「自分らしく生きること」と「何者かになること」の先にあるもの
本屋さんへ行っても、SNSを見ていても、「ありのまま生きる」、「自分らしく生きる」というようなキャッチフレーズがよく目に飛び込んできます。
私が潜在的に意識しているのもあり、「ありのまま」「自然体」「自分らしく」というキーワードにアンテナが立っているのかもしれません。
このフレーズと同じくらいよく耳にする言葉が「何者かになりたい」。
自分らしさを表現した先に何者かになりたいということなのか。
自分らしく生きることができたら、何者かになる必要はないのではないか。
一見矛盾しているようにも感じる2つのフレーズ。
けれど、時代をよく表している言葉だと思うのです。
内側と外側
自分らしく生きるということを私なりに考えてみました。
・自分の気持ちに正直に妥協せずに生きる
・自分が自分を認める
・他人の言動や行動、評価、世間体ではなく、自分自身の内側から出る内発的動機によって行動できる
ストレス社会で自分を装って偽りながら周りと調和することに疲れることもありますよね。
一方の何者かになるということは、社会において「自分はこういう者です」と言えることかなと思うわけです。
一昔前までは「〇〇会社の〇〇です」と言えることが目標だった。
大手企業に入社して出世すれば成功者になれた時代。
でも、今の時代の「何者かになりたい」ということとは違うような気がします。
「自分が認めた自分になること」が何者かになるということなのかなと。
今まで聞いたこともなかった新しい肩書きがどんどんできていますよね。
なりたい肩書きを決めてからそれに向かって頑張るのではなく、自分の強みや大切にしたいことが実現できる肩書きを後から考えることを大切にしているのだと感じます。
社会や会社に認められるために行動するのではなく、自分自身が認められるような人間になること。
そこに社会からの評価がもらえて初めて何者かになれたと思えるのではないでしょうか。
様々なしがらみや縛りなく生きた先の活躍している自分や毎日ワクワク楽しんでいる自分を想像してみてください。
不安や心配を原動力にするのではなく、自分らしい自己実現を原動力にして今を楽しむ先に、自分らしい何者かになれるのではないかと感じるのでした。
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