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大江健三郎、武満徹とハワイ②さかさまに立つ「雨の木」

大江健三郎:さかさまに立つ「雨の木」(1982年)①
カウアイ島で観葉植物、庭園用の樹木の農園を営む宮沢さんの夫を、10年以上前に広島のジャーナリストKさんが訪ね、
「ハワイを皮切りにアメリカ西海岸の日系人(広島県出身者が多い)に広島・長崎の原爆被害の惨状を伝えたい。日系人を主力とする核廃絶の運動が全米に拡がることを期待して」と話した。

宮沢さんの夫は、Kさんにいいたてた。
「日本人が真珠湾攻撃を行った。その結果、近代戦争に奇襲の可能性が加わった。いつ相手国が全面攻撃をしかけてくるかもしれぬ。それに対抗しよう、という核武装競争の原理は、真珠湾攻撃がつくり出したのだ。パールハーバーを忘れるな!は、そういう意味でなければならない」

Kさんが穏やかな言葉遣いで「真珠湾奇襲を認めるからこそ、アメリカにおける日系人の、広島・長崎の実状に通じた核廃絶運動がおこるならば、それに期待がかけられる」と言うと、農園主は、もう筋みちだった論理のない当りちかしかたで、ついにKさんと握手をすることもなしに農園からの退去を求めた。

Kさんの訪問まで、夫は、真珠湾奇襲を日本軍の悪として批判したことはなかった。戦時中の苦しかった収容所生活の間も、長く事業が復調しなかった戦後も、それは同じだった。その後、夫は、この話題を持ち出すことを絶対に許さなかったので、その態度をよく納得しえぬまま、死に別れることとなった。

原爆で親戚を多く亡くした夫に代わって広島で墓参りをした宮沢さんは、Kさんの死亡も知り、Kさんと親しかった僕に、核状況についての話をしてほしいと依頼する。
僕はホノルルでのシンポジウム後、カウアイ島訪問を計画するが、宮沢さんからの連絡は来ない…

広島上空の原子雲

さかさまに立つ「雨の木」②
高安は「自分の死体を火葬して骨と灰にした後、この地球の上の汚染の少ない場所を探して撒いてもらいたい。肉体が、人間の死後、原子に還って地上に遍在するようになると考えることで、人は死の恐怖を相対化することができる。それは青年のころ発見した知恵だ」と言った。

そこで未亡人ペニーは、西サモアの作家を頼って、ミクロネシアの孤島へ旅行した。高安の遺言通りに、高く山へ昇って下方の原始林へ灰を撒き、また珊瑚礁へカヌーを漕ぎ出して、澄みわたっている海に骨を沈めた。まっすぐ沈んだ重いほうの骨のいくつかは、すぐさま珊瑚礁と見わけることができぬようであった。

高安には、ニューヨークでユダヤ系の女性と結婚していた時期があり、ザッカリー・Kという息子がいる。彼は、アメリカ人と再婚した母親のもとで育った。25歳で、音楽グループのリーダーで、発売したレコードの作詞と作曲も彼のものだ。父の死の報せを受けてハワイに来た彼は、父の草稿に感銘を受けた。

彼は初めて父親を発見した。厖大な量の草稿から音楽に活用できる言葉を抜き出すたび、未亡人に使用料を払う条件で、ノートをすべてニューヨークに運び去った。第1回LPが発売され、シングル盤はヒットチャートのベスト10に入っている。彼女は使用料を受け取り、その金で旅行費と生活費を賄っている。

レコードのジャケット裏には次の文章が引用してあった。
≪神から発出するものは、霊的な状態から物質的な状態へ階層をなすセフィロトの木として知られる。道を求める人が清純なら、木は真っ直ぐ立ち、救済を求めることができる。しかし彼が掟を乱すと、この木はひっくり返り、悪魔の領域に滑り落ちる≫

さかさまに立つ木

さかさまに立つ「雨の木」③
ホテルに日系人の小説集を届けにきた女性は「原水爆の廃絶にむけてゆっくりした運動を考えているグループが、僕から広島の話を聞くことを望んでいたが、昨日のシンポジウムでアメリカの政策を批判したE・N教授と僕が近い関係と受け止めて、ショックを受けた」と話した。

夕食後も宮沢さんから連絡はなく、昼間の客の訪問の意図に思い到った。胸苦しい夢におののきながら朝を迎えると、早くから泳いだ。近くの古いプールを1往復したが、水は死んだ魚の匂いがした。再び海に出て突堤の間を往復する。泳いでいると湧きおこってくるのは無力感に覆われたやりばのない忿怒だ。

陽ざしが強くなり、ホテルに急ぐ僕の前に、高安の未亡人ペニーが現れた。カウアイ島行き中止の旨を話すと「ポカイ湾に近い友達のアパートに再生装置があるから、ザッカリー・Kのレコードを聴きたい」と言った。
ハワイ大学のCO-OPの書籍部でマルカム・ラウリーの遺著を僕は買い、ピーター・ワースレイ『千年王国と未開社会』を彼女に贈った。

「高安は、現代文明の大半は核の大火に焼きつくされると考えていた。なぜかといえば、すでにセフィロトの木は転倒してしまっているのだから」。
高安の草稿にインスパイアされた息子のLPを聴くことは、気の滅入る経験だった。
ペニーは思い立ったようにスルリと裸になり、彼女と僕はソファで性交した。

半年後、ペニーから手紙が届く。彼女は「精神障害者施設が全焼」との新聞記事を読むと、車でかけつけ、雨の木があることを確認し、アガーテと友人になった。
「雨の木は燃えてしまった。世界は核爆弾の大火で燃えつきるだろう。私達は高安の骨を撒いた島に移住し、現地人の若者を指導者に新しい荷物(カーゴ)カルト運動を始めるつもりだ」

War Memorial Natatorium

大江健三郎:新しい人よ眼ざめよ(1983年)①
ボゴール植物園の一劃に立っていた僕は、案内人の「有名な雨の木です」との声を聞くと、逆方向に遠ざかった。雨の木は障害児の息子イーヨーと見なければならないと感じたのだ。そして「雨の木の中へ、雨の木を通り抜けて、雨の木の彼方へ。我々が帰還する」という詩を書く。

子供の時に見た夢。森の中の谷間の子供らが集められて、坂道を走って空中に飛びあがる練習をする。死の時が至った際に、魂が首尾よく肉体から抜け出していけるように。魂は肉体を離脱すると、谷間の宙空に飛びあがって、森の樹木の中で永い時を過ごす。新しい肉体に入るために、谷間へ下降する日まで…

熱に浮かされて夜の森をさまよう僕は、硝子玉のような明るい空間が開き、ありとある我々の土地の伝承の人物たちを見た。未来の出来事に関わる者まで誰も彼も共存しているのを。僕はそれらを見ながら幾日も歩いているうち、宇宙にまで探しに行かなくても、実地調査できるこの森の中にすべてがあると納得した。

ウィリアム・ブレイクの最も美しい絵『時と空間の海』。精霊たちは、永遠の生命から堕落して、天と地をつなぐ洞窟の中で、死すべき者=人間の肉体に織り出され、地上から苦しみの声をあげる。最後の審判に至るまで、すべての人々の魂は天上から、繰り返し肉体をまとって地上にくだらなければならない。

≪人間は労役しなければならず、悲しまなければならず、習わなければならず、忘れなければならず、そして帰ってゆかねばならぬ。そこからやってきた暗い谷へと、労役をまた新しく始めるために≫というブレイクの詩は、人間の肉体が織り出される洞窟で、繰り返し地上に堕ちねばならぬ魂を悲嘆する歌だ。

『時と空間の海』

新しい人よ眼ざめよ②
障害者の息子イーヨーが寄宿舎に入った週にTさんの音楽会があった。女流ピアニストのAさんが新曲『「雨の樹」素描』を弾いた。室内楽曲『雨の樹』の主題を明確かつ強靭に再提示したピアノ曲。短いものだが、暗喩としての「雨の木」はさらに大きく茂って、細かな葉のついた枝を拡げ続けている。

≪その暗闇の大半が、巨きい樹木ひとつで埋められている。それは、わずかながら光を反映する、幾重にもかさなった放射状の板根がこちらへ拡がり、灰青色の艶を現してくることで了解される。板根のよく発達した樹齢幾百年もの樹木が、その暗闇に、空と斜面のはるか下方の海をとざして立っているのだ。≫

続いている音楽に触発されて、僕はひとつの発見をした。それも実に懐かしい対象に再び会ったように。――ああ、ブレイクの「生命の樹」は、僕がハワイの暗い庭に見たと書いた「雨の木」そのものじゃないか! 樹幹は黒々と壁のように前方をとざしているし、板根のようなかたちもはっきり描かれている…

『ジェルサレム』装画76。「生命の樹」に磔刑になったイエス。大樹の根方に両手を広げて立ったアルビオン。すべての人類が救われて、彼一人のうちにある巨人が、崇める視線を送っている。
≪我々が自然の植物の鏡の中に反映しているのを見る、あらゆる事物の恒久のリアリティーは、想像力の世界にある≫

≪イエスは答えられた、惧れるな、アルビオンよ、私が死ななければお前は生きることができない。しかし私が死ねば、私が再生する時はお前と共にある。これが友情であり同胞愛である。それなしでは人間はない。このように人はふるまうのだ。他の者がすべての罪から解き放たれるように、許しによって。≫

武満徹
Tōru Takemitsu
『雨の樹 素描 (Rain Tree Sketch)』(1982)

演奏:
Peter Serkin (Pf.)


『ジェルサレム』装画76

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