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なぜ運がいい人や成功者は「教養」を大事にするのか。

毎日仕事が忙しくて勉強する時間もないし
新しいことにチャレンジする時間もないと嘆く人は多いようです。

しかし
運がいい人や成功者は「教養」を学ぶ時間を
恐ろしいほどに大切にすると言います。

なぜなら「教養」こそ、人としての「器」を大きくし
その人の魅力を最大化してくれるものであり
総合的な人間力を磨くためにとても重要だと認識しているからです。

高い教養を持っていれば
成功者たちから見込まれるかもしれない。
人と話す会話に困らず交流が増えるかもしれない。
仕事での新しいアイデアが湧いてくるかもしれない。
と言うようなことが身の回りで起きてきます。


実際にボクの実例なのですが
ある方が
「京都ってどんな街なの?」
「あんまり興味がないんだよなぁ…」

と口にしていたので
ボクが

「京都って“千年の都”と呼ばれていますけど
1000年間も続いた都市って世界でも稀らしいですよ。」

…とたった一言伝えただけで目を見開いて興味を持ってくれました。

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そこからその方を案内することになり
その後、京都が大好きになり
また「あなたに連れて行って欲しい」とも言われました。
それは大変光栄な事なのですが、ボクはガイドじゃないんですけどね。

こんなところからもビジネスがトントンと進み
人脈が増える可能性もあるわけです。

…というようにちょっとした一コマでも
「教養」が後の人生に大きな影響を与えるかもしれません。

ボクがこのように思うようになったキッカケは
小さい頃、京大に叔父さんがいまして
「遊びに連れて行って~」
とせがんだとき

「あの神社はどういう神社か知ってるか?」

と突然問われたんです。

「……???」

まだ小さいボクは答えられませんでした。
というより知るわけないやん。ってな感じです。

すると叔父さんに

「自分の住んでいる近くの神社や歴史を知らずして
遠いところに行こうとするな!」

と言われたんです。

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今思うと、とんでもないこと言ってんなぁって思えるのですが
当時のボクはカナヅチで頭をカチ割られるくらいの衝撃
受けたのを覚えています。

そこからはボクは叔父さんに遊んで欲しさに
住んでいる町の歴史や土地について調べるようになり、
やっと答えられるまでに勉強してその後に思いっきり遊んでもらえるようになりました。

ボクが教養を身につけるキッカケは
遊んで欲しいという「よこしま」なものでしたけど
「教養の身につけ方」なんてものは何か特別なものでもなく動機は至極シンプルなものが多いものです。
女の子にモテたいから文化祭でバンドを始めた男の子のように不純な動機でも何でもアリだと思います。


よく何を勉強したらいいかわからないと思われる方が多いようですけど
一番近くにあるものに興味を持ってみることが一番の近道だと思います。

「近くにあるのに知らないもの」

これって案外多いものです。
この灯台下暗し的な勉強法は今でもボクの根底にあり
後の人生に非常に役に立っていると実感しています。

案外、自分の生まれ育った土地や国のこと、
そしてその地域の歴史や文化を知らない人は少なくないと思います。
まずはそういう身近なところから興味を持って実際に調べてみるという行動から「教養」は培われれていきます。


「教養」と一口に言っても人生の役に立つようなことだけを指しているわけではありません。マンガオタクで誰よりもマンガに精通しているならそれも間違いなく「教養」です。

「教養」とは個人の人格や学習に結びついた知識や行いのこと。

それは単に「物知り」ということでなくgoogle検索や学校の授業だけでは辿り着くことはできない自分のスタイルになったときその人のオリジナリティが炸裂するようになります。

運がいい人や一流と言われる人たちが「教養」を大切にするのは
その人の人生観や積み上げてきたものを醸し出すものが表れて見えるので「教養」を大事にするのです。

それは必至に勉強するというものでは楽しみながら学びを深めるということ
その延長に「教養」というものが待っています。

「教養」とは人生における面白いことを増やすためのツールです。


ありがとうございます!お気持ちは寄付させていただきます。