当時私は入社3年目で、その部署で一番後輩であり新人だったので、私を除いて私よりも付き合いが長い他の先輩方が結婚式の方に呼ばれているのは、まぁ私とはまだ付き合い短いし、他の先輩方に比べたら結婚式に呼ぶほどの仲にはなっていないといえば、そうなのかもしれない、とも思った。そう思おうとした。

けれどその後、私と同じく二次会の受付を任された隣の部署の女性二人は結婚式にも呼ばれていることを知り、正直、え?と思う。その二人は、それぞれ私の1年上、2年上の女性の先輩で、結婚する先輩からすると、私と同じく後輩にあたる。総合しても、私が一番後輩であり新人であることは事実なのだけれど、1個上と2個上って、立場は私とそんなに変わらなくないか?彼女たちは呼ばれて、私は呼ばれない、というのは、そこには、どういう差が、違いがあるのだろうか、と思った。

ただ、では自分も結婚式に呼ばれたかったのかというと、正直そういうわけではない。私からしても、その先輩から一生に一度の大事な結婚式という場に呼ばれるくらいの仲かと問われると、まぁそこまでではないかもな、という感じだった。呼ばれたら呼ばれたで、お祝儀を準備したり、当日着るものやヘアセットなどの手配をしなければならなくて大変だ。それらの一連の流れを面倒くさがる時点で、結婚式に参加する資格などない。そんなわけで、結婚式に呼ばれないこと自体を怒っているとか残念に思っているわけではなかった。

でも今回の私の場合、結婚式に呼ばれない一方で、二次会の受付をお願いされたのだ。ただ二次会に呼ばれただけでなく、そこで仕事をお願いされたのだ。ただ二次会といパーティーに気楽に参加すればいいだけじゃない。仕事とはいえ参加者の名簿チェック程度だろうけれど、お願いされたことを当日遂行しなければ、やはり迷惑がかかるし、ある程度責任のある立場だ。

結婚式には呼ぶほどではない仲の後輩を、二次会にだけ呼ぶ。そこまではまぁよくある話だと思うけれど、そこで仕事も任せる。正直私側にとってのメリットや嬉しいポイントは一つもない。もちろん、結婚式も二次会もお祝い事であり、主役は先輩だ。そこはお祝いの心を持って、自分にどんな利益があるかなど考えず、脇役に徹して、黒子としてお手伝いすればいいのかもしれない。

けれどここでやはり引っかかるのは、私と、他の部内の人(特に同じ受付係をやる二人)との差。

結婚する先輩が結婚式に呼ぶほど仲が良い人たちに受付をお願いすることは自然だ。お願いされたほうも、結婚式に呼ばれるくらい仲が良いのだから、お祝いの気持ちを持って喜んで受付をするのは、とても自然なことだ。でも、結婚式に呼ばれるほどではない私が二次会の受付だけ課せられる、これって、なんなんだろう。

そういったモヤモヤが拭えないまま、でも一度請け負ってしまった受付を途中で断るわけにもいかず、日々は過ぎていった。

いや、今の私からしたら、こんなにネガティブな感情を自分が持ち、それを先輩(というかこの事案)に向けるくらいなら、いっそあとからでもいいから断ってしまえ!と思うのだけれど。でも一方で、当時の私は、断って気まずくなったりいざこざを起こすことに比べたら、話を受けておいた方が無難、という程度に、そもそも自分の熱量をそこに向けるのもうんざり、という、気だるさと絶望感のようなものも混在した感覚を抱いていて、それ以上動こうとは思わなかった。

結局は、自分のニーズを相手にちゃんと伝えられない自分への言い訳かもしれないけれど、でもそれでも自分の気持ちと同時に存在する当時の状況、「自分が勤めている会社の先輩にお願い事をされた」という状況に、多少なりとも圧力を感じる自分も確かにいたのだ。

そんなこんなで、じわじわとモヤモヤは抱いたまま、当日を迎えることになった。

しかも、ここで追い討ちをかけるように、この先輩の結婚式に関連してもう一つ憂鬱なことが起きた。

ある先輩の提案で、この二次会の中で、部署のメンバーの有志でダンスの出し物をしよう、という案が上がったのだ。以前別の先輩が結婚したときも、同じことをしたらしく、前例もあるのだった。そしてこれもまた、その部内で一番後輩である私は、断れなかった。今現在の私なら、嫌なものは嫌と(なんだかんだ理由をつけて)断りそうな気がするけれど、まだ入社3年目で、人間関係に荒波を立てるのが面倒で苦手な当時の私は、心の中ではまったく気乗りしないまま、参加するしかなかった。

そして、ダンスの出し物をするということは、イコール、当日本番までに練習をしなければならないということだ。先輩の誰かが、会社の近くの貸しスタジオを探してきて、業務時間が終わった後、本番までに何回かみんなで集まって練習をすることになった。勤務をしている平日は、それでなくても仕事だけで一日疲れているのに、その足ですた時をに向かわなければ泣かなかった。その練習のために、残業なしでできるだけ早く会社を上がれるよう工面する必要もあった。

疲れた体で、狭い貸しスタジオの中で、いい年した先輩のおじさんやお姉様方(おばさんとは言わないでおこう)と、よくわからないお遊戯のようなダンスを練習する。今振り返ると、誰が振り付けを考えてきたのだろう。よくわからないけれど、私は渡された振り付けを言われた通り踊るしかない。曲の名前は忘れたけれど、当時流行っていた氣志團のお祝いソングだった。当時の私は自分でも嫌になるくらいクソ真面目な人間で、参加するからにはダンスも真面目に覚えて取り組んだ。なんなんだこのクソみたいな時間は、と思いながら。

他の先輩たちは、なんだかんだ楽しそうだった。人のお祝いのために、一生懸命ダンスを覚えて、それを楽しめるなんて、その素直さがある意味羨ましかった。いや心底羨ましかった。私みたいなクソ真面目な人間より、よっぽど人生楽しいだろうなと思った。

しかも、繰り返しになるが、このダンスを贈る相手というのは、私を結婚式には呼ばず、二次会の受付をお願いしてきた先輩である。その先輩のことは普通に好きなはずなのだけど、結婚も確かに祝福する気持ちはあるのだけれど、もうなんだかよくわからない。この一連の出来事すべて、自分がそれに対して理不尽や憤りを感じていること、そんなことに自分の時間やエネルギーを使っていること自体も、なんだかすべてが大きな茶番に思えた。

とにかく、早く結婚式当日ががやってきて、なすべきことをなして、早く終えてしまいたかった。

そして実際に、当日はやってきた。

私は二次会に合わせたワンピースを着て、一般の二次会開始時間より少し早めに着いて、同じく受付を任されている他の先輩二人と合流して、受付のセッティングをした。他の先輩二人は結婚式から来たので、結婚式に参加してもおかしくないおめかしをしていて、二次会にしか参加しない私とは、どこか違うオーラを纏っていたように思う。というかマジで、この二人がいるのなら、私は受付をする必要はなかったのではないだろうか。受付なんて二人もいれば十分じゃないか。

とにもかくにも、開始時間になった。主役の結婚した先輩は、始まる前に受付までやってきて「よろしくね」くらいは声をかけてくれたりするのかな、と思ったら、特に顔を出すこともなかった。それが一般的なことなのかはよくわからなかった。きっと主役の花嫁は登場までにお色直しとか、なんか色々準備があるのだろうという推測はできるので、まぁそんなものなのかもしれない。

受付開始時間になると、二次会参加者が次々と会場に入ってきて、受付に並んだ。私は耳にした名前と名簿を照らし合わせて、出席者の名前の横に丸をしていく。さらに、受付の際には、一人一人チェキを撮り、そのチェキに新郎新婦宛てにメッセージを書くコーナーが設置されていた。私はチェキを撮る係も少しやった。

そんなこんなで、二次会がスタートした。「新郎新婦の入場です!」という司会の声とともに、先輩と結婚相手が腕を組んで入場してきて、会場から拍手が湧き起こった。私も拍手をしながら新郎新婦に目をやる。それが私がその日初めて先輩を目にしたときだった。先輩はゴールドのドレスを身に纏っており、笑顔で、幸せそうだった。

その姿の余韻に浸る暇もなく、私は盛り上がる会場を後にして、出し物ダンスの他のメンバーと一緒に急いで会場のトイレへと向かった。そこで出し物用の衣装に着替えた。なぜかわからないけれど、みんなチアリーダーの格好をすることになっていた。ドンキホーテにでも売っていそうな、安そうなチアリーダーのトップスとミニスカートを身につけた。

今思えば、誰があんなものを人数分用意してくれたのだろう。少なくとも自分は何もしていない。今思うと、その準備をしてくれた人には感謝も湧いてくるが、そもそもこの企画をやりたいと言った人がそのくらい用意してくれて当たり前だろうというひねくれた気持ちが今でも出てくる程度に、やっぱりあの出し物に参加したのは不本意だった。

そして、出番がやってきた。司会の方からハイテンションで私たちの紹介があり、出し物メンバーは会場の舞台の上に立つ。すると、新郎新婦が会場の真ん中に置かれた椅子に並んで座ってこちらを見ているのが見えた。

登場すると同時に、会場は盛り上がってくれていたように思う。何しろ、私より何年も上のおじさんサラリーマンたちもみんな女子のチアリーダーのコスプレをしてそこに立っているのだ。あの、会社の飲み会で突然酔っ払った誰かがハイテンションに騒ぎ出した人に対して、それを面白がりつつどこかその人を馬鹿にしたような雰囲気、でもその場のテンションに巻き込まれて(むしろ巻き込まれようとしながら)あえて盛り上がりに行こうとするような、そんな空気だったように思う。

音楽が鳴って、練習してきた通り、踊った。多少の恥ずかしさはあっただろうか。いや、でももはや、そこに立っていること自体が不本意すぎて、でも真面目な私は逃げ出すわけにもいかず、目の前にあること、つまりダンスをただひたすら淡々とやる、そこにはなんの感情もない、そんな心境だったかもしれない。

恥ずかしさなど、そんな感情を感じるほどそのときの自分に起きていることに身を入れたくなかったし、もはや感情は押し殺して、自分の感覚はすべて押し殺して、自分の意識だけはどこか一歩引いた場所に置いてあったように思う。踊りながら、結婚した先輩が大笑いしたり楽しんてくれている様子が見えた。一応必要な盛り上がりは見せたようで、私にとっては、ただ任務を遂行しただけ、そんな感覚だった。

ダンスは無事終わり、またトイレに戻って、元のワンピースに着替えた。その後のことはあまり覚えていない。新郎新婦の過去のVTRのようなものが流れたような、ビンゴ大会のようなものがあって、景品が当たる当たらない、みたいなこともあったかもしれない。約二時間ほどの二次会の中で、自分が何をしていたのか、あまり記憶がない。もうとにかく、目の前のその場を、早く終えたかった。時間が過ぎて行くことを願った。

二次会が無事終わり、新郎新婦が退場した。私はたしか、最後受付の片付けを簡単に終えて、会場の出口に向かった。出口では、新郎新婦が待機していて、帰宅する参加者に向けて小さなお土産を手渡しつつ、最後の挨拶をしていた。

私の番になって、「青木さーん!(私の旧姓)ありがとうねー!」と声をかけながら、先輩は他の人と同じようにお土産を手渡してくれた。この日初めて先輩と目を見て会話した。先輩は、隣にいる新郎さんに向けても「青木さんにはいつもお世話になっているのー!」と私のことを紹介した。私もこのときばかりは心から「おめでとうございますー!おきれいですー!」と満面の笑みと高い声でお祝いと褒めの言葉を送った。お祝いの気持ちは本物だったし、その日の先輩をきれいだなと思った気持ちは本当だ。

そうして、いろんなモヤモヤを含んだ二次会の日は無事終わりを迎えた。

私はこの二次会のエピソードを、十年以上経った今でも、ふとした瞬間に思い出す。

ちなみに今回思い出したきっかけは、たまたま最近読んだエッセイ本の著者が自分と同じく出版取次会社に過去勤めていて、その頃に会社において感じた理不尽さや苦しさのようなものを語る文章を読んだからだった。業種が同じだったことと、自分が当時感じた感覚とも、どこか似通った点もあるように感じたことで、今回はなおさら当時のことがフラッシュバックした。

そして今回もそうだけれど、このエピソードを思い出すたびに、私は、なぜこのエピソードが十年以上経った今もまだ自分の中で鮮明に蘇ってくるのか、それがなぜいまだに自分の感情を揺さぶり、この執着にも近いような過去のエピソードへの感覚が呼び覚まされるのかを考えてみる。

このnoteを書き出したのも、その作業の延長線上のことだ。何度も思い出すこのエピソードを、一度思う存分書き記しておこうと思った。書く作業を通して、また新たな気づきもあるかもしれない。今までも私は、書く作業を通して新たな気づきを得る経験が何度もあった。

…と、ここまでnoteを書き終えて、今回はさらに、私の一番身近な存在である夫にもこのエピソードについて話をしてみた。ちょうどお正月の時期で、家族で外に散歩に出かけた際、道中子どもたちがわちゃわちゃ周りを飛び回っているのを横目に、夫に話す機会があったのだ。

すると、夫から面白い反応が返ってきて、私はまた考えさせられる。

「でも俺だったら、そんなに二次会の受付するのが嫌だったんなら、逆にそのとき断れなかった自分にもある程度非があった、って思うかなー」

夫はそう言った。ちなみに夫は、私がここまで書いてきたこと(考えてきたこと)、つまり、当時古い会社もしくは十年以上前の社会の風習として、会社の後輩に二次会の受付を頼むことは珍しくはないこと、それまで続いてきた暗黙の了解のような風習やしきたりがあるからこそ後輩としてはお願いを断りづらかった、という状況には理解を示しているし共感してくれている。さらには、私が周りの人との人間関係に荒波を立てることが非常に苦手であるということも考慮したうえで、あえてそう言った。

当時の私を責めて言っているわけではなく、あくまでも自分に置き換えて考えたら、ということだった。夫は、人間関係に荒波を立てるのが苦手だった当時の私と比べて、昔から周りにどう思われるかなどの他人の反応はあまり気にせずに過ごせてしまうタイプなので、確かにそんな彼ならば、当時の私の立場でも、嫌なものは嫌と、うまい言い訳でも考えて誘いをすり抜けられていた気もする。

そして、夫からの指摘もごもっともだとも思う。もちろん私もこれまで同じように思わなかったわけではない。つまり、「そんなに受付をやるのが嫌だったなら、自分の気持ちを優先して断ればよかったじゃないか」「社会の風習、会社の習わし、先輩たちだけを責めるのはどうなんだろう。結局、断りきれなかった自分のせいでもあるじゃないか。それをあとからぐちぐち言うのはどうなんだ」と。

でも逆に、自分でもある程度思っていたことを、今回改めて夫の口から、つまり自分とは違う外部から言われたことで、改めて感じたこと、気づいたことがある。

「いや、わかるよ?わかる。

今の私だったら、どんなに気まずくても、罪悪感感じても、自分が本当に嫌なことだったら、なんとか断るとも思う。でもあの頃はさ、やっぱり無理だったよ。自分が心地悪い選択をしていると分かっていても、やっぱり断れなかったよ。あの頃の若い私はさ、やっぱり、到底跳ね返すことのできないような”圧”を感じていたんだと思う。

先輩にそのつもりはなかったと思うよ。それこそ先輩だって、他のみんなも結婚式では後輩に受付とかお願いしてるし、みたいな、他の人もやっているし、まぁ普通だよね、っていうある意味軽い気持ちで依頼してきたと思う。まさか私がここまで、それこそ十年以上経った今も振り返ってしまうほどモヤモヤしていたなんて、多分想像もつかないくらい、むこうは本当になんの気なしに頼んできたんだと思う。

でもやっぱり私はあのとき、彼女より後輩だったし、それまでにも後輩が受付をやった前例があると聞いたことがあったら、それはもうそのいろんな方向からの”圧”を抜け出して断るには、そこまでの強さはなかった。その選択肢はあるようでなかったよ」

気づけば夫に向かってそうまくし立てていた。

そう、これが、この二次会受付エピソードの根幹なんだと思う。

当時の社会の風習やしきたりの”圧”、そして、それに立ち向かうほどのマインドも心も持ち合わせていない、若くて未熟な自分。

そう、当時の私は、やっぱり人間としてまだまだ未熟すぎた。新卒からまだ三年しか経っていない二十代前半のペーペーだ。年齢もそうだけれど、当時の私は、まだまだ社会に出て人と関わる経験も多くはなかったし、自分のマインドやハートの整え方も知らなかった。自分の感情をゆっくり観察すること、自分を心地よい状態へと整えてあげる方法(そのためには例えば嫌なことはときに断ってもいいということ)も、今と違って知らなかった、わからなかった。目上の人に言われたことは、余程のことがない限り、従わなければいけないと思っていた。それがベストだと思っていた。

そうやって、極力荒波を立てずにやり過ごそうとした。みんなもきっとそうしているから。そうするしかないから。

でも。でもやっぱり。私の中の何かは納得していなかった。だから、いまだに未消化な感情が、十年以上経った今も、ふと刺激されて疼くんだ。あの頃、確かに感じていた不快感、理不尽さ、憤り。そう、憤り。私は怒っていた。なぜ。なぜそうしなければならないの。後輩だからといって。なぜこんなにもやりたくないことをやらなければならないの。理不尽だ。フェアじゃない。最初から私には選択肢がない。嫌なら断ったらいいじゃんって?断れないよ。断れないよ。世間の、これまでの習わしの、”圧”が強すぎた。無意識にその”圧”にのしかかられて、なす術がなかった。先輩に悪意など一切ないのは分かっている。なんなら、私のことを信頼できる後輩として頼んでくれたのかもしれない。それでも。もう先輩と後輩という間柄なだけで、やっぱり自然と”圧”は生まれてしまうんだ。それは先輩のせいでもなく、もちろん私のせいでもなく。そう、私は先輩を責めているわけではない。ただ、ただ、あの”圧”に、私を不快にさせ、私に先輩への心地悪い感情を抱かせてしまったあの”圧”に、憤りを感じている。”圧”の元に平伏すしかなかった若くて未熟な自分。憤り。断れなかった自分に憤りを感じるには、”圧”が強すぎた。

夫の言葉から、そんな私の思考が、気持ちが、より鮮明になった。

今こうやって改めて書き出してみると、会社勤めをしていた頃は、いろんな局面でこういった"圧"を感じる出来事があったように思う。今回書いた二次会受付エピソードは、その中でも特に不本意な受付にダンスと、"圧"の先にあるモヤモヤがあまりに重なって特に記憶に残っているのだろう。

こうやって書き出すことで、過去に向けての感情は、いずれ解消するだろうか。もはや過去のことすぎて、今現在鮮明な怒りを感じているわけではない。でもやっぱり、当時の私、気の毒だったな、とは思う。仕方なかったよな、と思う。お疲れ様、と思う。

今の私にできることは、やっぱりもう、今目の前の人生を生きることだけ。今の私は、自分の感覚を大切にするということ、心地よいほうを取りにいっていいと、自分に言ってあげること、それをしていこう。

そうしていくことで、過去への苦い感覚も、いつか本当に思い出になるのかもしれない。

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結婚式の思い出

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