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成果が出ないものを不要と勘違いする理由

開運したいと願う人は多いはずです。

誰だって運が悪いより良い方がいいに決まってます。

ですが巷で運が良いとされる行動はたくさん紹介されていますが
多くの人が実践できないのはなぜでしょうか。

簡単に運を上げる方法なんてネット検索したり本を読めば
唸るように出てくるので方法論がわからない訳ではなさそうです。

ではなぜか…。

「成果が実感できないから」

まさにコレに尽きると思います。

例えばオーソドックスな方法として

「悪口を言わない」

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これは多くの開運法に登場する超メジャーな方法であり実際に
悪口を言う人で運の良い人には出会ったことがありません。

ネガティブなエネルギを発しないようにするだけの何のリスクもなく、しかもお金もかけず誰にでもできる簡単な手法ではありますが…

多くの人はできません。

なぜなら成果が実感できないからです。

もちろん悪口を言う事でストレス発散や自己承認欲を満たしてくれるなど
別の緩和効果はあると思いますが、それでも悪口を言い続ける事はおすすめできる行為ではありません。
…と分かっているけどできないのです。

この「悪口」はひとつの事例ですが、
その他の多くの開運効果についてもなかなか継続することは難しいのは
やはり成果が実感できないからでしょう。

「運」なんて不確かなものの成果とは、そもそもプラシーボ効果の類であり思い込みに過ぎないので「成果の実感」って何?って話になってしまいますがそれは今回の主旨と少しズレてしまいますので一旦横に置いて話を進めます。

人はなぜ成果がないと継続できないのか。

この部分です。

その原因を探っていくと義務教育に問題があるのではないでしょうか。


テスト、宿題、通信簿、学校では成果が見える教育を長年続けてくるので
成果が出ないものが不要と勘違いしちゃうのではないかと思います。

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成果はもちろん大事です。
ただ教育とは勉強や学びというのは行動するためのキッカケに過ぎないので成果を出すことがすべてではありません。

結果を恐れてチャレンジしなければその結果すら訪れませんし
どのような結果になろうとまずはチャレンジから始まります。


運がいい人や成功者たちは往々にして
挑戦していることにすら気づかれないまま
終わっていったものがたくさんあると言います。

成功者を外部から見ると、結果的にうまくいったものだけしかピックアップされていないだけで成果が出ていないチャレンジが山のようにあることでしょう。

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そうした成果に表れない行動の残骸を積み重ねて、積み重ねて
ある日突然、報われたときに
「運」が良かったぁ~。
と感じるのだと思います。

「運」が良かったと聞くと、
ボケ~っとしててある日突然、空から幸運が降ってきたかのようなイメージがあるかもしれませんが
それは本来の「開運」を指すものではありません。

「運」は待つものでなく自力で切り開くものです。

幾万ものチャレンジの果てに掴んだ「運」
それは不確かなものの中で継続して手に入れたものです。
決して成果が約束されたチャレンジではなかったはずです。

成果が出ないもの、
それは必ずしも不要ではないということです。



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