【転活記】アメリカとシンガポールの企業からのオファーを辞退し、就活が振り出しに戻った話
noteをほったらかしてちょうど1年が経過していました。
初めてnoteを投稿したのが、去年の春なんですね…体感半年くらいでした。
この1年を思い返すとあまりにも怒涛すぎて、辛いことの方が多かったけど、そんな時こそnoteに残せばよかったと今更ながら思います。
しかしながら、今の状態になったからこそ、振り返って言葉に残すことができるようになったとも思います。
3月31日付で(私にとっては)激務であった広告営業の仕事を退職いたしました。目標であった3年半の勤続を全うすることができました。というのも、業界では有名(?)な3年半の期限付きのポジションでしたので、卒業という形で新たなステージに進む時期を迎えたわけです。
キャリアアップをすべく、数多ある選択肢の中から進むべき道を選ばないといけない、人生の岐路に立つ私ですが、今は離職期間を設ける決断をしました。
人生で初めて、どこにも属さない人間になるので少し緊張しています(?)
国民保険とか、年金とか、失業手当とかそういった大人がやることに対応しなければならないので…(大人なので当たり前)(離職期間空けたことある社会人の先輩何か助言あれば教えてください><)
とはいえ、最初から離職期間を設けるつもりは全くなく、むしろ早くキャリアアップしてバリバリ働いてたくさんお金稼ぎたいな★な思考の人間でしたので、去年の年末あたりからしっかりと転職活動に着手してました。
そして次の職を選ぶ上で、「次こそは英語を使いたい!」と切望していました。学生時代に、両親が大金を出して留学させてくれたので、留学中に身につけたスキルはお金に還元させたいんです。
次の進路についてたっくさん時間をかけて考えた結果、「現地採用で海外勤務にチャレンジしてみよう」と。
広告営業では全く英語も使わない国内で完結する業務でした。一方でもともと海外に対する莫大な憧れを抱いていましたので、人生でもう一度海外に住み、働いてみたいとも考えていました。(プラダを着た悪魔とかマイインターンとか大好き)それに、20代のうちに思い切ったキャリアの選択はすべきだ!苦労は買ってでもしよう!みたいな謎に体育会系な思考もあったので、現地採用に挑戦することは結構ワクワクしました。
新卒の就活ぶりに英文レジュメを作って、(4年ブランクが空いた)英語での面接を乗り越えて、最終的にシンガポールの企業とアメリカの企業の2社からオファーをいただきました。スタートラインに立てただけですが、自分は海外でも通用できる可能性があるように思えて本当に嬉しかったです。
シンガポールかアメリカに住むことに現実味が帯びてきた時、真っ先に思い浮かべたのが、バセドウ病についてです。
去年の夏、私はバセドウ病と診断されました。
(めまい、手足の震え、病的な体重減少、異常な汗の量、疲れやすさなどの症状が出ていました。病院に行く前は仕事のストレスで体が悲鳴を上げているだけだと思っていました。しかし、座って話すプレゼンや商談でも息が切れ苦しくなり、周りからは「泣きそうなのかと思った」と言われるほど話すことに支障が出ていました。)
海外就職に一点集中しすぎて(私の短所)この持病のことは頭の片隅に追いやっていましたし、どうにかなるだろうと楽観的に考えていました。というのも、半年以上の通院と薬の服用を経て、確実に症状は治ってきており、血液検査の結果も良くなってると聞かされていましたので。
結論、海外就職はドクターストップでした。
オファーが出てから、ようやくこの問題に取り掛かったんです。完全に私の非でした。
オファーを出していただいた会社も、現地の医療保険などを調べてくださったりして、現地で治療ができないか、どうにか諦めなくていい方法を模索してくださいました。泣
しかし、バセドウ病はストレスに弱いとも言われています。新しい環境に身を置くことに対するストレスは日本にいても起きることなので覚悟していました。しかし、最もネックになっていたのは医療費です。現地でバセドウ病の治療ができたとしても、医療費がどれだけ跳ね上がるか分からなかったですし、物価も家賃も高い国で、医療費をカバーできるだけの収入が毎月あるかは際どいと思いました。(情けないことに、インセンティブをゴリゴリに稼げる自信も持てなかった…)お金の余裕は心の余裕です。貯金がなくなる不安を感じながら過ごすのは本末転倒ではないかと考えるようになりました。
この時期は、ブルーライトで目から涙が止まらなくなるほど、スマホで情報収集しまくってましたね…
海外就職に固執した熱を一旦落ち着かせ、身体のことを最優先し、内定辞退する選択をしました。オファーをいただいた2社とも、私とかなり向き合ってくださいましたし、お人柄もよかったので本当に悔しかったですね…。数日間は無気力でした。
今となっては、海外に関わる道は現地就職だけではないと前向きに捉えてまた新しい道を模索しています^^場所を問わずにお金を稼げるようになりたいな!海外にたくさん行ったり、語学を活かしてお仕事する夢は諦めていませんヨ★
これが2023年の幕開けでした。私にとってはなかなかハードで、人生経験として忘れることはないだろうなと思いますね。
1月:年末に引き続きぼちぼちカジュアル面談やエージェント面談。書類本腰
2月:面接スタート。海外企業2社内定。最終出社。
3月:全内定辞退。一からの就活。「なにもしない」有休消化。
3月は丸ごと有休消化だったので、この3年半の疲れを取るかのようにゆっくりと休みました。就活も少しお休みしました。どこへ旅行するわけでもなく、たくさん睡眠をとり、たくさん映画を見たり、本を読んだり、YouTube三昧したり。料理をしたりちゃんとジムにもいきました。堕落な生活だなと思う日も多々ありましたが、こんなにのんびり過ごせることが嬉しいとも思いました。あと、最終出社日に社用携帯を返却してから数日で気がつきましたが、いつの間にか在職中にずっと首や胸元にあった蕁麻疹が綺麗に消えていました。恐るべしストレスからの開放のチカラ!
元々、有休消化期間はたくさん旅行したり、引っ越しをしたり、バタバタ多忙で忙しくも充実した日々を送る気満々でしたので。(笑)
次の仕事も当たり前に決まった状態で有休消化を迎えると思っていたので、大幅すぎる予定変更になりました。人生何があるか分からないですね本当に。1ヶ月先のことですら、思っていなかった展開になりました。
さて、20代後半戦、どう生きるかなー!
兎にも角にも、noteの継続はやります!!!!!!!!!
次はこの一年の振り返りを書きたいデス
追記:数えてみたらこの1ヶ月で60ものドラマや映画を見てましたw
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