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自分の声を聞くこと以上に、大切なことはない


昨日Xで、
若者がマルチの勧誘に
引っかかりそうになっている現場に遭遇した、
というツイートが流れてきた。
(今ってツイートであってるのかな?笑)

で、その誘い文句が、

「わかります、不安ですよね。
ぶっちゃけこれってイカれてますもん。
けど普通の人生かそうでない人生かで、
僕はこっちを選びました」

というフレーズだったらしく、
なんかめっちゃ現代〜〜〜!!!
となぜか感動してしまった私です。笑

だってマルチの勧誘って、
これをすれば豊かな人生を歩めますよ!とか、
お金がある人生とない人生、
あなたはどちらがいいですか?とか、
てっきりそういう謳い文句ばかりだと思ってた。


それが今は、
「普通の人生かそうじゃない人生、
あなたならどちらを選ぶ?」

となっているところに、
ものすごく現代味を感じたのだった。


今の若者はきっと
「普通の人生」が嫌なのだろうな、と。

だからこそ、そこにつけ込まれる。

そこにつけ込む大人がいるというのも悲しいけど、
つけ込まれる若者がいるのもまた事実で。

はて、普通の人生とはなんだろう。

無難な大学を卒業して適度に大きな会社に就職、
30前後で結婚して子供を作って
休日は家族と庭でBBQなんかしたり
時には趣味のゴルフに行ったりして、
会社に少しの不満を持ちつつも
そのまま定年まで働いて退職し、
老後は生まれてくる孫を可愛がる。

そんなところだろうか。


こんな絵に描いたような普通の人生では、
若者たちは満足できないのだ。

なぜなら、「普通」だから。
自分が「普通」であることに耐えられないから。


肌感覚だけど、今って
「何者かになりたい」と願う若者が
ものすごく多い気がする。


普通ではダメで、みんなとは違っていたくて、
自分にしかできないことで何かを成し遂げたい。

そうすることで幸せを感じたい。

じゃあ何かを目指そう!ということになって、
お金を稼ぎたいとか、有名になりたい、
みたいな漠然とした欲が出てくる。

そういう人がすごく多いと感じる。

で、わたしはそれをなぜだろう、とよく考える。


だってそれって、そもそものゴール設定が
大雑把すぎると思いませんか。


だってそれは
その人自身の欲望でもなんでもないわけで。


派手にお金を稼ぐとか、有名になるとか、
自分のことを売りにするとか、
そういうことが「成功」だと思い込まされてきた
現代の若者の末路って感じがしてしまう。


自分のやりたいことが何も分からないから
「普通じゃない幸せ」に憧れて、
ただただ何者かになることが先行してしまう。

でも、たしかに私も若い頃は、
「何者かになりたい」という漠然とした気持ちが
自分の中にあったなあと思うんだけれど。


誰かと同じことをしているのではダメで、
自分にしかできないことをしたい。

みんなにはできなくて、
自分にはできることってなんだろう?

自分の個性を活かせる仕事って?

・・そんな風に考えていた時期が、
私にもたしかにあった。


だからこそわたしは国家試験を突破して
専門職に就いたわけで、
その気持ちが全くわからないわけではないのだ。

でも、今になって思う。

それはきっと、


「私がこの世界で生きていくためには、
特別でいないといけない。

その他大勢にはなりたくない。


🟰頑張って特別にならないと、
わたしはこの世界で生きていられない。」

そういう気持ちの裏返しだったんだと今は思う。

若かったなあ。

気付かぬうちに、
自分で自分の存在価値を否定していたあの頃。

わたしが「普通」であることに、
わたし自身が耐えられなかったあの頃。


だから最初に書いたツイートのことも、
もしわたしがまだうんと若い頃だったら
その話に乗っていただろうなと思うし、
その若者のことをとやかく言える立場では
全然ないのだけれど。

でも今なら分かる。

この苦しみから逃れるためには、
「普通である勇気」と、
「自分にとっての幸せとは何かを感じる力」
がどうしても必要なのだ。


さて、わたしがこのことに気が付いたのは、
「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」
という本を読んでから。


当時、社会人一年目くらいだっただろうか。

かいつまんで引用してみよう。


哲人:
アドラー心理学では、人間の抱える最も根源的な欲求は「所属欲」だと考えます。つまり孤立したくない。「ここにいてもいいんだ」と実感したい。孤立は社会的死につながり、やがて生命的な死につながるのですから。

ではどうすれば所属感を得られるのか?

・・共同体の中で、特別な地位を得ることです。「その他大勢」にならないことです。(中略)

かけがえのない「このわたし」が「その他大勢」であってはならない。いついかなるときでも自分だけの居場所が確保されていなければならない。

幸せになる勇気


哲人:
他者からの承認を求めるのではなく、自らの意志で自らを承認するしかないでしょう。

私の価値を他者に決めてもらうこと。
それは「依存」です。
一方私の価値を、自らが決定すること。
これを「自立」と呼びます。


青年:
そんなもの不可能でしょう!
我々は自が持ててないからこそ、他者からの承認を必要としているのですよ!

哲人:
おそらくそれは、「普通である勇気」が足りていないのでしょう。ありのままでいいのです。特別な存在にならずとも、優れていなくても、あなたの居場所はそこにあります。
平凡なる自分をその他大勢として受け入れましょう。(中略)人と違うことに価値を置くのではなく、私であることに価値を置くのです。

幸せになる勇気


わたしは、
自立している大人でありたかったのだと思う。

つまり、他者に頼ることなく自分で自分の価値を
決められる大人になりたかった。

自分にとっての幸せをきちんと見分けられる
大人になりたかった。

そのためには
他の人よりも特別になる必要なんかなかったし、
何者かになる必要なんか全然なくて、
どんな環境にいたって
ひとまずは自分で自分のことを認めてあげられれば
それでよかったのだ。


特別じゃなくても、何かに秀でていなくても、
だらしなかったり嫌なところがあったりしても、
わたしはここにいる。

ここにいていい。

人と違うから価値があるのではなく、
わたしはわたしで在ること自体に価値がある。


そういうふうに思えれば、
「何者かになりたい」という漠然とした欲求は
そもそも生まれてこないのではないか。

だってそれは、
社会における所属欲を満たしたいという欲求の
裏返しなだけなのだから。

この本を読んで、私はそう気がついた。

人と比べて特別な存在に見える人になんか、
ならなくたってよかったのだ。

もちろん、芸能人とかインフルエンサーとか、
結果的にそうなっている人たちを
否定しているわけではない。



でも、わたしが幸せになるためには
何者かになることや有名になるという類のことは
必要ない、ということが
ここにきてようやく分かってきた。

・・・

わたしたちはおそらく、
学校や職場、SNSなどの社会生活を通して、
自分の感覚を失われされ続けてきたのだと思う。

自分が何をすれば幸せで、
何が好きで、どう生きたいのか。

刷り込まれた価値観を外して自分を取り戻すことは
そう簡単にできることじゃない。

だからこそ、この「何者かになりたい病」が
現代に蔓延っているのだと思う。

だから、ほんの些細な小さなことでもいいから
自分の声を大切にするところから
始めればいいのだろうな、と思う。

欲望を追い求めた先に
幸せがあるって思いこんでいると、
例えばお金があれば幸せ、結婚したら幸せ、
美しくなれれば幸せ、有名になれれば幸せ、
みたいな感じで、
誰にでもわかりやすいゴールに
すぐに飛びつきたくなってしまう。


「何かを手にしたかどうか」っていうことが、
「幸せであるかどうか」の判断基準に
なってしまう。

でも、そういう万人が共通認識できるような
分かりやすい幸せや成功の形が
自分にとっての幸せかどうかなんて、
本当はわからないこと。

そういう刷り込みを外すのって、
実はものすごく大変なことだと思う。



もっと違う、自分だけにとっての幸せが
あるんじゃないかって考えてみることが、
大切なんじゃないかとわたしは思うのだ。


自分にとっての快適な状況って
どんな状況なのかを日々感じながら、
ひとつひとつそれを掴み取っていくこと。


それは例えば有名になるとか、
結婚してお嫁さんになるとか、
もっと美しくなってチヤホヤされるとか、
そういう他者を介したものではなくて、

晴れた日に歩くのは気持ちいいなとか、
足が冷えないようにすると調子がいいなとか、
疲れた時はこの友人に会うと元気が出るとか、
そういうこと。

どんなに小さくてもいいから、
他者を介在させずとも
自分が絶対的に快適だと思えること。

そういうことからしか、
その人個人の幸せは始まらない気がする。


わたしは今でさえ自分が本当はどう感じるかを
分かるようになってきて、それに従って
生きることができるようになったけれど、
件のツイートの若者はきっと
それがまだできていない状態なのだと思う。


だからこそ、
何かを成し遂げて幸せにならなければ、
と必死でもがいている。



「自分が何をすれば幸せかを知らない」
という事実に気づかぬまま、
何かを成し遂げたいと悩んでいる人が、
あの若者以外にもたくさんいるのだと思う。

そういうふうに生きている人を見ると辛くなる。

あなたは本当は何に幸せを感じているの?と。



何者かにならなくたって、ひとまず
あなたはあなたで在るだけでいいのだ。

そして、あなただけにとっての幸せを
たくさん発見して積み重ねていけばいい。

それができれば、自分の心の声に従って
生きていける日が必ずやってくる。



あなたの世界は
きっともっと素晴らしくなる・・・


マルチに騙されそうな若者に思いを馳せながら、
わたしは今、そんなことを考えている。



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