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2/18 noteで書いて私が何を成し遂げどこへ向かうのか、まだ分からないけどただ書くのです。

noteユーザーの皆さんは、一体何を成し遂げたくて、書いているんだろう。一人一人に、聞いて回りたいような、でも皆さんの崇高な「書きたい」を聞いたら自分の「書きたい」が恥ずかしくなりそうな、そんな気持ちです。

noteディレクター、水野さん主催の、noteコンサルに参加してきました。水野さんのおっしゃることは、すごく筋が通っていて、きっとこのことを色々な人に話してきたんだろうなと思えるような、納得感と濃やかさでした。

仰られたたくさんのことを、ほぼ日手帳にメモしてあります。noteという媒体の特性のこと、noteが目指していること、読んでもらうためのtips。そのなかから一番グサッと来て、苦い良薬となりそうなのは、

noteを立ち上げた目的と、こういうことを目指しますっていう所信表明を書いちゃったほうがいいよ~

という、コンサル時間の序盤の序盤に放たれた一言でした。

会社員として、働く人間としての、理想やなりたい姿はさんざん時間をかけて考え考え、やっとのことでこしらえたものがあります。でも、ものを書く人間として、そのことを考えたことがなかったことに気づきました。ただ書くことが好きだから、書いていたいから、ずっと書いていた。その「書きたい」だけだったから、雑多にたくさん書いていて、独り善がりの文章になってしまっていた。それに気づきつつも、書きたくないものを書くこともできず、文字通り、書き散らしていた1日1エッセイでした。

序盤の一言から話は進み、noteのサービスと、その根っこのクリエイターへの優しさというか、リスペクトというか、noteらしさ溢れる眼差しの話を聞いているときに、

そうか、私もクリエイターなのか

と、気づき、クリエイターとしての自分を育てていかなければいけないのかとふと思い至った訳です。

その育成過程を、仮にクリエイター育成計画と呼ぶとするならば、計画の第一歩として、冒頭の何を成し遂げたいか、どういうクリエイターになりたいかを固めることが必要なのです。方向を決めないと、船は操縦できないしね。

そんな、文章にしてしまえば当たり前のことに気づくのに、noteを書き始めてから一年以上かかった。自分の亀の歩みに辟易です。

でも水野さんは、そしてnoteというプラットフォームは、そんなひよっこクリエイターを否定しません。それが、せめてもの救いです。右も左も分からず、好きだからと書いてきた人間にも、創作の機会を与え、そして平等に褒めてくれます。ありがたいことに、「スキ」を押してくれる人もいます。

読んでくれる人のこと、ひよっこクリエイターとしての将来のこと、たくさんのことを考えつつ、ひよっこを、立派なニワトリに、育てていかなきゃなりません。

水野さんが話したこと、参加者の皆さんが話したこと、たくさんの情報量に整理はつききらないし、ゆっくり咀嚼して自分のnoteを育てようと思うけれど、今のこの悔しいような情けないような、でも、光はどこかにあるような、少しの希望があるこの気持ちを忘れたくなくて、書きました。

noteコンサル、お勧めですよ。もっと言うと、note、いいですよ。


水野さん、のーどみさん松尾さん、今日はありがとうございました。今日、この会に参加できてよかったです。

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