見出し画像

対立をなくそうとしていった時代に生まれて~「死にがいを求めて生きているの」を平成生まれ現役大学生が読んでみた

朝井ファンと話す中で、もしかしたらこれは世代によって受け取り方が全く異なる作品ではないか?という話題になりました。作中で彼が何を意図したのかは以下のインタビュー記事に詳しいです。以下、「>」は下記インタビューからの引用を表します。

僕はやはり平成ど真ん中を生きてきた実感があるので、登場人物たちの感じる苦しみみたいなのが手に取るようにわかる。もしかすると、私よりもっと上の世代、つまり明確な対立があり、自分らしくなんて言われていなかった世代はなんのことやらちんぷんかんぷん、あるいはああ若い人ってこんな感じだよなと思うかもしれません。今の若者、一体何に苦しんでるの?と思った人には読んで欲しいかも。すべての若者がこれで苦しんでいるって訳でもないけど、

「何かしていないと不安になる。何もない人生への焦燥……。」

というのは特にこの就活という環境下で常に晒される問題です。

どうして何も考えずにただ目の前の日々をこなすことがいけないのか。ライフプランなんてどうして21歳で描かないといけないのか。描けないやつが無能で描けたやつは有能なのか。そういう「目に見えない圧力」を感じながら自分で自分を苦しめているのです。それこそが対立のなくなった、いや実は対立があるのだけれどみんな蓋をして見せようとしないそういう時代なのかなと思います。>「それは、外部から決めつけられる痛みとは全く別の、勝手に自分を毒していく痛みというか、自分を内側から腐らせていくような感覚だと思うんです。」と語っている部分がまさにそうです。

自滅的なんですよね。

母は繰り返し、母が小学生の頃どういう問題解決の方法が図られていたかわたしに話します。母が小学生の頃は、なにか問題が起こると教室の机を後ろに下げてタイマンが張られたといいます。言葉通り、殴り合いです。そうして一通り殴り合った後、お互いにスッキリし、和解に至るそうです。なぜこの話を繰り返しするのか知りませんが、母親自身今の時代に対して何か疑問を呈しているのかもしれません。現代では明確な対立をとにかく避けようという方向にあります。ここは土井隆義さんの『友だち地獄: 「空気を読む」世代のサバイバル』

という本が詳しいです。明確な対立は避けますが、やはり人間なのでしょう、みんな仲良くという境地には達しておらず、消化不良の争いが水面下で起こっています。

わたしの中学時代の話を思い出しました。中学時代、それこそ現代にうっすらと残る目に見える「競争」というものは体育祭でした。その中の種目で全員リレーというクラス対抗のリレーがあった。これが地獄だった。対立を避けているのに、対立を煽る、そして教師は対立することを抑圧する。

同じクラスに一人の女の子がいました。その子は誰から見ても運動能力が低く、友達もあまりできない、しかし内気ではなくどちらかと言えば強気な子でした。理性が優位になった現代において未だに原始的な「リレー」という競争が残っているのは、わたしたちが人間から抜け出せない象徴なのかなと思います。その女の子はある日のリレーの練習で(練習だったので2クラス対抗)バトンミスをしました。彼女は落としたバトンを歩きながらゆっくりと、そして悪びれもなくニヤニヤ笑いながら取りに行きました。リレーとか、スポーツを応援・プレーしている時の、人々の野生むき出しの感じがわたしは非常に苦手なのですが、周りは血気盛んな中学一年生でしたから、その子には大ブーイングが飛びました。今でもあの模擬リレーが終わった後の、男子更衣室での風景が手に取るように脳裏に浮かびます。(体育が終わった後の更衣室の時間がとにかくわたしは嫌いだった)それからその子は、イジメを受けるようになりました。身体的な攻撃はわたしの記憶の限りなかったかと思いますが、仲間はずれだったり、陰口を叩かれたりしていました。つらかっただろうなと思います。反面、対立をリレーという形で煽っておいて、そこから生まれた憎悪のようなものを抑えつけられる子たちの感情も今振り返ってみれば苦しいだろうと思います。その後の顛末は、被害を受けた女の子が担任に告発し(強いよなぁ)クラス会議みたいなものが開かれました。今でもあの解決方法が正しかったのかわたしは分かりません。まさにあの時間はわたしが生きてきた中で、3本の指に入るくらいには地獄に近かった。

わたしはその日、部活に東北から有名なクラリネット奏者の方が来訪する日で、指導を受けられることになっていたので数日前から心待ちにしていました。当時わたしは部活に熱中していたので、早く部活に行きたい気持ちで、突如として始まり、その場に居ることを強制された放課後の大懺悔会に苛立ちを隠せなかった。その時の担任はわたしたちに2つのことを命令しました。1つ、何が悪かったのか述べ謝罪すること。2つ、これからどう付き合っていくのか言うこと。クラスは確か35人ほどだったと思います。一人一人席の順で立っていき、その女の子が座っている方を向いて、ぽつりぽつりと謝罪をしました。わたしがこの世で一番忌み嫌うのは形骸化した空虚な言葉ですが、その時間はそんな空虚な言葉たちにあふれていました。無論、落としたバトンを悪びれもなく拾い、リレーに大敗した怒りが治るはずもなく、ただその場でただ記号としての「ごめんなさい」と「これからは仲良くしましょう」を伝えたのです。彼女は一体どう感じていたのでしょうか。これはわたしの所感に過ぎませんが、まんざらでもない様子だったか、いや、当時のわたしはとにかく部活に行きたいのに行けず怒り狂っていましたから、正確に思い出すことができません。全員の意味のない謝罪と、これからの友好関係を築くという嘘を並べ終わった後、わたしは部活に行きました。確かその時、もう奏者の方は帰られていたかと思います。12歳のわたし(誕生日前だった)には当時わき上がった気待ちをどう処理していいか分からず、顧問であった保健室の先生から遅刻の理由を問われ大泣きしました。顧問はわたしが部活に熱心だったことを知っていましたし、養護教諭なので優しくつらかったねと言ってくれたのを今でも覚えています。

「個人間の対立をなくそうとしていった時代」に経験した中学時代の歪みは、きっとわたしが大人になっても噛みきれない歪みとして残り続けるでしょう。

どこまでも果てしなく広がる地獄は、一体どこに着地するというのでしょう。朝井さんがインタビューで答えたように、他の暇つぶしをすることで考えないようにするのが一番の得策なのでしょうか。朝井さん自身もその答えは出ていないように思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?