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【執筆15%】日本風 四書五経 (更新:2021年2月24日)


はじめに

最近「致知」という言葉を知った。
それを調べていく中で「四書五経」という言葉を知った。

これまでの生活で私がこの言葉に引っかからなかっただけなのか……
はさておき、凄く興味を持ったので調べていきたいと思った。

せっかくなのでnoteで検索して記事を書いてそうな方をフォロー&記事を拝読したいと思う。
また、youtubeも調べて面白そうな動画も見ていきたいと思う。


①youtubeで動画を見る

まずはyoutbeで参考になりそうな動画を見てみる。
2014年と結構前だけど、さらっと見た感じ見やすかったので細かく見てみる。
武士の人間學~四書五経のすすめ~(白倉信司)

①-1 youtube 第1回 「武士の人間學」とは?〜本末転倒の現代教育〜

対談形式になっていて、説明されているのは「白倉信司」という方。
山梨県で人材育成をされているとのこと。
現在はどうか?
ということでググってみるとアメブロが引っかかった。うーん、内容は難しそうだ…。

さっそく、youtube動画の方だが、全部で12本ある。まずは1本目
内容について私の理解は以下。

【本末転倒】という言葉があるように、
 本学:人間学
 末学:国語、算数、理科、社会…
とあるが、現在は末学ばかりで、本学がおろそかになっているのではないか?
という問題提起から始まる。

では、本学とは?人間学とは?

現代は既にそのような教育は無く、では昔はどうだった?
というと、江戸時代まではあったが、明治時代から徐々に崩れ始めていたのではないか?
ということらしい。

ではいつからあるのか?
というと、古事記、いや聖徳太子の17条憲法まで遡る。
ということらしい。
人間学という視点で全てが載っているらしい。
始めの3つに載っているもの、有名な
「和をもって貴しとなし…」「あつく3宝を…」、
3つめは…記憶にないwww。

ここで言っている視点とは道徳と宗教
 1つめは道徳
 2つめは仏教
 3つめは神道
ということらしい。

①-2 youtube 第2回 仏教と道徳〜人間學の2つの起源〜

2本めの動画は、具体的に誰が何を言ってきたかを少し紐解いている。
1本目の動画で道徳宗教という話が出たが、
まずは宗教について。

仏教
奈良、平安時代
 最澄の天台宗や空海の真言宗は「朝廷の人間学
 法然の浄土宗は「庶民の人間学
に分類できそうだという。

例として、最澄の山家學生式(「さんげがくしょうしき」と読むらしい)
に「壱燈照隅 萬燈照國」という言葉が出てくる。
※白倉さんは「安岡正篤」先生の本をたくさん読まれたらしい。

文章の中に「道心」という言葉があり、
道心とは?という問いに対する白倉さんの回答は、
天道、地道、人道、それぞれ歩むべき道を歩みなさい
⇒つまり、私たちは人の道をきちんと歩みなさい。
ということ。

また、「国寶」(こくほう)= 国の宝という言葉があり、
経済的発展は国寶ではなく、
一隅を照らす、これすなわち国寶なり
とある。
一隅を照らす:身近からできることをやりなさい。
つまり、仕事、家庭、親、子としてやること。それぞれの持ち場を頑張る。
そうすることで国全体が発展・元気になる。
各人が輝くことで、全体が輝く
ということ。

・鎌倉・室町・戦国・安土桃山時代
時代は進んで、この時代のキーワードは「禅」
栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、千利休の茶の湯は全て「武士の人間学
これ以上の深堀はなかったが、またの機会ということかな!?

●「道徳
・古事記
古事記は易経がベースになっている!?
その根拠は、易経とは陰陽がベースになっているものだから。
古事記の出だしで陰陽の神が出てくるので…。
また、仁徳天皇の民のかまどの話。この下地は論語であろう、と白倉さん。
このあたりの話は深堀がなかったのでまたの機会かな?
古事記は朝廷の人間学。という位置づけで話は終わる。

・江戸時代
徳川家康が重宝したということもあり、四書五経が活躍。
ただし、中国の教えと日本の教えと違う部分があるのでは?という考え。

朱子学として日本に入って最初は武士の人間学だったが、次第に庶民の人間学にも入ってくる。

朱子学は古学陽明学へ。
※高校の倫理の時間に末学としては習ったなぁ…。倫理の授業好きだったし、先生も面白かった…。

・吉田松陰
※私の周りでも吉田松陰が好きな方はチラホラいるのですが、
吉田松陰の「士規七則」は甥っ子の成人(15歳くらい)に際して教えたものらしい。
動物と人間の違う部分は
を比較して、人間を説明している部分
五輪
父子の親 孝 :親子関係には信頼関係がないといけない
君臣の義 忠 :上司と部下は正しさがないといけない
夫婦の別   :役割が別、血のつながりがないので相手を尊重する
長幼の序   :年上と年下には序列がある
朋友の信   :同志の間に信頼関係がある

以上のようなことを学ぶ場が現代にはないと動画上で嘆かれている。

今の世の中、youtubeやnoteがありますが、末学だけでなく本学(実践できるば)が大切ですよね…。


①-3 youtube 第3回 見識を「胆識」に高める!〜指導者に求められるもの〜

第3回で、いよいよ「人間學(本學)」とは?という話

「人間學(本學)」とは?
「人生の目的」や「生き方」を教える「心の學問」である。
習慣を積み上げ、実践を通じて「人間力(仁の心)」を高めていく。

というのが白倉さんの見解。

白倉さん自身、古典を学ぶ前は、自分を起点に生きてきたのだが、
そうではなく、誰かのため何かのために生きる。
ことが人生の目的だと考えるようになった。

では実際にそれを実践するためどうすればいいか?
それは、学んだことを心に起こす必要がある。
そのためには、習慣にする。積み上げて仁の心を高めていくことが大切。
「仁」という言葉には、人と人との関係。あり方を表している。
人との関係を考えたときに、まずは自分の考え方を明確にし、誰かのためと考えて行動していく
それが人間學。だと。

具体的なステップとしては、

「知識」「見識」にそれを「胆識」に高める。となる。

どうやって身に付けることができるのか?
「知識」を身に付けることは、現代の座学と一緒。

「見識」については、自分の持ち場でできること、を意識的に習慣にしていく。
具体的には、お辞儀や声の出し方、靴のそろえ方、など身近なことから実践する。そうすることで心が磨かれ、自分も磨かれる。
そうすることで「見識」が身に付き、他人の意見に左右されることなく、筋の通った人間になる。見識のある人になる。

「胆識」とは、自分の持っているものを使って、他人を動かすことができる人。つまり人間學は指導者を作る仕組み。

現在の学問は知識学(末学)は生きる手段=どうすれば食えるのか=仕事の選択・処世術
を教える頭の学問となってしまっている。
言い換えると、「知識」や「技術」を磨き「社会適合力」を高め、優れた労働者・専門家を養育するものとなっている。
このままでいいのだろうか?

いつからこのような状態になったのか?
大東亜戦争に敗れて、日本人は人間学は表舞台から葬り去られた?


①-4 youtube 第4回 教育勅語を見直してみる〜教育勅語は悪だったのか?

今回のテーマは「教育勅語」
この言葉を書いて変な組織に狙われないかなぁ…
((((;゚Д゚))))ガクブル な小心者です。

そもそも「教育勅語」とは何か?
明治になり西洋に追いつき追い越せで近代化を急速に進める必要があった。
その中で、それまでの道徳を否定する人が出てきて混乱が見られた。
それを心配した明治天皇が教育に関する勅語を示された。
という経緯。

教育勅語は明治天皇が勅語として出されたもので、人間学の教えが詰まっているものだと。
ちなみに明治神宮のパンフレットに書かれているらしい。
今度参拝に行ったときにパンフレット貰ってみよっと!!!

教育勅語の中身を見てみる。
特に四書五経に関する部分。道徳としての人間学の部分は以下が上げられる。
教育勅語の十二徳
(※詳細は割愛するので動画で確認してください)
孝行
友愛
夫婦ノ和
明友ノ信
謙遜
博愛
修学習業
智能啓発
徳器成就
公益世務
遵法
義勇

今の世の中、この十二徳はそれぞれどういう状況なのか?
この十二徳が無い世の中はどんな世の中なのか?
を想像したら、
教育勅語は危ないもの?、軍国主義?、儒教の押し付け?
ではないのではないか!?という話。

もし教育勅語がグローバルスタンダートになれば世界が平和になるかも!?

今回の動画を見て、個人的な感想としては、
本来の日本人ってどんな道徳観を持っていたか?を考える1つの教材になり得る。
のかなと思いました。


①-5 youtube 第5回 近江聖人「中江藤樹」の経歴

今回は特定の人物にスポットを当てる内容。
その人物を元にして、その時の道徳はどういう状態だったかを探ってみるのかな!?

まず軽く復習になるけど、
四書五経が表舞台に出るのは江戸時代から。
朱子学(外来思想)が江戸時代に日本的なものに変わっていった。
この流れで発生した日本的な内容が「古学」といわれている。
また、朱子学の理論的な部分が実践的なものに変わっていった。
この流れで発生したのが「陽明学」
今回のテーマである「中江藤樹」は陽明学の流れの人物。

では、まずは中江藤樹の経歴をおさらい。
生まれたのは1608年。
江戸幕府が1603年に誕生したので、ちょうどその頃。
つまり、これから平和な世の中が始まる時代という背景がある。

15歳で伊予に移住
18歳で故郷の父が死去。母一人となる。
27歳で罪を覚悟で脱藩して近江へ戻る
以降は母を面倒みながら、学問を教える「会所」をたてて「孔孟の學」(孔子・孟子の教え)を説いたり、人の道を教えた。
ここから熊沢蕃山などが輩出された。
41歳で亡くなる。

中江藤樹の残した言葉を2つピックアップ。
1つは「孝徳」。つまり親孝行。
もっとも身近な両親に対して実践する。これが根本だと。

2つめは「明徳」
明徳とは人間だれもが持っている生命の根源的なエネルギー。
イメージとしては赤ちゃん。
赤ちゃんは「明徳」を隠すことなく発揮している。
しかし、世の中で生活していく中で色々な知恵がついてくると明徳も曇ってくる。
この曇ってくる明徳を意識して磨くことが大切。ということ。

※高校の授業で倫理好きな私も、中江藤樹は引っかからなかったですね…。


①-6 youtube 第6回 明治維新の祖・吉田松陰の生き様

江戸時代の武士の人間学がどうだったか、人物から学ぶシリーズ。
今回は吉田松陰
※余談ですが、個人的には吉田松陰の門下生の高杉晋作の「おもしろきこともなき世をおもしろく」の句が好きです…。
龍馬伝の「伊勢谷友介」がめちゃくちゃイケメンでしたね。

本編に戻りまして、今回は朱子学(外来思想)から古学(独自思想)への流れ。

まずは吉田松陰の経歴。
生まれは1830年。幕末ですね。
 11歳で藩主の前で講義を行う。(学がある)
 22歳で江戸遊学。脱藩。(行動力もある)
 23歳でペリー艦隊を見て衝撃を受ける。
   翌年ペリーの船に密航を試みるも失敗
 24歳~30歳
  萩の牢獄で「孟子」を講義
  出獄後は松下村塾で人材を育成
  安政の大獄で斬首。享年30(満29)歳。

松下村塾が開かれていたのは1年ちょっとだけど、後の明治の要職に就く人が多数。というのが吉田松陰のスゴイところ。

吉田松陰が残した言葉で、古学に関係する部分で重要だと思われる個所として以下、ピックアップされています。

「君臣一体忠孝一致」
「天下に不是の父母なし」
「君君たり臣臣たり父父たり子子たり」
「天下の大患は…」
等々ありますが、実際には「士規七則」を読んで自分で理解した方がいいのだろうと思いました。

前回の中江藤樹、今回の吉田松陰と具体的な人物をピックアップして説明されましたが、2人とも江戸時代の武士だけど、時代に応じて行動は変わってくる
当然、現代においては、現代に合った行動をすべき

今の時代に自分には何ができるか!!!と、自分の胸に問いかけながら今回は終了。
ちなみに今は、noteが書けます。という答え。
※吉田松陰先生に怒られそう…。


①-7 youtube 第7回 人治よりも法治 法治よりも徳治

今回から、やっと「四書五経」という言葉が出てくる。ここまで前段の話が長かった…。

出だしは孔子
孔子は今から約3000年前、周王朝の時代に生まれた。
四書五経を一言でいうと「孔子の教え」を整理したもの。
孔子が説いた教えは「徳治」つまり徳で治めることを理想とした。

世の中を治める方法として、人治、法治、徳治、という考え方があり、
人治 ⇒ 強いものが上にたって国を治める。
立派な人が上に立てば問題ないが、そうでない人が上に立てば問題が出る。
法治 ⇒ 決まり事や制度を作っておさめる。
上に立つ人が変わってもそんなに問題は起きない。民主主義。
徳治 ⇒ 立派な人が徳をもって国を治める。
それを補うために決まり事や制度がある。

白倉さんの考えとしては、四書五経が中国から入って、日本の中でコツコツと実践されて江戸時代で完成・実現された。というとらえ方。
※なので、四書五経で何を・どこを学ぶかは吟味が必要。
 中国発祥で内容そのものを学ぶのか、日本の中で揉まれて体系化された内容を学ぶのか…。

次は、四書五経(道徳教育としての人間学)の体系 の話

著者・編者 四書
孔子    論語
曾氏    大學
子思    中庸
孟子    孟子

孔子のエッセイをまとめたものが論語
その弟子の曾氏が論語を体系化したものが大學
その弟子で孔子の孫の子思が内容を深めたものが中庸
時代は進み、孟子が発展させたのが孟子
孟子が生きたのは戦国時代だったため言葉が激しいらしい。
となる。

次に五経
 易経
 詩経
 書経
 春秋
 礼記
約5000年、神話・伝説の時代からあるのが易経伏羲が作ったと言われている。(伏羲といえば、少年ジャンプの封神演義を思い出す…。)
詩経、書経、春秋、はここでは略。
礼記の中に大學中庸がある。

こんな古い教えがなぜ現代まで伝わっているのだろうか…?


①-8 youtube 第8回 四書五経の礎・孔子ってどんな人?

今回は孔子と論語の話。
孔子はおよそ2500年前に生まれた人物。
論語は孔子の言葉をまとめたもので、そんな昔から現代に残っているロングセラー
※西の聖書、東の論語と言われてる…!?

まず、孔子とはどんな人だったのか?
生い立ちは、父を3歳、母を17歳で亡くした苦労人。

考え方としては、王位継承を理想とした易姓革命を認めない保守主義者
⇒ということは、(2600年ほど天皇が続いているという意味で)今の日本が理想ということ!?
※ちなみに孟子は易姓革命を認めた

次に、論語。
論語の理念とはなにか?

基本的な理念は、
 家にいては
 社会に出ては弟(てい):上下関係
 謹みて
 ひろく愛してに親しみ
⇒この理念を元に行動することが、つまり本学

 行いて余力あれば則ちもって文を学べ。
⇒この部分が末学

末学はあくまで余力があればという位置づけで、まずは本学を実践すること。

※おまけ
古事記から論語の考えが見て取れる例。
仁徳天皇の民のかまどの件で、百姓がみたされることと天皇がみたされることは同じ意味…。
これはまさに論語の教えと通じるところがある。と。


①-9 youtube 第9回 「大學」から学ぶ本学の重要性

四書五経の四書、その中でも大學の解説。

大學とは何か? ⇒ 論語を体系化したもの。
大學の中の最初の文章を本論といって、最も大事なエッセンスが詰まっている。

その中で、本末転倒につながる部分を以下に紹介。
物に本末有り、 (簡単に言うと)物には大切なこと、大切ではないことがある
事に終始有り、 (簡単に言うと)事には順序がある
先後する所を知れば、 
則ち道に近し。  (簡単に言うと)道を外れることは無い

つまり原理原則の話が書いてある。

特に、人の上に立つ人にとっては大切な考え方。
葉の部分ではなく、原理原則を読んでいるか。
方向性を示することができるか。本質的かどうか。
が上に立つ人にとっては大切。


また、大學の中に以下の言葉がでてくる

三綱領(さんこうりょう)
 明徳を明らかにする: (簡単に言うと)常に元気!
 民に親しむ: (簡単に言うと)人の上にたって民を治める
 至善に止まる: (簡単に言うと)改善の繰り返し。PDCAを回す。

八条目(はちじょうもく)
 平天下
 治國
 齊家
 修身
 正心
 誠意
 致知
 格物

※八条目については是非動画を見ていただきたいですが、
 文章で表すと以下。

 平天下:天下泰平
 治國:一定の範囲に広がる
 齊家:身近なところの関係を整える
---ここからうえは社会とのかかわり---
 修身:自分の身を修める。人間。自分。ここを中心
---ここから下は自分の内命---
 正心:心が正しくなる
 誠意:自分の志をもつ、道を作る
 致知:簡単にいうと、感謝することが大事だという教え
 格物:簡単にいうと感謝

格物 からはじまり ⇒ 平天下 に至る
一人の心が全体に広がっていく。これが理想。
易姓革命は治國の部分で壊れるのでダメ!

世の中がダメなのは、巡り巡って、自分がダメということに返ってくる
そう言われると耳が痛い。
とかく人は誰かのせいにしがち…!!!


①-10 youtube 第10回 生き方を考える 中庸に生きよ

今回は四書五経の四書のひとつの中庸孟子

中庸で特に言いたい内容をピックアップされていて、

天の命ずる之をと謂い
性にしたがうを道と謂い、
道を修る之を教えと謂う。

この文章の解説としては、
まず「性」という言葉を使っていることがポイント。
人間だけが性、つまり、りっしんべんがつく。人間にはがある。ということ。
人間には必ず役割がある。それは誰かのため何かのために。それを認識すること。これをという。
※私の世代だと、「SaGa」ですね。
 神から言われる「これもいきものの、サガ、か…」。懐かしい。

それに向かって生きていくことは
元々天に命じられた性なので、人の道が天の道になる。

ではどうやって生きればいい?
それが教え。教えを学ぶために四書五経がある。
天命を理解するために教えがある。

ということ。

また、中庸の意味は物事の中間といった意味ではない。
中は天下の大本なり:つまり大事。


後半は
孟子
・戦国時代を生きたので、言葉が激しい・ダイナミック。

大任をさせようとする者にほど
天はこころ、身体、皮膚、骨までを痛めつけてボロボロにする。


その後の動画の内容は生徒役?の方の体験談。

ここまでで、四書五経の四書の解説は終了。


①-11 youtube 第11回 礼記・春秋左伝・詩経 〜五経を学ぼう〜

今回は「四書五経」五経。その中でも礼記、春秋、詩経の話。
まず、礼記(らいき)とは?
周から漢に至る(れい)に関する孔子の教えを汲む人々の諸論を集めたもの。ボリュームありそう…。
(※四書の大學と中庸はもともと礼記の中にあった文章)

例として、礼記の中にある文章をピックアップ。

「学びて然る後に足らざるを知り、
 教えて然る後に困(くる)しむを知る。」

前半は、勉強すればするほど、自分が物を知らないとうことが分かる。
後半は、自分が理解していることを人に教えるのは困難。
技術だけではない何か…。以心伝心…?人間的な何か…?
が無いと…教えるのは大変。

特に現状だとリモートが増えたため、それも踏まえての教えを考えないといけないですねぇ。


次は、春秋左伝の言葉
春秋とは?孔子の祖国である魯の国の歴史書(孔子が編纂したといわれている)

「一人慶あれば、兆民之に頼る
 徳を以て民を和するを聞く。
 らんを以てするを聞かず。」

一人とは?君主。今の時代だと人の上に立つ人。上司とも言える。年をとれば必ず誰でも置かれる立場。
慶とは?人に喜ばれる行い。
つまり、上に立つ人が人に喜ばれることをすれば、下の人は頼る、ついてくる。


最後に、詩経の言葉
詩経とは?古代の詩を孔子が編集したもので情操のテキスト
(※日本における万葉集のようなもの)

詩は理屈ではなく感性。
自分の中にある情を操ることができるようになる。

「悠悠たる蒼天、此れ何人ぞや。
 周はきゅうほうなりと雖も、其の命維(これ)新(あら)たなり」

前半は、天はこんなに素敵なのに、なぜ人間の社会は治まらないのか。
後半は、きゅうほう=古い国。古い国は色々と問題がでるもの。
    命=繋がっていく。つまり、良いものは繋げていく。古いから全部悪いということではない。
    革命ではない。(※明治維新の「維新」。)


詩に着目する観点が無かったので、新鮮でした。
そういえば、明治神宮のパンフレットにも和歌があったなぁ…。


『NEW』①-12 youtube 第12回 書経・易経を読む 四書五経の言葉に見る考え方

動画も今回で最後。最後は書経易経

まずは書経とは?
古代の役人が書き残した言葉を孔子が編集したもの。
時空を超えた原理原則が詰まっている。

有名な言葉をピックアップすると以下。
備えあれば患えなし。
教うるは学ぶの半ばたり。
惟れ忠、惟れ孝なり。

また、実は書経から元号の出典となっている言葉がある。
(※書経の意味が理解できれば、その元号に込められた意味が理解できる。)

百姓昭明にして萬邦を協和す。(昭和
⇒一人ひとりが明徳を明らかにすれば世間が治まる

地平らかに天成る。(平成

次に、易経とは?
東洋最古の古典。その原型は凡そ5千年前に遡ることができる。

一陰一陽、之を道と謂う
乾は大始をつかさどり 乾道は男を成し
坤は成物を作す 坤道は女を成す


易経にも元号の出典となった言葉がある。

聖人南面して天下を聴き、明にむかいて治む(明治
⇒南面=太陽がある方角、つまり万人が向く方向。
 聖人はその方向を向いて国を治める。

大いにとおりて以て正しきは天の道なり(大正
⇒上に向かって行くには、みんなが一致して世の中を作っていく


また古事記のベースに易経があるという話。
・本来は女性は陰なので、天照は陰。だけど天照は天を治まるようになったことで陽の位置づけになった…。


後半は駆け足になった感はしますが、以上で12回の動画参照は終了。

内容の振り返りはすぐにでもしたいと思います。

以上、続く。

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