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誰にも信用されていない自信 ニッコリ

 怖しいことに誰にも信用されていないという自信がある。
(まあ、言い方はオーバーなんだけどね)
 最早この世にはいないんだけれど、親には信用されていなかったなあ。
 ご他聞に漏れず親の期待どおりにならなかったからなんだけれど(もちろん、犯罪者になったとか、禁治産者になったとか、決してそういうことではないよ。極ごく平凡な社会人になったんだけれどもね。親の期待、夢ってのは膨らんじゃってるからなあ。昔、「東大」に入ることが使命(親の命令?)みたいになってるっていう女の子がいてさ。全然そんなふうに見えなかったんだけどね。話してたら急にそんなことを言いだして、あらら「東大」かって。まあ、自分もそんなとこあったけど。中車(香川さんね)が東大卒とかいうプロフィール見ると「おおっ」って思ったりするし、未だにね)。
 連れ合いにも信用されていないかな。何か提案すると、本当?、間違いない?と反問があるからなあ。理由?価値観の違いが大きかったからだねえ。それなりに長く暮らしてきたんで、連れ合いの方に随分と寄せるようにしてきたけど。まあ、なんとか仲良くやってる。
 同僚にも、折に触れ、それでいいのか、なんでそうするのか、違うのではないかと疑問を呈されることがけっこうあるんだなあ。理由は、「せっかち」だから。普通の人が踏んでいく(とってもまどろっこしい)過程をすっ飛ばして仕事を進めるからかな(同僚たちがさ、電話一本で確認の取れることを、ああなのではないか、いやこうなのではないかとずっと議論しているのが信じられないな。そういうのが始まると議論から抜けて、すぐ電話するさ)。あと、説明も、はしょっちゃうな。結果だけ言って。これはダメだ。これこれこうだからこうゆうふうにやってるんだよって言わないと。めんどくさいんだな。そこでまた議論始まっちゃうし。担当じゃない人間を納得させるのは、事の始めから全部説明しないと。一を言って十分かる人なんていないし、実際ね(上から目線?)。そもそも、直接の担当でない人間を納得させる必要なんてないんじゃないかって思っちゃうしなあ。これが、どうやら適当とか拙速とか思われる所以なんだけどさ。
 そうそう、新人だったころ、時の上司に「キミは全部間違っている。自分がやろうとしていることのすべて反対をやれ」と言われたことがある(呪いか?)。今思えば、組織に迎合して生きていくことを学べということを言いたかったんだろうけれど。おかげで、どうしたら波風立たないかを考えて振る舞うことは身に付いたかな(いいんだか、悪いんだか)。そんなわけで、日々起こるどうでもいいじゃんそんなのってことは、目くじら立てて、こうあるべきだ!って対処しないようにしている。どうもそのへんが「いい加減」と思われちゃうみたいなんだけど。なんでもきちきちやってたら、仕事のための仕事がどんどん増えて、身一つじゃ足りなくなっちゃうんだけどなあ。
 業務量は多いんだよねえ(昔みたいに深夜業はしなくてすんでるけど)。人の仕事もやってる。任せておくとちっとも進まないからさ。そろそろやんないと間に合わなくなるよ~ってホント心配になっちゃう(せっかちか?)。だから、出来ることはなるべくやる。もちろん、頼まれれば、相手の要望が叶うように努力する。おかげで、何でも頼まれてしまうようになっちゃうんだけどね(あなただからお願いしているとか言われちゃってさ。おまえのいるうちにやってもらっちゃおうって魂胆はみえみえなんだけどね、なんだかねえ)。
 そんなわけで、机の上は、書類が地層。カンブリア紀から新生代、白亜紀、ジュラ紀、洪新世。日々降って来る課題がどんどん層になっていく。やってる途中で次の問題が起こるから、やりかけ案件が降り積もる。締め切りのない奴が下の方に溜まっちゃうんだなあ。そんな地層が机いっぱい、でも、どの地層がどのカテゴリーか分かってるから偉いもんだ(ときどき、整理してファイリングなんかしてしまっちゃうと、どこにしまったか分かんなくなっちゃたりするんだけど。モズかな)
 思うにね、自分に全幅の信頼を寄せてくれる人物がいる、またはそういう人物がいた人は幸運だと思うよ。自分の内のどっかに揺るぎない自信ってもんが形作られるみたいだからさ。そいつがないと、日々どんなに頑張っても、ああ自分の行動が受け入れられてないって感じてしまったりすることがあったりするとさ、夜、風呂に入りながら、死にたくなるんだ。まあ、死なないんだけどね。へへ、ニッコリ。


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