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西会津の辺境集落から取り組むポスト資本主義の最先端|SILフェロー紹介②

Sustainable Innovation Lab(以下SIL)には、フェローとして、様々なことに挑戦されている方たちが所属しています。

こちらの連載記事では、フェローの方々にインタビューさせていただき、どんなことに取り組まれているのか、どんな思いでSILに参画したのかをお聞きしました。

2人目にご紹介するのは、福島県西会津町で活動されている矢部佳宏さんです。インタビュアー、執筆は学生インターン/ユースフェローの渡邉が務めました。

(SILについては、ぜひ以下のリンクをご確認ください。)


――現在はどのようなことに取り組まれていますか。

矢部さん:大きく言えば、ポスト資本主義社会づくりをやっています。あと、全国の自治体のアドバイザーを務めたりもしています。もともとランドスケープアーキテクトなので、ランドスケープデザインが専門なのですが、人間と経済、自然環境がどう付き合っていけば持続可能な社会にできるかということをずっと研究しています。

――SILのXゼミに登壇された回で、BOOTという一般社団法人で理事をされているとお聞きしました。BOOTでは、どのようなことを目指して活動されているのですか。

矢部さん:「新しい風土性」「人口減少時代の集落」「​地球課題とアート」「​​土地の記憶DNA」「詠人知らずのデザイン」これらがキーワードになっています。BOOTのHPに則って説明すると、我々がやっているのは、​辺境から未来を描くということですね。

人口減少と高齢化の最先進地かつ最小限単位のコミュニティである辺境の“集落”に暮らしながら、​「風土が育んできた伝統とその価値」や「経済/環境/社会の持続可能なシステム」「 人口減少時代の社会システムやテクノロジー」「コミュニティの役割と意義」「自然と人間が共生する風景」「多様性社会」「そもそも仕事とは?暮らすとは?生きるとは?」という本質的な問い​から未来を妄想して資源を磨き上げ、デザインの開発と実践を繰り返し、成果を地域に再投資することを繰り返しながら未来の風景を創造・探求をしています、というのが根幹となる話です。

具体的には、課題を分析、整理する方法や、どういうデザインが未来にとって必要なデザインかという評価基準を作っています。それに合わせて試行錯誤しながら、実践と反省を繰り返しています。

――BOOTの活動をはじめたきっかけは何ですか。

矢部さん:僕は大学で環境デザインを学んだのですが、卒業研究のテーマにしたのが今住んでいる集落なんです。デザインとは何かということを深く掘り下げて、デザインは果たしてこれから本当に未来に役立つのかと考えたときに、どうも違和感がありました。

産業革命が起こる前の社会から見直して、本当に必要なテクノロジーや文明とは何か、取捨選択する時代なのではないかと思ったんです。そのためには、昔をよく知らなければいけないと思い、自分の集落の研究を始めました。

大学院の修士論文でも、現在私が住んでいる楢山集落の研究をしました。この集落は、もう360年ぐらい続いているんですよ。しかも、昭和までは、ほとんど地域の資源だけを使って。これが物理的、社会的にどういうことなのか深く掘り下げて、伝統的な集落がどうやって持続可能な状態を保ってきたのか研究しました。

それから社会に出てデザイナーになり、いろんなランドスケープデザインに取り組んだのですが、里山で発見した持続可能な社会と環境の循環システム、その本質的な部分は世界でも通用するのではないかと思い、海外に研究にも行きました。そんな時に、東日本大震災が起こったんです。日本におけるいろいろな動きを見ていて、これはなんかダメだなと思いました。

かなり日本はやばいんじゃないかと、海外にいる視点から思いまして。でもやばいって外から言ってもしょうがないですし、自分でやらなきゃいけないと思ったわけです。自分でやるならどこかなと思った時に、自分の家だったら誰にも文句言われずできるじゃないですか。それで、10年前に西会津町に来て、できることを1個1個やってきた結果が今みたいな感じです。

――西会津で生まれ育ったのですか。

矢部さん:生まれてから3歳までは西会津に住んでいました。

――西会津で活動しようと思ったのは、住んでいた思い入れからでしょうか。

矢部さん:僕は家の19代目なんです。だから、いずれ家を引き継がなくてはいけません。あと、求められてやっているというよりも、自分が未来の社会に必要だと思ってやっているので、他のところでやったらお節介じゃないですか。実験するには、まず自分の家から始めようと思ったところがあります。自分の暮らしからポスト資本主義を目指し、身近なコミュニティから始める。それしかないなと思ったんです。

一般社団法人BOOTが主催している「草木をまとって山のかみさま」。2014年から始まった新しいマツリ。左の青い服を着ている方が矢部さん。

――東日本大震災のときに、ダメだなと思われたのは具体的にはどのようなところですか。

矢部さん:いっぱいありますね。原子力発電所の事故という、今までに経験したことのない難しい問題に対しての向き合い方が、白黒つけすぎる雰囲気になっていて。全員で協力して考え続ける、問い続けることが大事だったのに、日本が向かったのは安心したいがために出せる簡単な答えを求める思考停止状態が生まれて、どちらかというと大きな分断に向かったんじゃないかと思いました。

こういう分断が起こるのは、社会として未成熟だからなんじゃないかと思いました。日本は、里山にみられるような人間と自然の共生関係を長い時間をかけて育んできた国です。気まぐれな自然と文化的に付き合う風土だったはずなのに、そういう国ではなくなっていると本気で思ったんです。そもそも、この「ダメだな」を短い言葉で言語化すること自体も、それを聞いてすぐに「ダメだ」と思うことも危険ですね。そういうところに問題を感じているわけです。

――言い切る姿勢自体が、白か黒かの二極化に繋がってしまうということでしょうか。

矢部さん: それもありますが、言い切る姿勢そのものよりも、どちらかというと受け取り方が極端なんじゃないかなと。一旦聞いて、それから考えることがあまりできず、言葉尻や揚げ足をとって責任を追求する傾向が強くなっているので、もはや自分の意見を素直に発言しにくくなっているんじゃないですかね。正しくないと発言してはいけない、となったら議論してみんなでいい方向をさぐろうという協働ができません。議論の中でも分かりやすいことが正義みたいになっていますが、世の中のほとんどのことは分からないはずなのに、そのモヤモヤしたところに立ち向かう体力、耐える力が全然なくて、日本社会が悪い方向に行くと思ったんです。

――BOOTという団体を通して、世界に訴えかけるというよりは、まずは地元から挑戦しているということでしょうか。

矢部さん:人間社会の最小単位のコミュニティと世界規模のものは、実は構造が一緒だったりするので、世界とコミュニティのように分けて考えないほうがいいんです。

僕が住んでいる地域では、皆さん400年以上家を持っています。集落の会議に出てくる人たちは、先祖代々の考え方と自分の領土を持っている家長なので、いわゆる国の代表みたいなものです。20件の家の会議があれば、20か国の会議なんですよ。

300-400年以上も1つの集落が続いていると、「100年前にあそこの家がうちに〇〇をした」「あそこの親は、、、あそこの親戚は、、、」など、いろんな話が裏にあります。そういう関係の中で会議をするというのは、いわゆる国連サミットと一緒です。

お互いの国の背景があって、「お前そんなこと言うのか。でも、昔あれやっただろ」みたいな関係があるから、言葉が濁る。そう考えたら、グローバルもローカルも構造は一緒です。そういう状況なのにもかかわらず、未来に向かうということは、例えば「CO2排出量削減に向けて、みんなで協力しなきゃいけないよね」みたいな話をした時に、発展途上国が「いや、今までずっと二酸化炭素出し続けてたくせに、これから工業化のメリットを受ける俺たちの国もやめろというのか」みたいな話になるじゃないですか。

そういうことを全部踏まえた上で、前に進むのが人間社会なわけです。集落だって同じですよ。その規模は小さいし、言ってることは小さいかもしれないですが。なので、地球、世界、日本、コミュニティなどと分けて考えられないんです。それが、今の社会の捉え方では全部分けて考えている。この考え方が問題だと思っています。

――世界においても、コミュニティにおいても同じ問題があるのですね。

矢部さん:そう。私はそこに違和感を覚えたんです。逆に言うと、集落社会で最先端のことをやればいいんですよ。問題や壁を乗り越えていくプロセスが大事なので、誰かではなく、自分がやらないと意味がないんです。ポスト資本主義にするプロセス、デザイン、ハレーションの解決策みたいなものがとても大事です。

――自分も、コミュニティのしがらみを踏まえて考えることの必要性を痛感します。

矢部さん:その通りだと思います。利他主義やSDGsも大事ですが、人間はそんなに甘いものではないと思っていて、一緒にいたくない人と共通の利益のために働けるかということを考えなければいけません。個人的には嫌いな人とも、社会全体のためにはちゃんとやりましょう、という話し合いが、国でも地域でも出来ていないのではないかと原発事故の後に如実に感じました。

――活動の目標やゴールはありますか。

矢部さん:これが夢です、みたいなものは言い難いですが、制約が増えている中で未来の選択肢を増やすことをゴールとして言っています。例えば環境問題の話だと、これやっちゃダメ、あれやっちゃダメとかが多くなっていくじゃないですか。こうした制約を増やすほど、1つのゴールには達しやすいかもしれないですが、制約とともに出来ることも減ってしまってはなんか豊かじゃない気がするので、制約が増えても、別の方向性で選択肢が増えるようにしたいんです。

たとえば、昔はインターネットがなかったので、こんな山奥の田舎に住んでいたら世界と情報交換できませんでしたし、教育においても、田舎の方が情報格差の影響を受けましたが、今は様々なテクノロジーによって、田舎でも取れる選択肢がとても多くなりました。情報格差がなくなってくると、人が集まる都会でなくても、新しい文化が生まれやすくなるし、都会では発想できない感性が磨かれたり、それを表現してたくさんの人に見てもらうこともできる。つまり、田舎だから遅れている、ということがなくなってきている。

そうなると、環境問題がシビアな時代下では、圧倒的な自然に囲まれている田舎の方が、自由でのびのびできたり、新たな文化が生まれるメリットを感じたりします。実際に、西会津に関わってくださる沢山のアーティストたちとの研鑽によって、この田舎から、NYや台湾、リトアニアなどと直接的な文化交流が出来るようになってきました。そういった、田舎だから何々ができないということはとにかく減らしたいですね。そういう意味で、目指すゴールは全員のゴールを達成することだと思っています。

矢部さんが取り組まれている「楢山プラネタリー・ヴィレッジ・プロジェクト」の一環としてつくられた古民家ホテル「NIPPONIA 楢山集落」。

――SILに参画されたきっかけはなんですか。

矢部さん:サスティナビリティについてずっと研究しているので、自分にとってもそうだし、同じようなテーマで研究しているSILの皆さんにとっても何かメリットになればいいなと思って、参加しています。NCLの理念にも共感していて、皆さんがどんな方向に向かうのか気になっています。

――SILに参画して、よかったことはありますか。

矢部さん:皆さんがどんなことを考えているのかを眺められることですかね。メンバーの一人である山口有里さんとは、資源循環や新エネルギーなどについて、西会津の地域の人たちと一緒に勉強会を始めていて、とてもいい刺激をいただいています。

――影響を受けたり、触発されたりといった感じですか。

矢部さん:考える要素を増やしたり、自分たちでは辿りつかないような知識や専門技術などに触れられたり。「そういう考えでやっている人もいるのか。んー、そうか。どうなんだろう。」というふうに考えることがとても大事だと思っています。

SILのDiscordを眺めて、すごい面白そうなリンクが送られてきたらクリックしたりしてます。新聞を見ている感じですね。ちょっと自分のやることが多すぎて、主体的には参加できていないですが。

――最後に、SILに興味を持ってくださっている方たちに向けて、一言いただいてもよろしいでしょうか。

矢部さん:問いの立て方とか、課題の認識の仕方とか、皆さんあがきながら進んでいっているじゃないですか。皆さんそれぞれやっていることのステージや向き合っている課題は違いますが、お互いがやっていることについて知ったり、話したりすることが大事です。

SILは、誰かがやりましょうと声をかけたら集まりそうな雰囲気もありますし、それぞれの思う持続可能な社会を発表したり、共感してくれる人を集めるのにとてもいい場所だと思います。

《プロフィール》
矢部佳宏
1978年西会津町生まれ。ランドスケープデザイナー。マニトバ大学大学院ランドスケープアーキテクチャー修士首席修了。山奥の約360年続く集落を19代目として継承しながら、ランドスケープ・アーキテクトとしての知識や経験を軸に、分散型集落滞在型古民家ホテル「NIPPONIA楢山集落」や「西会津国際芸術村ディレクター」など、「故くて新しい未来」の暮らし方、社会の組織・仕組みや、持続可能な地域経済の生態系にについて探求・実践している。一般社団法人BOOT代表理事。


SILでは、随時フェローを募集しています。ご興味ありましたら、ぜひ参画説明にご参加ください。


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