見出し画像

「#アート 記事まとめ」編集後記 番外編 2人のkaoru氏のアート記事

今回は、「#アート 記事まとめ」マガジンの「編集後記 2」を投稿する前の「番外編」。いろいろと考察してみたい。

さて、全くの偶然なのだけれども、先週と今週、二人のkaoru氏(同じお名前)の記事をマガジンに入れさせていただいた。

先週、入れさせていただいたkaoru氏の記事。

今週が、こちらのkaoru氏の記事。

お二方の貴記事に対して、レビューなんぞ出来る立場でないが、弊マガジンを通して「#アートの意味」を考察している立場から書かせていただいている。

お二方へこの場を借りて御礼申し上げる。

kaoru氏の『夕暮れに沈むモレの橋』も、もう一人のkaoru氏の『ロンドン ナショナルギャラリー展』も、是非記事を読んで頂きたいので、詳細は、避ける。

ここで注目したい点は、どちらの記事もご自分が撮影した画像のみを利用している点だ。やはり、その時、その場の空気は、著者達が撮影した画像だからこそ、だ。

『夕暮れに沈むモレの橋』は、kaoru氏の印象派を巡る旅の記録でもあり、独自の美術論でもあり、自分の人生を振り返るエッセイでもある。そして、シスレーの描いた《モレの橋》の下で流れる川は、kaoru氏の人生のようだ。

僭越ながら、私も基本的に自分が撮影した画像のみを用いて、アートの記事を書くようにしてきた。作品の著作権(クレジット・コモンズ)を守るためが一番の理由だけれども。一方で、自分の人生の中で、数々の名品に出会った時のことを書きたいなと思ってきた。

だから、kaoru氏のように言葉を巧みに操りながら、記事は書けないけれども、勝手に共感してしまった。しかも、作品の画像は、シスレーの《モレの橋》だけ(後の画像は、読んでからのお楽しみということで)。清い。最後には、図版の参考文献も忘れない。ブラボー。

一方、『ロンドン ナショナルギャラリー展』は、こちらのkaoru氏が「ロンドン ナショナルギャラリー展」のポスター(ゴッホ《ひまわり》1888年を使用)以外の画像は一切使わずに展覧会について記事を書かれていることに注目した。

こちらのkaoru氏は、展覧会の簡単な構成とお好きな作品(作者と題名を明記)を三点、ご自分の言葉で説明されている。展覧会へ行ったことがある読者は、これらの作品を思い出すだろうし、これから行く読者は想像すればよい。

勝手ながら、こちらのkaoru氏の記事を読んでいて、昔の自分を思い出した。私もブログ時代に、同じようにポスターの画像だけを用いて記事を書いていた時があった。

なぜなら、開催中の展覧会の出品作品画像を(ネットを含む)記事で使用する際に、展覧会事務局を通して正式な手続きが必要だからだ。また、最近の展覧会の公式サイトには、コピーガードの処理がかかっている。他のサイトで展示作品画像をダウンロード出来たとしても出典元(URL)が必要だ。

撮影禁止であるはずの展示作品の画像を一切用いないkaoru氏の展覧会の紹介記事の清さに、私は共感した。

前述のシスレーの《モレの橋》も、ナショナルギャラリー展の出品作品も「作者、題名」をググれは、ほぼ作品画像は出てくるご時世だ。著作権だ、クリエイティブ・コモンズだ、と余計な手間をかけずに安全にアートの記事を書くお手本だと思った。

そして、今までの自分は、アートの記事を書く時に「現地で撮影してきた作品画像」に頼っていたのかなと反省したのだ。たとえ、それらの画像が自分にとってお宝画像であろうとも、アートの記事は作品画像が命と思い込んでいたのかもしれない。

一方、お二人のkaoru氏は、全く画像に頼っていない

その清さが、とても新鮮で、若干スランプ気味の私へ、アートの記事の可能性を感じさせてくださったのだ。


(見出し画像は、ルーヴル美術館かナショナルギャラリーか迷ったが公平に考えて、著者が撮影した米国、ニューヨークのメトロポリタン美術館にしてみた)