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10代で渡米…挫折したハタチが出会った鮨職人の世界

【お知らせ】
2021年4月8日(木)にMakuakeにて日本橋蛎殻町「鮨がみ」の会員を募集します。今回は公開に先立ちましてひとりの鮨職人のストーリーをご紹介いたします。


鮨に出会い救われた下積み時代

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ガミさんこと坂上剛が鮨職人を志たのは今からおよそ33年前。ハタチの時でした。
10代で音楽にのめり込みベーシストとしてアメリカに渡ったガミさん。音楽で食べていくと決心したものの心折れ2年で日本へ帰国。抜け殻のようになっていたところ知人の紹介で「鮨屋で働いてみないか?」と誘われ住み込みで働き始めます。

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若者だったガミさんにとって鮨の世界は厳しくも引き込まれるものがあったと言います。親方は江戸前鮨の伝統を連綿と受け継ぐ鮨職人。いまは亡くなってしまいお店もないとのことですが、親方の背中をみて育ち培った技術は、今もガミさんの中に生き続けています。独立の際に江戸前鮨でやっていこうと決めたのも、親方の元で修行してきたからという想いがあります。

35歳で訪れた転機

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外資系ホテルで鮨職人として働かないかと知人から誘われたのは35歳の時でした。それまでは流れ板として経験と腕を磨いていましたが、組織で働く経験を積んでみたいと外資系ホテルで働くことを決意。外資系ラグジュアリーホテル・グランドハイアット東京「六緑」とコンラッド東京「風花」の両店舗オープンの時から携わり、鮨料理長を歴任してきました。そして旧築地市場内の有名店「河岸頭」の板長を経て現在に至ります。

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写真は『鮨がみ』の名物とも言える化物ボタン海老とブドウ海老の仲買「登美粋」さんの社長です。

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「登美粋」さんは甲殻類以外で鯨の扱いでも有名なお店です。写真は鯨で稀少部位の「尾の身」というところです。「登美粋」さんはガミさんと同い年で、かれこれ20年のお付き合いになります。

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魚は仕入れの産地はもちろん、釣り人で選ぶ時も。仲卸さんと一緒に商品開発して育てたこともありました。有名な産地だけではなく、自分が選んで納得できるものを日々の目利きの積み重ねです。美味しさを紐解くために魚河岸や産地をめぐり「こうあるべき」という固定概念に縛られず、徹底的なまでに「なぜ美味しいのか」を愚直に考え抜くのです。

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「美味しい魚は美人な素材だと思っています。小顔でグラマラス。かわいいより美人が好き。顔が小さいと密度がしっかりしているので握った時にしっくりくるんです。あ、もちろん魚の話ですよ。」と笑いながら語るガミさん。

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お鮨はシンプルな料理だから素材と活かし方が奥深く、職人技だと考えています。人生をかけて試行錯誤してきた中で、「素材の真の美味しさを食べて欲しい」という想いにいきつきました。

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ガミさんの人生は「江戸前生まれ、江戸前育ち」の東京下町出身。江戸前鮨一筋33年の板前であり、自分自身の人生は江戸前鮨に握らされているといっても過言ではありません。
古き良き伝統を土台とし、自分の納得が行くまで美味しさを追求する。野武士の如く己の感性で自然を相手に自分の型を極めて行きたい、とこれからについて語ります。

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多岐に渡る流れ板で得た豊富な知識と経験を活かし、伝統的な江戸前鮨の基本を踏まえ、名店の仕事を覆す独自の熟成鮨はもちろん。至極の伝統と革新の江戸前鮨を堪能して頂きたいと考えています。

鮨がみのMakuakeプロジェクトは2021年4月8日(木)公開予定です。
ぜひフォローの程よろしくお願いいたします。
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