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思い出の缶ジュース

子供の頃、自動販売機で毎日のように買っていたものがあった。それは飲むだけでなくエンターテイメント性に優れている飲み物だった。ここまでで勘のいい人はお気づきかもしれない。

そう、「振るタイプのゼリー」である。
最近はあまり見ないが、私の世代の少年少女はみな心を鷲掴みにされたはずだ。インターネットがさらに普及し(当時も普及していたが、小学生でスマホを持つのは珍しかった)、さまざまな娯楽で溢れた現代から見てみれば、「へーこんなのあるんだ」くらいの感想かもしれない。

しかし、当時は、「おい、こんなのあるのかよ。めっちゃすげぇ! 超楽しい」というのが、ファーストインプレッションだった。私たちは手が腱鞘炎になるんじゃないかというくらい、ふってふってふりまくった。友人たちとふった時間を競ったりもした。公園でサッカーをして汗を流した後の飲み物はさすがにスポドリだったが、ベンチに置いたポカリの隣には、決まって人数分の「振るタイプのゼリー」があった。

そんな私の少年時代を象徴する飲み物には、母との思い出もある。

あれは空が海のように青く、そのあまりの美しさに感動し、涙を流していた小5の夏の日のこと。母と出かけている道中でポツンと佇む自動販売機があった。私は導かれるように立ち止まり、母を呼び止めた。

小さな人差し指が指すのは、コーヒー、の上にある派手な色の缶ジュースだ。

「あんたそれ好きだよね」

母は硬貨を入れると、私に件のジュースを手渡してくれた。だが、この前の動作で悲劇は起こった。振る前に大人の手が飲み口のプルダブを弾いたのである。

開いた状態で渡された「振るタイプのゼリー」を見て、私は呆然と佇んだ。怪訝に顔色を伺う母に「この状態で振ったら、こぼれちゃうよ」と嘆く。

この情景を今でも鮮明に思い出せるのは、その後の母のセリフが強烈なインパクトを残したからだ。

「取り出し口に落下する衝撃で振動が缶全体に伝わっているから問題ないよ」

母は真面目な表情で言った。その言葉にはなぜか説得力があった。

「確かに」

私は納得した。だけど、それなら今まで無我夢中で振っていたのは何だったのか。刹那、青かった空に突如として、暗雲が立ち込める。心なしか遠くの丘に雷鳴が轟いている気配すらした。

左手でへそを隠し、右手で缶をおそるおそる口に近づける。缶の中の液体をのどに流し込もうとすると「おや」と感じた。

待てども待てども、あの超甘くて美味しいジュースが味覚を刺激しないのである。それもそのはず、やはり「振る」が足りず、アルミの空洞の中で固まったまま、滞留してしまっているのだ。

「ほら、やっぱり振れてなかったんじゃん」

ごめん、ごめんと母は笑った。私もなんだか可笑しくなって吹き出した。上を見上げると空は果てしなく青くて、今にも触れられそうなほど近く感じた少年時代の一ページ。

大人になった今はもう甘いものなんて飲まない。なんて嘘ー。甘いもの好きぇ。

だけど、人目もはばからず、友人たちと缶をふりまくった時代はもうこない。だから、振るタイプの飲料を買うと、数回の手首のスナップに留めておく。それが大人のたしなみだ。だけど、心の中ではやはり缶をヘドバンさせている。

コーラを自販機で買うと毎回、「取り出し口に落下した際の振動で蓋を開けたらヤバイのでは」と思う。海のように青い小5の空、原風景。コーヒーを飲むことから始まって、満員の電車に乗りこむ私の心は、きっと今も昔も変わらない。

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