見出し画像

122 医師が覗き見る「日本社会のイマ」 

コロナも落ち着いて来た昨今、『医療改革は待ったなし、特にかかりつけ医機能の見直し』の話が聞こえてくる。
その難解な言葉にこだわってみたい。

経団連は『新型コロナウイルスの感染拡大により、世界一の病床大国である日本で医療が逼迫した。その理由として、
(1)医療機関の役割分担・連携が不十分
(2)必要な機能を発揮できない急性期病床の存在
(3)民間医療機関での受け入れが不十分――が挙げられる。
これらは、地域医療構想の課題と共通している面も多い。まさに新型コロナは医療提供体制の課題を浮き彫りにしたといえる。』

日本総研は『現在、国民一人ひとりが、その健康に責任を持つ、かかりつけの医師を持っているわけではなく、そのような医師を含めた地域の全体のサポート体制ができているわけではない。このことが、コロナ禍 において、病院に行くか在宅で支援を受けるかなどの相談・サポートを身近で受けられない理由とな っている。さらに、医療提供者側におけるデータ共有不足や地域連携の不足としても表れ、保健所や 一部の大病院のリソースの顕著な不足が発生する状況を生み出す一因となっている。』
ナドナド、まるで医療機関の責任が追求されている様に思われる。

では欧州諸国のような制度設計を目指すと言うことなのだろうか?
例えば、英国の国民保健サービスはNational Health Service 、通称NHSと呼ばれている。。
NHSは税金で運営されており、加入者は自己負担なく医師の診察を受けることができる。
症状に応じて開業医を選択できる日本とは異なり、NHSではどんな症状についても、原則的にまずはGP(General Practitioner :総合診療医)の診療を受ける必要がある。GPの診療後、必要に応じてより専門性の高い医師やサービス(専門医、理学療法など)への紹介が行われる。なお、救急医療はこのかぎりではない。
コロナ患者の救急に関しても、NHSシステムが機能し、GPが対応したとは聞いていない. 

コロナの反省として、かかりつけ機能を充実すべきという論調は何かしら、マトが外れている様に思う。しかし、その様な論調がはびこり始めている。

コロナ感染最盛期では、多くの病院はコロナ患者だけでなく、一般患者の受付を制限したのであり、多くの手術待機者や救急受け入れ困難事例が発生した。 コロナ禍では人手不足の保健所は重症化したコロナ患者を何処に入院させるのか、四苦八苦であった。
それでも、使命感に燃えた民間病院では積極的にコロナ患者も受け続けた。ところが、その様な病院でもクラスターが発生すると、病棟閉鎖を余儀なくされ、救急部門の受け入れが出来なくなり、一気に経営難に陥ったのである。
個人開業医でも同様であり、コロナの院内感染に襲われて、休業せざるを得ない医院が相次いだ。発熱患者は診ない開業医が増えていった。

これは、かかりつけ医機能不全に陥ったと国民の目には映ったかも知れない。
そんな窮状の中、一昨年の年末には、『公立病院が何故、コロナ患者を率先して受け入れないのか。一般救急は民間病院に任せて、それに特化すべきでは』と宜なるかなの意見が出てきた。
同調したある東京都の政治家は『民間病院がコロナ患者を受け入れないなら、大学病院がもっと積極的に対応すべきだ。』と主張をしていたが、東京都の多くの大学病院は民間であるという認識がないことが露呈した発言でもあった。
当時は大学病院でも補助金をいくらもらってもクラスターが発生しては割が合わないという経営視点が広がっていた。地方から就職した看護師も感染の危機に晒されるのより、地方に帰って、安全な病院で勤務したいという理由から集団離職が相次いだ。

コロナ患者の受け入れが目詰まりしたのは、自見参議院議員も国会で取り上げていたのであるが、これは医療機関側というより、行政サイドの問題であったのであろう。行政は仲介すべき保健所を削減してきたし、いざとなると国公立病院に何も言えない行政であった。

コロナの対応が基礎自治体に任せられていることはそれなりに評価できる。コロナ最悪期では首長の力量が試された。今後このような感染症に適切に対応すると言うのなら、地方分権化を強力に進めて裁量権を基礎自治体にもっと持たせるべきであろう。

具体的には都道府県マターである救急隊員や学校職員のワクチン接種の遅れは著しく、基礎自治体が見るに診かねて、命をかけて頑張っている方々に余ったワクチンを回していたとこともあった。先ほどの公立病院も都道府県マターであり、対応に胡乱な感が否めなかった。このようなパンデミックでは動きの悪い都道府県ペースには現場は業腹にもなった。動ける基礎自治体にもっと権限を与えて、保健所も強化して、動いてもらうべきだったのだろう。

ところが、コロナも落ち着いてくると、今回の反省はかかりつけ機能が不全に陥っていたからと言う一見わかりやすいが、内容の無い抽象論が聞こえてくる。例えば医療費亡国論なども分かりやすい言葉なのだが、何が某国なのか?ちょっと考えると希薄な主張であることがわかる。
熱りが冷めると現場の所為にするのはレトリックではあるが、真相を語るものではない。

あくまでかかりつけ医は患者サイドの表現であり、フリーアクセスを妨げるようなものではないと考えている。日本の医療制度はトップダウンである国とは違って、患者中心のどちらかというとボトムアップのベクトルである。色々と欠点もあるかも知れないが、将来に渡りブラッシュアップできるシステムでもある。今回のコロナ対応の問題点はこのかかりつけ医機能とはほぼほぼ無関係であろう。英国のNHSすらコロナには直接関与していなかったのである。
この様な新興感染症対応は特殊な危機管理であり、トップダウンの行政力が大切であり、そこがカナメであった事を了解すべきだ。(分かりにくい問題だったのかも知れません、今回は)

コロナに密着して行きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?