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大江健三郎、武満徹とハワイ①「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち

大江健三郎さんと武満徹さんは、ハワイに滞在した経験にもとづいて、作品を生み出した。親友の二人は、相互の作品に触発されて、作品を生み出した。大江健三郎さんが2023年3月3日に逝去されたとのニュースに接し、二人のハワイでの経験と交流について紹介した投稿をまとめ、感謝を表す。

武満徹「西も東もない、海を泳ぐ」(1991年)
1964年春、ワイキキビーチの遥か沖合いに、潮を吹く座頭鯨を見た。夕暮の浜に立つと、既に海は黯く、水平線だけが燃えたつように黄金色に光って、鯨の黒い影は、現世のものとも思えぬほど、典雅に映った。言い知れない感動にとらえられ、私は身動きもできなかった。

その頃、私は伝統音楽に興味を抱くようになり、筑前派の琵琶を習っていた。太平洋上の中央に位置するハワイへ招かれたことは、象徴的な意味合いを感じないでもない。夜に溶ける茫洋とした海を眺めていたら、西も東も、そんなことはどうでもいいと思えた。西が新しくもなければ、東が古いとも言えない。

日系米人の話す英語の奇妙な響きとその活力に圧倒され、半面、気恥ずかしい思いがしていた。いまこんな思い出話を書くのは、今日の文化状況が、恰もピジン英語のような猥雑で活力に充ちた混沌の相を示しているように感じられるからだ。クレオール化が進み、やがて共通の文法を見出すことになるだろう。

武満徹
Tōru Takemitsu
『海へ(I)
Toward the sea, for alto flute and guitar』(1981)

I. 夜 The Night
II. 白鯨 Moby Dick
III. 鱈岬 Cape Cod
Robert Aitken, flauto
Norbert Kraft, chitarra


1964年春、ワイキキビーチの遥か沖合いに、潮を吹く座頭鯨を見た。

大江健三郎:頭のいい「雨の木(レイン・ツリー)」(1980年)①
僕は、ある土地の樹木と、そこに生き死にする人間とに、似かよっているところがあるように思うのだ。
僕は外国に出るたびにその風土での、いかにもその土地らしい樹木を見ることを楽しみとしている。それも当の樹木の、土地での独自の呼び名を知ることで、その樹木に真にめぐりあったと感じるのだ。

——「雨の木(レイン・ツリー)」というのは、夜なかに驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さな葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭がいい木でしょう。

僕はハワイ大学の東西文化センターが主催するセミナーに出席する。夜のパーティで、精神病治療施設を経営するドイツ系アメリカ婦人アガーテが、暗い庭の樹木を見せる。夕暮の驟雨を受けた樹木が地上に降らす水の匂いを嗅ぎながら、僕は底なしの暗黒を感じる。

「雨の木(レイン・ツリー)」というのは、夜なかに驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。

大江健三郎:頭のいい「雨の木」②
ドイツ系アメリカ婦人アガーテは、1階の部屋の1つの正面奥の壁を覗きこんだ。壁面全面の本棚のなかほどに油絵が宙づりになっていた。頑丈な栗毛の馬に乗った金髪碧眼の少女の絵で、背後の囲いの壁は収容所のように陰気でいかめしいもので、僕は彼女の幼女期の肖像と気づいた。

彼女は「本当に恐ろしい不幸なことは起こっていなかった頃の馬上の少女」と答えた。彼女が母国ドイツを棄てて、ハワイに移住した人間であることのみが、僕の知るところだった。しかしセミナーのユダヤ系メムバーたちが、この夜のパーティをボイコットしている事実も、意味のあることにちがいなかった。

パーティの部屋に戻ると、車椅子に深々と腰をおろした小人のような初老の建築家がしゃべりたてていた。建築家の両脇と背後には、中年、初老の婦人たちが行儀よく椅子に坐り、強い飲み物を素早く飲みほしていた。バーテンと給仕たちは、蒼ざめて瘦せ細り自閉症的な若い人々で、音もなく行き来していた。

「自分は、若者たちを上昇させ啓発する方向づけにおいて、熱烈に愛する。米国全土からやって来る傷ついた赤裸の魂の個々のための位置を確保しようと、精魂こめて働いた。特に若者らが自分自身を天に向って螺旋状に高めていると自覚できるように、この建物の内部構造を設計し、改築を実現したのだ」

我々は、その建物を経めぐるうちに高い塔のうちに宙づりにされた気分になった。最上階には、パーティに出ていた婦人たちとの縁を感じさせる人物が全裸で坐り、生殖器からの血にまみれていた。今夜のパーティは、精神障害者の施設の収容者によって開かれたことに気づき、我々は速やかに建物を退去した。

頑丈な栗毛の馬に乗った金髪碧眼の少女の絵で、背後の囲いの壁は収容所のように陰気でいかめしいもので、僕は彼女の幼女期の肖像と気づいた。

武満徹『オペラをつくる』(1990年)
ベケットが散歩していたら、道端で何かを待っている人がいた。「あなたたちは何を待っているのか?」と訊くと、「ゴドーを待っている」と言った。彼はそのとき咄嗟に素晴らしい形而上学をつかんで『ゴドーを待ちながら』という芝居をつくった。ある種の偶然は劇的なものだ。

同じことが、『レイン・ツリー』という曲を書いたときに起こりました。自分の中で少しずつ定かになりつつあったイメージが、大江さんの『雨の木』という小説を読んではっきりしたのです。突然わかったのです。ところが、あの小説を読む以前に「レイン・ツリー」ということがいつも頭の中にありました。

エール大学に8週間いて、アパートで毎日ちょっと淋しい一人暮らしをしていたときに、朝、ヒゲを剃っていたら、使っているシェービングクリームが「レイン・ツリー」という名前でした。僕はその名前が好きで「レイン・ツリー」ということを考えていたら、大江さんが『雨の木』という小説を書かれた。

大江健三郎『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』見返し

大江健三郎:「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち(1981年)①
1年ほど前、僕は「雨の木(レイン・ツリー)」を主題とする短篇を発表した。しばらくして音楽家のTさんから、「雨の木(レイン・ツリー)」という音楽を書いている、ついてはきみの小説の会話の一節を楽譜のはじめに引用したい、楽譜と演奏の録音は外国でもつくられるから、英訳もほしい、と話があった。

Tさんの「雨の木」の演奏会。3人の演奏者は、中央のヴィブラフォンと両脇のマリンバの前に立っている。しかし初めに響いてきたのは調律された3個のトライアングルの音で、偶然のような和音、人間の精神の営為を表わす不協和、ズレ。その音質と進行に、僕は暗黒の宙空にかかっている幻の樹木を見た。

僕は「雨の木」という宇宙モデルを、暗喩(メタファー)として提出するのに数多くの言葉をついやしたが、暗喩は音楽家に伝達されて、それと照りかえしあうもうひとつの「雨の木」の暗喩が、音楽家のいだく宇宙モデルに重ねられ、舞台に鳴りひびく…

武満徹
Tōru Takemitsu
『雨の樹 (Rain Tree)』(1981)

演奏:
高橋美智子 (Vib.)
菅原淳 (Mar.)
山口恭範 (Mar.)
ナレーション:遠野凧子


大江健三郎『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』表紙

「雨の木」を聴く女たち②
Tさんは冒頭、「雨の木」について解説した。「僕は三角関係に興味を持っているんです。男2人と女1人の演奏者による音楽は…」。演奏が始まって、僕は「雨の木」の暗喩が3人の男女によって具体化されていると感じた。ハワイの短期滞在で、小説の表層からは消しさっておいた出来事が三角関係だった。

かつての同級生・高安がハワイの宿舎に現れ「1968年にパリの放送局で仕事中の斎木を訪れ、英・仏2国語の国際誌発行計画に誘ったが、斎木は高安が同伴した愛人に熱中したので、3人で共棲しようと提案したが拒絶され、事業は中絶した」とハワイ大学の東西文化センターの食堂で僕に話す。

その夜、泥酔した高安は中国系アメリカ人女性を連れて、再び宿舎を訪れ、眼の前でその女と性交した後、「この女とやれ! そして300ドルを払え」と繰り返し、廊下に出る。ところが、隣室から出てきた西サモアの作家の巨大な身体に、高安は怯えて部屋に戻る。女は高安を廊下に連れ出し暗闇に消える。

半年後、ハワイの中国系アメリカ人女性ペネロープ・シャオ=リン・リー(ペニー)から手紙が届く。彼女は高安の妻だった。
「あなたをセミナーで発見したと伝えた時、高安は昂奮し、あなたとの合作で小説を書く決心をした。しかし、あなたと高安の話合いは不成功だった。合作の可能性は本当にないのだろうか?」
僕は返事を書かなかった。それは、いかんともしがたい対応だと考えている。

「雨の木」の小説を発表して100日経たぬうちに、再びハワイから手紙。
「亡くなった高安は小説を読んで、『雨の木』の暗喩は自分のことだと言っていた。私は『雨の木』が単なる暗喩だとは思わない。『雨の木』がある施設を教えて下さい。『雨の木』の水滴の音を聞きながら、高安のことを考えていたい」

ハワイ大学の東西文化センターと日本庭園

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