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#15:山口周さんの新刊とりんご🍎農家での花摘み手伝いについて

山口周さんの本はどれも毎回2、3回読み返す程、暑苦しいファンのひとりだが今回の新刊は今までよりも問題提起のレベルが一段階上のように感じている。…大丈夫です、こんなベストセラーを真正面から書評するような度量も、引出しもないです。いつも通りすごく納得して読んだし、素晴らしい本です。ぜひ読んでください。ただひとつだけ引っかかることが…。

□コンサマトリーって?

それが「コンサマトリー」という聞き慣れない言葉。山口周さんの文章や言い回しは時々高級過ぎるものの、主要な概念はきちんと凡人にも分かるレベルまで噛み砕いて説明がある。それが、今回の「コンサマトリー」はどこまでもしっくりこない。

本を読めば言葉の意味は分かるものの(下手な説明は避けるのでぜひ本を読んでください)、その言葉を使わざるを得ないほど、他に適切なワードがないのだと思う。それにしても、この「コンサマトリー」が頭の中をぐるぐる周り、いつまでも消化されず…。

それがふと、自分の実体験に照らした時にピッタリ来るものがあり、それを思い付いたらスッキリしたので記録しておこうと思います。

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□りんごの花摘み

ところで、5月のりんご農園🍎に訪れたことはありますか。果実の収穫時期ではないので、りんご園に行ったことがある方でも、あまりこの時期に行くことは少ないかと思う。この時期に行くと、上記の写真みたいに白い花が咲いている。私の家族は、例外を除いて(コロナ等)、もう15年続けて、この時期は毎年りんご農園へ行く。

5月はりんご農家には収穫と並び最繁忙期であり、人手が必要になる。何をするかと言うと、五輪咲くりんごの花を中心花という真ん中だけ残して花摘みするのだ。(下の写真は花が散った後、まだ五輪残っている様子)花を残すと、その全てに実がついてしまい、ひとつずつの実が大きくならないので花摘みが必要になる。りんごにはたくさん花(綺麗な白い花)が咲くため、それなりの人手が必要になる。15年ほど前に通い始めて以来、毎年、長野県に向かい花摘みを手伝うのがGWの恒例行事になっている。

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□再び、コンサマトリー

突然、りんごの花摘みを解説されて意味が分からなかったと思う。でも実は、この毎年行う、りんごの花摘みが、まさに私にとっての「コンサマトリー」な仕事だと気付いた。この花摘みは一般的には農業ボランティアとして募集されており、作業を手伝う代わりにその農家でご飯をいただいた上、夜は家に泊めてもらう。(ちなみに産まれた時から毎年同じところでお世話になっているため、息子は親戚の家だと思っているw)

中央アルプスと南アルプスに挟まれたりんご園で木に脚立を立てかけて登り、黙々とリンゴの花を摘んでいると、完全に全てを忘れられる。ゾーンとは少し違うが、その没入感と、時折、周りの人達とボツボツ話しながらも手を止めず作業をする感じ。作業の間にはりんご園の地べたに車座になって座り、山を眺めながら世間話をし、蜂がりんごの受粉を助ける羽音を聞く。そんな時間。

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全てが完結し、循環している感じ。自分がりんご農家ではないので、パートタイムの視点しかないが、少なくともりんごの花摘み自体が自分に深い満足を与えてくれる。心地よい疲労感を近くの大浴場でお湯とともに流せば、本当にこれが完璧な1日だと何度も感じている。労働自体が深い喜びに繋がっている。

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花摘みをしている時、個人的にはコンサマトリーな感覚を味わっていると感じる。この体験で言葉と感覚がようやく繋がったのだが、花摘みを経験したことのない人には、共通認識として感じるのは難しい気もする。

本の文脈に沿って、正しい解釈かは自信がないが自分の中に変換できる言葉ができた。皆さんはコンサマトリーな労働体験はあるだろうか。うまく言えないが、働く楽しさや充実感を味わったことがあると、自分の仕事を選択する判断軸になる気がする。私は本業でも時々このレベルの充実感があるので、今の仕事は合っているのかなーと感じている。

ちなみに、11月のりんご収穫時期を手伝うのもすごく楽しい。(写真が撮りたくなるほど、りんご🍎の実の赤が映える)

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