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アップデートって不完全なまま進むことです。

何でも完璧にしないと次に進めない人がいますよね。

石橋を叩きすぎて壊すような人。
昔に比べ今はそんな人が増えた気がします。

ボクはこれを情報化社会の弊害だと思っています。

1つは、あまりにも増えすぎた情報の中で
自分にとって本当に必要な情報なのか精査できなくなっている。

2つは、すぐに情報にアクセスできる便利さ故に
一度に取り入れる情報が薄くなっている。


これが大きな原因だと思います。

この原因の多くは携帯電話の普及が大きく関係しています。
いままではある程度あいまいだったものが
携帯電話というツールによっていつでも確認できるようになったことで
逆に確認しないと不安が増大されたという…。

これによって情報の確実性への鮮度が薄まることになって
心理的不安が完璧を求める結果になったのではと思うのです。

この辺は前回に少し書いてますのでぜひご覧ください。


あまりにも確かさを追い求めることで
逆に不安
になってしまったという不文律。
これはもう際限なく不安に陥ります。
底なし沼の袋小路です。

人は知らずの内に不安や恐怖のような不確定要素に対して
潜在意識では一定の距離を置くようするそうです。

そうしないと身動き取れなくなるからなんですね。

例えば
事故にあったらどうしようとか
犬に噛まれたらどうしよう
嫌いな人に出会ったらどうしよう
地震が来たらどうしようなど

本気で考えていたら一歩も外には出られませんよね。


つまり考えてもしょうがない不安は
ある程度取り除かれているようになっており
あえて意識しないようにして日常を生きているそうです。

このように
そもそも絶対的な確かさなんてありません。
確かであろうとみなして、程度の差に留めるようにすることが
とても大事であるということ。

心配しすぎて息苦しくなったこと誰にでもあると思います。
それと同じで
確かさをある程度忘れないと人間は動けなくなるのです。


例えるならPCやアプリなどのアップデート
あれはある意味で市場に出た時点では不完全という証明です。

完全な状態で商品を発売するのではなく
時代の変化に対応するべく
敢えて不完全なまま世に出し、改善していく道を選んだわけです。


アップデートなんて言葉はカッコイイけど

本質は「不完全」

「あいまいさの中で進むことがアップデート」
ということ。

昔はアップデートなんてものはなかったけど、
いつの間にかそれが当たり前になりました。

でもそれが、今の時代に合った考え方なのでしょう。

このnoteのタイトルにも「アップデート」というワードを使っていますが
これも自分はまだ不完全であるという意志を含んでいるからです。

完璧を求めすぎると足も遅くなるし
余計に身動きが取れなくなる。

携帯電話もない時代に生きた昭和のサラリーマンは
絶対に今よりあいまいだったはずはずなのに、それでも
高度経済成長を成し遂げてきました。

適当なくらいがちょうどいいんだと思いますよ。

あいまいさの中で進むことで「運」「人生」
切り開いていけるものだと思います。


ありがとうございます!お気持ちは寄付させていただきます。