もやもやするときは「わからない」の棚に違和感を放っておく
これは、あるとき私が
自分の傲慢さに気が付いたときのお話。
・・・
もやもやという感情は
人間ならば誰しも持ってしまうものだ、
とそれまでの私は思っていた。
だけど、ある時ふと気付いたことがある。
私、そういえば自然相手には
もやもやしないな、と。
例えば、地震が起きたとか
蚊に噛まれたとかクマに襲われたとか、
そういう自然現象や天変地異に対して
もやもやすることって私はない。
蚊に対して噛むなと言っても、
クマに対して敵ではありませんと言っても、
何も変わらないから。
地震にもやもやしたって起こる時は起こるし。
つまり、もやもやするっていうのは
その相手が人間だからこそ起こることで、
それは「相手が自分の都合の良いように、
自分の正義に沿うように
変わってくれるのではないか」
という淡い期待を
少なからず抱いているからなのだ。
つまりそれは相手をコントロールできると
思っていることに他ならない。
熊に対しては、コントロールできないから
どんなに噛みつかれようが襲われようが
森に出た自分が悪かった、とすら思うのに、
これが人間だった場合には
途端にもやもやしてしまうのだ。
これを傲慢と呼ばずして、なんと呼ぶのだろう。
人にはそれぞれ
大事にしている価値観があるのだから、
それを自分が変えられるかもしれないという
期待を持つことなど言語道断なのだ。
そう気づいた時、私は自分の
これまでの傲慢さを恥じた。
そして私は、じゃあこの「期待」の部分を
うまくコントロールすればいいんだ!と考え、
それを実行することにした。
どんなに仲が良い人でも気が合う人でも、
変わることを期待しないようにしよう、と。
でも、これがなかなか難しい。
「期待しない」ということには限度があった。
それに、私は今まで
自分の「存在」が誰かに与える影響のことを
まるで考えていなかったように思う。
私がただここに存在するだけで、
良くも悪くも誰かに何らかの影響を与えている。
私が何を言わずとも
その存在だけで誰かを救うこともあれば、
逆に誰かをもやもやさせることもある。
これに関してはもうどうしようもない、
どう頑張っても避けられない、と思うのだけど。
でも人間はこんなふうに、
互いの存在によっても少なからず影響しあって
変化したり、成長したりするものなのだ。
私はそれを、つい最近まで
きちんと理解できていなかったと思う。
というのも、
人間はお互いの存在や対話することによって
影響しあって常に変わっていくものなのに、
自分とは異なる考え方や分からない人に出会った時に
今までの自分の価値観を総動員して
「良い」「悪い」「正しい」「間違ってる」
と全てを振り分けていってしまうというのは
いかがなものなのか、と思ったのだ。
新たな違和感や価値観を毎回毎回ジャッジして
それにもやもやしているだけでは、
何も良い方に変わっていかない。
それはただ、今までの価値観の自分を
キープしているだけの状態であり、
何も広がっていない。
そういうふうに全てをジャッジするのではなく、
「わからない」の棚を作っておく。
そしてそこに違和感や
もやもやした感情を放っておく。
これが私が今実践していることだ。
自分にとって良いか悪いか、
好きか嫌いかということはひとまず考えずに、
その違和感の正体を決めつけないで
とりあえず「わからない」の棚に放っておく。
今の自分には理解できない、の棚に。
こういうふうに考え始めたら、誰かに対して
イライラしたりもやもやしたりすることが
格段に少なくなった。
つまり、自分がもやもやする相手というのは
その人が悪いとか悪人だとか
そういうわけでは多分なくて、
「今の私にはわからない、想像できない」
というだけの可能性が高いのかもしれないな、
と思えるようになったのだ。
一旦「わからない」の棚で預かって寝かせると
後々になって相手の意図や思いが
急に分かるようになるタイミングが訪れたりして、
こうなると相手と和解できたりするのだ。
そして、双方向でそういうことができると
それは信じられないくらいの
充実感となって押し寄せてくる。
ようやくお互いに分かり合えた…!!
そういうことだったのか…!!!
と思える瞬間が人生にはたまにあって、
そういう瞬間ってたまらなく嬉しいものだ。
だからこそ、そういう瞬間を味わうために
これからも色んなことを経験して
自分の幅を広げるべきだと思うし、
物事をジャッジしすぎることのない様に
多くのことを学んでいかなければ、と思う。
でも別に、
結果的に絶対にわからないことがあったとしても
それはそれで全然良いとも思っている。
無理に全てを分かろうとする必要はない。
ただ、すぐにジャッジさえしなければ
分かりあえる瞬間がやってくることはあるはずだ。
知らない価値観、
拭えない違和感があるということは、
逆に言えばその相手といつか
本当に分かり合えるチャンスがある
ということでもあって、
そう考えたら人生ってなかなか面白いじゃん、
と今は思う。
そして私は、
こんなふうに相手と真に分かり合える喜びを
大人になるまでほとんど知らなかったのだから、
人生にはこれからもまだ私の知らない喜びが
たくさんあるのかと思うと、
本当に人生って面白いなって。
そういうまだ見ぬ新たな喜びを
たくさん発見できる人生にしたいなと、
そんなことを思う夜なのでした。
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