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「運」が売っていたらいくらで買いますか?

「運」が売っていたらいくらで買いますか?

例えばコンビニで「運」が売っていたとしましょう。

100円の「運」

1000円の「運」

どちらを選びますか?

なんとなく1000円の方が良いことが起きる気がしませんか?

不思議ですよね。

こんなデータもあります。
とあるホテルで
無料のミネラルウォーターが各部屋に置いてあるのですが
なんと有料の200円のミネラルウォーターの方が飲まれているんですって。

これには驚きです。

なんか無料のミネラルウォーターは効き目がなさそう。
有料の方がキレイになりそう。
な~んて思いを馳せているんでしょうか。
…でも実際は同じ水なんですって。

つまり。
現代は人のつけた価値でモノの価値を判断しがちということです。
値札やプライスカードに書かれた数字の羅列に対して
付加価値をつけて見ているのです。

それは決して間違っていませんが
資本主義が進みすぎて
モノの価値の判断基準が過剰になりすぎてるってことは危険です。


ボクは本業でマーケティング部門に携わっているので
よく分かるのですが
世の中にはペラペラの価値のものが渦巻いています。

それを否定するつもりもありません。
そういうマーケティング手法であり
それがビジネスであり
そういう社会構造の中で生きているわけですから。

ただ残念なのが
値札やプライスカード信者が多いので
価格がついていないものに対して興味を示さないようになったことです。

残念ながら現代人は
価格のついたものしか興味をしめさないようになってしまいました。

冒頭の「運」なんて
もちろん売ってませんし、価格もついていない。

だからその価値がわからない人が多いのだと思うのです。

だって値段がついていたら買いたいって思いましたよね。
…ということは価値がある証拠です。

だけど「運」には値段がついてないから
その価値がわからないのです。

実は「運」はそこらじゅうに無限に転がっているので
知っている人にとっては獲り放題。

これをお金持ちや成功者が獲りまくっているんです。
まさにつかみ取りの入れ食い状態です。

別にそれは卑しいとか悪いことじゃなく
みんなが素通りしているので
それを拾い集めているだけ。

値札だけしか見えていない人には「運」は見えていません。

見える人にとっては取り放題。

それが「運」です。


ありがとうございます!お気持ちは寄付させていただきます。