海外の人から見る日本の駅伝文化(カネボウと東海大の練習を取材したライアン・スターナーの記事より)

私はイギリス・ガーディアン紙の編集者で、世界的なランニング本のベストセラーを2冊出しているアダーナン・フィン さんの本を愛読している。

この本は日本語訳されて出版されているが、この本を読んだことのある海外のランナーが私の周りにそこそこいることを感じている。

5年ぐらい前にグアムの現地の政府観光局で会ったアメリカ人のランナーは、その時に手元にこの本を持っていた。また別の機会にシンガポールで現地の人の家に泊めていただいた時には、彼の部屋の本棚にはフィンさんが書いたケニアの本:「RUNNING WITH THE KENYANS」があった。

そして、彼らはだいたい、「何故多くのケニア人が長距離走を速いのか?」という問いと同じように、「何故多くの日本人は長距離走が速いのか?」という問いを持っていることが多い。

2020年2月までにサブテンを出した日本人選手が102名いるという事実は(ケニアとエチオピアはどうかはわからないが)ほぼ全ての国のランナーが驚くべき事実である。


駅伝チームの練習風景は「ビジネスのようだ」

2020年2月13日公開のテンポジャーナル(オーストラリアのランニングメディア)の記事↓では、アメリカ拠点の陸上長距離選手を主に撮影しているフォトグラファーのライアン・スターナー(アメリカ在住)が2019年12月の日本滞在時にカネボウと東海大の練習を取材した時の様子が伝えられている。

もちろん彼も、「何故多くの日本人は長距離走が速いのか?」という問いを持ってこの3回の取材に臨んでいる。

1回目の取材は2019年12月2日に日産スタジアム周回コースで実業団チームのカネボウ、2回目の取材は2019年12月6日に東海大のトラック練習、3回目は12月11日に千葉県富津市においての東海大の合宿。

【ライアンの日本での取材内容】
1回目:2019年12月2日(場所:日産スタジアム外周)
チーム:カネボウ(メニュー:3km×4)
・ラスト1本は8人中4人が8分20秒後半でフィニッシュ(リカバリーは不明)
・NY駅伝1ヶ月前であるがカネボウのNY駅伝に向けた山口での合宿前なので特に重要度の高いポイント練ではなかった
取材対応:高岡監督、入船コーチ

2回目:2019年12月6日(場所:東海大トラック)
チーム:東海大(メニュー:3000m + 6000m + 3000m)
・設定タイムは8:40、18:20、8:30(リカバリーは不明)
・箱根メンバー候補におる富津合宿前のポイント練習
・走り終わった直後に乳酸値を測定
取材対応:西出コーチ

3回目:2019年12月11日(場所:富津3kmコース)
チーム:東海大(メニュー:3km×4)
・16名のエントリーメンバーによるロードでのポイント練習
・メニューの結果はおよそ8:40、8:50、8:50、8:35(リカバリーは不明)
取材対応:両角監督、西出コーチ

ライアンはこの日本滞在を前に、日本の大学・実業団の計5チームのスタッフに取材依頼をしたというが、そのうち、取材許可が降りたのがこのカネボウと東海大だった。

同じような海外記者による取材は、上記のアダーナン・フィンさんが以前、半年間京都に住んでいた時にも行われたが、結局チーム単位で取材に応じたのは立命館大学(高尾コーチが取材対応)と日清食品(岡村コーチが取材対応)だけだった。

昔も今も海外の記者による日本の長距離チームへの取材のハードルは高い。特に重要な駅伝の前のシーズンとなるとなおさらである。

フィンさんの場合は、彼の本の内容によればWA公認代理人である大串亘さんの仲介があったにも関わらず「チームのスタッフが英語のコミュニケーションが円滑でない」という理由と、海外の記者といえども、英語が得意でない日本人からみれば「見ず知らずの人物」という印象を持っていることが取材を受けるうえでのハードルになったという。

このライアンによるテンポジャーナルでの記事では、どちらも正月の駅伝を目標に練習をするチームを取材しているが、そこでカネボウの入船コーチ、東海大の西出コーチがともに「日本で駅伝は文化として根付いている」ということを話している。

これは私たち日本人にとっては、当たり前のことであるが、海外の記者がこの言葉の意味を深く理解し、駅伝の歴史的背景、地域との関わり、日本でのスポーツとしての立ち位置など、その全体像を理解するためには3回の練習の取材だけでは時間が足りていないだろう。

それはもちろん言葉の壁という問題も大きく関係しているが、少なくともフィンさんのように半年間は日本に生活してみないと、レースの様子やそれに向けた合宿や強化練習といった「日本の駅伝において点が線になっていく一連の流れ」わからないことが多いためだ(点という意味では大学駅伝界では高校時代からのスカウトも含める)。

また、ライアンはこの記事で、カネボウの選手が移動中の車から降りて、ウォーミングアップから本練習までの時間を通じて「(それは)ビジネスのような静かな雰囲気であった」と書いている。

海外の人から見た、日本の長距離チームの見え方は、2019年9月の東海大のアメリカのフラッグスタッフ合宿にも同じようなコメントがみられた。

ここで北アリゾナ大2年のライアン・ラフは以下のように振り返っている。

北アリゾナ大の選手たちは東海大がどのようなトレーニングをしていたかを見て感銘を受けた。ラフは東海大の800m×20本のインターバルの様子を思い出した。それは北アリゾナ大の選手がトラックで走る距離よりもはるかに長い。そして、東海大の選手間でトレーニング中に会話を交わすことはほとんどない。「基本的にはトレーニングの開始から終了まですべてがビジネスのようだった」

現在、ゲーレン・ラップのコーチを務める北アリゾナ大ヘッドコーチのマイケル・スミス(コーチとして全米学生クロカン男子2016〜2018年に3連覇)は東海大のフラッグスタッフ合宿を見てこう話している。

スミスは彼のオフィスに座っていて、北アリゾナ大のトラックを眺めながら、精度の高い軍隊かのような東海大のロングインターバルトレーニングを見学した。「10人の選手がまったく同じ見た目だった。全く同じ髪型、サングラス、靴下、靴、ランシャツ、ランパンを履いていたように思う」と、スミスは話す。

日本人の選手やチームは、練習以外の時間ではもちろんメリハリはあるだろうが、チーム単位で活動している時には海外の選手から見れば軍隊のように見えるのだろうが、そこにはもちろん、尊敬の意味も含まれているだろう。


私は駅伝の文化や魅力を海外の人に話せるだろうか?

私は高校時代から陸上を始め、京都府高校駅伝を3回、関西学生駅伝を4回(全て優勝)、出雲駅伝を1回(3区区間8位)、全日本大学駅伝を3回(6区区間8位、1区区間16位、4区14位...)走った。

その他にも、学生時代、社会人とローカルの駅伝には出場しているが、実際に自分が様々なレベルの駅伝に出場して現場で感じたことが、私の中での駅伝の見え方のベースになっている。

そして、この数年間の箱根駅伝予選会、箱根駅伝前、箱根駅伝、箱根駅伝後の取材を通して、選手や監督、コーチからのコメントを聞いて学んだことも多い。

今年はオリンピックイヤーで海外の選手やコーチ、ランナーがたくさん日本にやってくる。東京マラソンでも海外のランナーがたくさんやってくるだろう。

私は今までにアメリカ、ケニア、ヨーロッパ、中国、シンガポール、オセアニア...etcの国のランナーと「なぜ日本の駅伝が盛り上がるのか」「なぜ日本の長距離選手が強いのか」「なぜ駅伝という文化が根付いているのか」等について話をしたことがある。

そもそも私は駅伝を日本以外の国で生まれ育った人に正確に伝えられるほどに、駅伝についてどれほど深く理解しているのだろうか。

この探求は思っていたよりも深そうだ。

そういう意味では、全国の地域に昔から根付いているという歴史的な背景ももっと学ぶ必要があると思っている。幸運にも私は3月に熊本のある駅伝大会の取材をすることになっている。

そこで、駅伝にまつわる歴史を学べるとともに、地元の駅伝スターの話、某大学の監督への取材など、駅伝への探求にふさわしい機会になるであろう。

アメリカ・レッツランの共同創設者の1人であるウェルドン・ジョンソンは、イェール大学在学時にアイビーリーグ代表として出雲駅伝に出場しているが、その後に山梨学院大の練習に参加した経験がある。そこで彼は以下のように感じている。

経験したことすべてに学びがあり、楽しかった。長距離に向けられてる日本人のまじめさ、献身さを感じた。山梨学院大学出身の選手が去年のマラソンを2時間10分で走ったことは、何の驚きもなかった(おそらく1995年のびわ湖毎日マラソンで中村祐二選手が出した2時間10分49秒のこと)。

少なくとも私は大学駅伝界の世界に選手として身を置いた1人である。当時の経験が今のベースになっているが、それでも私の駅伝文化への探求や、日本の長距離界への探求はオリンピックイヤーに始まったばかりなのかもしれない。

サポートをいただける方の存在はとても大きく、それがモチベーションになるので、もっと良い記事を書こうとポジティブになります。