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「思いやり」と「自己犠牲」。2年半距離を置いていた友人と会って気づいたこと

私には、同じ時期に結婚出産をした中学時代からの友人がいました。

子どもが同級生で嬉しいねと、定期的に遊ばせていたのですが、2年半ほど前に、些細なことがきっかけで、距離を置くことに。

大人になってから、言いたいことをぶつけ合ったのは、いつぶりだろうというくらい私たちは思っていたことを言い合いました。

その当時は、子どもができて、色々と気持ちや価値観、環境に変化があったので、人間関係が変化するのも自然なことなのかもしれないと冷静に受け入れている自分がいました。

でも、先日その友人から久しぶりに連絡があって、また会うことになったのです。

言いたいことを言い合わずに、もう会わない方がお互いのためだなと距離を置いていたら、こうやって再び会うこともなかったような気がしています。

そして、久しぶりに会って、話して、気づいたことがありました。

「思いやり」と「自己犠牲」の差に明確な線はないということ。

自分自身の心や身体にどれだけ向けられている時間があるか。

それによって、他人のために使う時間は「思いやり」にも「自己犠牲」にもなってしまうのだと思ったのです。

自分は子どものため、夫のためと思ってやっていたとしも、自分の時間を少しも取れていないと無意識に「自己犠牲」という言葉が隠れているように感じます。

そして、無意識の「自己犠牲」は、無意識に自分を満たそうとすごいパワーが出るのでしょう。

私たちは、お互い子どもに1番手のかかる時期に、自己犠牲を抱えて、お互いのパワーを吸いあって疲れさせてしまっていました。

夫が悪いとか子どもが悪いというわけでは決してないのですが、自分を満たせず心の余裕のない状態は、どんな状況においてもいい方向には進みません。

なんだか、最近聴いたSUPEBEAVERの曲がとても心に沁みます。

白黒 善悪 正解 不正解
極端な取捨選択だけじゃない
どれもこれも嘘ではなくて
誰も聖徳君子じゃなくて
行き場を失くした憤りに
溺れそうになったとき
さあ どうする 信念か 身勝手か
思いやりか 自己犠牲か
僕ら笑い合いたいだけ
どんな
喜びの理由も 苛立ちの理由も
手を差し出した理由も 積み重ねなんだろう

SUPEBEAVER

子育て中だからこそ、自分と向き合う時間を取る大切さを実感。

そのツールは、部屋の片付けなのか、手帳なのか、はたまた美容のセルフケアなのか、自分の続けられることを見つけられるといいのだろうと思います。

私は、FPということもあり、ファイナンシャルプランを考えながら、人生に向き合ってきた感覚があります。

自分と向き合えるファイナンシャルプランを立てられるFPを目指したいなとふと思ったのでした。

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