氷室冴子さんから思いを馳せる、あの日の『NANA』と「淋しさ」

先日何の気なしにTwitterを見ていたら、あるネット記事に遭遇した。それは今は亡き作家氷室冴子さんにまつわる記事だった。

氷室冴子さんと言えば、私が中高生時代に読んで大ハマりした作家さんの一人。

「クララ白書」、「アグネス白書」、「なんて素敵にジャパネスク」、「海がきこえる」…大好きだったなぁ!氷室さんが主に活動されていたのは、世代的には私よりも少し上の、私の親の世代くらいだったのではないかと思う。それでも私にとって氷室冴子さんの描く物語は、少し世代にズレがあろうと関係なく、抜群に面白かった。

ストーリーはもちろん、個性豊かな女主人公たち(おとなしく愛らしいというより、ちょっとおてんばで破天荒で一生懸命なところが読者もつい愛さずにはいられない、そんなキャラクターたち!)に魅了された。私は特に「クララ白書」のしのぶちゃんが大好きだったなぁ…!いや、しのぶちゃんだけでなく、彼女と同じ女子寮で過ごす同級生たちとの友情が大好きだった。私が中高生の頃に読んだ本の中で確実にベスト3に入る。

…というように、その後もいろんな本に出会ってきた私だけれど、氷室冴子さんという作家と彼女が世に出した物語たちに、私は特別な思い入れがある。

そんな氷室さんが亡くなって今年でちょうど15年らしく、それを機に氷室さんと縁のある人たちへインタビューリレーをしていくという企画があったらしく、私がTwitterで見かけたのは、そのインタビューリレーの記事のうちの一つだった。その記事のインタビュー相手は、こちらもまた知らない人はいないであろう大人気漫画家の萩尾望都さん。「ポーの一族」や「トーマの心臓」が有名な萩尾さん。

実は私自身は萩尾さんの作品はじっくり読んだことはないのだけど、私の母が萩尾さんが好きで、昔、実家の本棚に並んでいる萩尾さんの漫画をよく目にしていた。氷室さんと同じく、やはり母の世代なのだろうと思う。

氷室さんが生きた時代、そして現代社会においても「女の子」を小説で描くということについて、氷室さんと荻野さんが考えていたこと感じていたことなどが載っていてすごく興味深いインタビュー記事だったのでmぜひ他の方にも読んでほしいと思うのだけど(後ほどリンク貼っておきます)、そのインタビュー記事の中のあるエピソードに私は気づけば心を鷲掴みにされていて、そのときに感じたこと思ったことを、どうにか文章にしておきたくて、今このnoteを書いているのだ。

早速、私が心を鷲掴みにされた記事の一部を引用させていただこうと思う。

―氷室さんとは、公私ともに交流がおありだったのですね?

萩尾「ええ。氷室さんと一緒に小学館漫画賞の審査員に選ばれたことがあって、男性審査員が多い中で女性審査員が私と氷室さんだったんですけど、その審査もとても面白かったです。『NANA』が候補にあがったときに、賛否が分かれてしまったんですよ。私と氷室さんはもちろん大賛成で、素晴らしい作品なんですけど、2人いるNANAのうち、ちょっと気の弱いほうが、いろんな恋愛をしては失恋して、恋愛をしては失恋し、を繰り返すんです。それで、「こんなに次々と男をかえる女は嫌いだ」って別の審査員の方が言われてね(笑)。困ったなと思ったら、氷室さんが、「なぜ彼女が次々と恋をするのか、それは彼女が深い淋しさを抱えているからである」と、弁舌を振ってくださって。それを聞いた男性審査員が、納得してくださって、『NANA』が受賞した経緯があるんです。言いたいことはいつもきちっと相手に分かるようにお話しなさる方でした。本当に心強かったです」

「没後15年 氷室冴子をリレーする」NHK北海道


あぁ…!もういろんな角度から心震えるエピソードが語られるている!この記事を読んだときに、本当に鳥肌が立ったというか、もはや若干目元に涙が滲むくらいの、これはなんの感情だろう、感動のような、懐かしさのような、驚きのような、とにかういろんな感覚や思いが一気に押し寄せてきて、私の胸はいっぱいになった。

今回のその私の感情の揺れを、自分なりに掘り下げてみようと思う。

まず、私(現在38歳)の世代なら知らない人はいないであろう、矢沢あいさんの漫画「NANA」が突然インタビューの中に登場してドキッとした。「NANA」と言えば、私の世代にとって、いろんな意味で一世を風靡したと言っても過言ではない作品!東京で恋人との楽しい生活を夢見て地方から上京してきた奈々と、歌手になるという夢を目指して上京してきたナナ、という最初は名前だけが共通点の二人の女子が出会い、そこで紡がれていく友情、恋愛、夢の実現などなどを描いた作品。

私が「NANA」という作品に出会ったのは、忘れもしない、「NANA」が初めて世に出た「Cookie」という少女漫画雑誌でのことだった。当時「なかよし」「りぼん」「マーガレット」などの主要少女漫画雑誌に加えて、新たに「Cookie」という新しい雑誌が創刊されることになり、その大きな目玉作品の一つとしてトップに掲載されていたのが「NANA」だった。「NANA」は後に世間に注目されてビッグヒットになったけれど、この、まだ無名だった「Cookie」という雑誌の創刊号に掲載されたときに、リアルタイムで「NANA」第一話を読んだ人は実は限られているのではないかと、その一員になれた私はひっそりニンマリしている。

初めて読んだ「NANA」という作品。とにかくまずはあの矢沢あいさん描く美しくかわいい絵に惹かれ、そして、名前が一緒という偶然から二人の女子が部屋をシェアすることになるという展開にワクワクし、二人の友情が育まれていく様子に胸が熱くなり、さらには二人それぞれの恋愛の進展にドキドキハラハラし、毎月次の号の発売を楽しみにしていた。もちろん単行本になったら最新刊が出るたびに買っていた。

当時高校生くらいだった私が「NANA」に惹かれた理由はなんだったのだろうと今振り返ってみると、いろんな要素はあっただろうけど、まずは単純に、そのオシャレ(に見えた)世界観そのものだろう。

当時、学校の友達とよく「自分は奈々派か、ナナ派か」という話題になったりしたのだけど、私は最初は断然奈々に惹かれた。

奈々のかわいらしいビジュアル、メイクやヘアスタイル、着ている服、部屋のインテリア、仕事はかわいい雑貨屋さんに勤めて、帰りはジャクソンバーガーで美味しそうなハンバーガーを買って帰って彼氏の章司とラブラブ過ごす、というなんともオシャレで楽しそうな生活!私も大学生になったらこんなお洋服を着て、オシャレな場所でバイトして、素敵な彼氏とこんな生活がしたい!きっと同じように奈々に憧れた女子は少なくないはず。

けれど、最初は見ていてワクワクする二人の女の子の共同生活も、物語が発展していくにつれて、それぞれの人生の雲行きが怪しくなってくるというか、いろんなハプニングが起こっていく。その中でも、とにかく「NANA」の最初のほうで読者が大盛り上がり、というか、ハラハラ見守ったことの一つは、奈々の恋愛の行方だろう。

奈々の彼氏章司に近づくバイト先の女子・幸子(さちこ) の登場に読者は大興奮。「幸子は確信犯のヤバい女だ!」「奈々負けるな!」「でも、奈々のワガママに疲れた章司が幸子に流されちゃうのもわかるっちゃわかるよね…」と読者の心は大いに揺さぶられた。結果的に章司は奈々と別れて幸子とくっつく。そしてそこから奈々は、いろんな男性と恋愛をして、付き合ったり、別れたりを繰り返し、最終的には妊娠をする…。

私は実は、そうやって奈々が次から次へとすぐにいろんな人に惚れたり恋愛関係になるその様子が、なんだか読んでいてあまり好きではないというか、正直なんとなく不快に感じることも多く、その頃には連載スタート当初に感じていた奈々への憧れや好感というものはなくなっていった。逆に、最初はビジュアル的にはパンク過ぎるし歌手になるのが夢という自分からするとあまり身近に感じられなかったもう一人のナナのほうが、実は考え方や行動がしっかりしていて「ちゃんとした」人なんじゃないかとそちらに好感を持つようになったり。

しかし今思えば、あの頃奈々に感じた違和感や不快感というのは、当時の私からすると”理解できない””よくわからない”奈々という存在や彼女の行動、そういった未知のものへの”怖さ”からくるものだったのではないかと思う。

そう、当時高校生で大した恋愛経験もなかった私からすると、なぜ奈々という女性がすぐ目の前の男に惹かれてしまったり、その場の雰囲気に流されてすぐ体の関係をもってしまうのか、そのふらりふらりと(言い方は悪いけれど)男をとっかえひっかえしてしまう行動が、理解できなかった。どう考えてもノブのほうがいい人なのに、なんでタクミのほうに行っちゃうかなー!とか、当時リアルタイムで漫画を読んでいた読者ほぼ全員が一度は思ったであろうことを、私も思っていた(しかしその後、妊娠した奈々の責任をとろうとするタクミは、なんだかんだで実はノブより器の広い男なのだろうか…結局奈々はどちらと一緒になったほうが幸せになるのだろうか…とまた勝手に頭を悩ませたり)。

さて、ここまでかなり長く「NANA」語りをしてしまったけれど、ここでようやく、先ほど引用した氷室冴子さんに関する荻野さんへのインタビュー記事に戻ろう。

私と同じように当時「NANA」に親しんできた人からすると、先ほどの引用部分、胸アツではないですか!?

小学館漫画賞の候補になっていた「NANA」。そのとき氷室さんと荻野さんは唯一の女性選考委員として受賞に大賛成していたけれど、そこでまさに私がこれまで語ってきた奈々というキャラクターについて、「こんなに次々と男をかえる女は嫌いだ」と受賞反対をした男性審査員がいたと。

そのときに氷室さんが返した言葉!

『なぜ彼女が次々と恋をするのか、それは彼女が深い淋しさを抱えているからである』


……………っ!!!(悶絶)

…いやぁ…そうなんだよな……そうなんだよなぁ…!!


十年以上の時を経て、改めて「NANA」という作品、奈々というキャラクターを振り返ってみたとき、今の私には、氷室さんが奈々について語ったこの「深い淋しさ」を(少なくとも高校生の頃よりは)理解できる、と思うのだ。そうだ、奈々はきっと淋しかったんだ。誰にも必要とされない自分、なんのためにここにいるのかわからない自分、なんのために生きているのかわからない自分…。明確な目的があったわけでもなくとにかく東京に行きたいと上京してきて、唯一頼りにして心の拠り所にしていた彼氏とも別れてしまった奈々。

そんな絶望的な状態の中で、奈々の横には常に大好きなナナがいてくれたけれど、一方で、ナナは歌手になる夢を叶えるべく一歩ずつ前進していて、運命の相手のように愛し合う蓮という存在がいた。奈々にとってのナナという人物は、大好きで憧れの存在であったと同時に、自分と比べたときにはそのあまりの存在の眩しさに、きっと(自覚あろうとなかろうと)苦しさや惨めさも感じてしまうような、そんな存在だったのではないだろうか。

その淋しさ、苦しさ、惨めさを(ほんの一時でも)埋めてくれる(ように思える)男たち。奈々の淋しさ、奈々の行動、今なら、わかる気がするよ…。当時高校生だった若造な私には、それをそこまで感じ入ることはできなかったなぁ…(遠い目)。

もちろん私が矢沢あいさんの描こうとした奈々のキャラクターについて完璧に理解したとは言い切れないけれど(完璧に理解できるのはきっと描いた矢沢あいさん本人だけだろう)、今回のインタビュー記事で、この氷室さんに関するエピソードと当時の彼女の言葉を読んだことで、私は私なりに、以前「NANA」という作品に出会った当初に感じた「不快感」や「違和感」に10年以上ぶりに改めて向き合い、その正体の片鱗を掴むことができた気がする。

そうして改めて「NANA」という作品を振り返ってみると、あの作品は、当時の少女漫画業界においては、だいぶ異端児だったのではないだろうか、と思ったりする。例えば、当時の他の漫画雑誌「りぼん」とか「マーガレット」などの漫画を思い返すと、恋愛を描くにしてももう少しかわいらしいというか、片思いの女の子がどうやって男の子と両思いになるか、その過程のドキドキキュンキュンが描かれていたようなイメージで(もちろんそれだけではないけれど)、その中で、先ほども書いたような、奈々の生きていくうえでの淋しさとか、奈々に限らず、登場人物たちが人生で直面する苦しさとか葛藤とか理不尽さとか、そういったものを包み隠さず描いていたという点では、なかなか異質だったのでは…?

いや、私が読んでいた漫画の範囲で語っている話なので、当時もう少し上の年齢向けの漫画雑誌には同じように大人びた話の漫画ももちろんあったのかもしれないけれど。確か、そもそも「Cookie」が「りぼん」のお姉さん雑誌みたいな位置付けで創刊されて、りぼんを卒業する女子たちが次に読む漫画雑誌としてオススメされていた気がするから、「りぼん」などの漫画より少し大人っぽいのは狙い通りの路線だったのかもしれない。

とにもかくにも、当時の私、そして当時の漫画大賞の男性審査員が理解できずどちらかというと非難していた奈々の行動の所以を、氷室先生が「深い淋しさ」と言葉にして訴えたこと、それにより男性審査員が納得し、最終的に「NANA」が大賞を受賞したことに、今、私は胸アツなのである。当時、「NANA」が小学館漫画賞を受賞した時のことを私は覚えている。受賞をしたとき、「Cookie 」の表紙に「NANA 小学館漫画賞受賞!おめでとう!」みたいなことが大きく展開されていた気がする。

あの「NANA」の受賞の裏に、大好きな氷室冴子さんのお力添えが、彼女の想いと言葉があったなんて!選考委員の間でそんなやりとりがなされていたなんて!(ここで女性審査員のお二人が感じたことと、男性審査員が感じたことのコントラストも、女性と男性という性別の違いの局面から観察すると、また大変興味深いのだけれど…ここを掘るとまた長くなりそうなので今回はここまでで…!)

「NANA」という作品の肝を、十年以上の時を経て改めて受けとる、そんな機会を与えてくれたのが私の大好きな作家の氷室冴子さん(と荻野さん)ということが、なんだか嬉しいご縁だなぁというか、不思議ながらありがたい体験だなぁと思うのだった。

●こちらが荻野さんへのインタビュー全文です


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