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フードエッセイを書くということ

 言葉や文章とは形のないアイディアを形にしたもの。だからアイディアの数だけ存在し得るものだし、一つの決まった正解は存在しない。現代風に言うと全てが正解ということになるが、アイディアは人に伝わらなければ不正解になる。言い換えれば、答えはあるが見えづらい。"おいしい瞬間"をそのまま冷凍保存した、鮮度感のある"おいしいエッセイ"を届けたい私にとってはシビアなことだ。

 「味」にだって形はない。砂糖は甘いし、塩はしょっぱい。他にも色んな「原味」があって、それが合わさると、とたんに表現が抽象的で曖昧になる。ここにエッセイ的な感性の面白さと難しさがある。

 趣味でレザークラフトを始めてからより一層感じる。文章を書くことも、レザー作品を作ることも創作という点では同じだが、レザーは形があるという点で異なる。完成作品を見れば革の裁断が雑だったり、糊付けがあまかったり、ステッチが雑だったりとパーツ毎に不正解と改善案が見つかるし、使い勝手や品質のような誰もが知覚できる性質がある。しかし、文章になるとそうはいかない。

 レザークラフトのように工程毎にはっきり分けられない無形の創造物。表現を1つ変えればそれに合わせて他の表現も変えるといった、全体の調和がより一層重要。何か1つを直すだけでは不十分で、表現全体を一定方向に均し、更にそれがお店の雰囲気に合った表現や文体であるかを考える必要もある。その上、人によって評価が分かれやすいのでフィードバックが機能しづらいのも難点。

 文章、特にフードエッセイを書くときは自分の世界を守ろうとするし、周りに影響されていては面白みに欠ける。それを貫いて成功したのが、以前にも紹介した平野紗季子さん。世界観全開で、ハマる人は中毒になってしまうような文章を書いているが、簡単なことではない。

 自分も独自の世界観を生んで、ある程度読者のつく文章を書けるようになりたい。ただ、それが世間に認められるのか、単なる自己満足なのかは書きながら見極め続ける必要がある。分かりやすい答えが無いからこそ簡単に見えて難しい。

 無形の味を、無形の感覚で膨らませ、無形の言葉を通じて表現する。こう考えるとフードエッセイは精神的な芸術とも言えると思う。そんな気持ちで文章を書いていきたい。

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